お疲れ様です。
4回の野稲です。
全国公で引退しました。
引退ブログを書こうと思いつつも、書いてしまうと本当に終わってしまうんだという気持ちから中々書けないでいました。
ずっと水泳やってきたからか、もう泳がなくていいという事実が達成感と寂しさを与え、なんとも言えない日々を過ごしています。
引退ブログを書くにあたって、僕は水泳に関して辛かったことしかないので、あまり良いことは書けないと思います。
でも、同じ気持ちの人がいるかもしれないし、同じことになってほしくはないのでちゃんと書きます。
・水泳を続けてきた理由
知っている人はいるかもしれませんが、僕は昔は結構ぶいぶい言わせられるくらいにはタイム出してました。
半ブレが小6の頃に33秒出して、中2で30秒台でした。
中国地方で1、2番争うくらいの戦いはしていました。
それが、中3からベストが全く出ず、受験を迎え、大学では水泳を続ける気もなくなっていました。
でもやっぱり半ブレで30切りたいという思いがあって、阪大の水泳部を調べたらブレなんかすごい人達いっぱいいて、気づけば入部していました。
同じクラブの先輩から大学は短水は伸びたけど、長水は伸びなかったって聞いてたこともあって、まあ短水でのびのびやって30切れれば良いやって気持ちでした。
今思えば長水のベストが無理って根底にあったのが、4年間ぱっとしなかった原因なのかなって思います。
ブレで30切るのって結構速い方だと思ってました。
でもなんか私立でもないのに、阪大なのに、よゆーで切る人達しかいなくてビビりまくりでした。
同じクラブにはブレの選手が僕しかいなくて、こんな大人数で練習することもなく毎日が新鮮で、1年経つ頃には、タイムも戻ってて2年の夏までは水泳がまた楽しいって思えていました。
1回の合宿のこの写真まじでお気に入りです。
何も考えずに水泳だけできるこの時期は、水泳してて本当に楽しかったです。
2回の春短でなんか50も100もベストが出て、このまま、また伸びても良いんだって希望がありました。
6月の大阪府戦で長水で1秒ベストでて、この夏に長水の100もベストが出るんじゃないかってなりました。
でも、阪大のブレの層が厚く、対抗戦に出れない僕は上手く調整してても試合に出られることはありませんでした。
夏季長も、長水の練習しかなく、外のプールも多く、何も上手くいかないままシーズンが終わってしまいました。
入部した時から、対抗戦に出られるのは最後の4回の時だけだと分かっていましたが、うまくいってる時には悔しいものがあります。
そこからだんだん水泳が嫌になってきて、水泳から逃げるように9月は全く泳ぎませんでした。
ここからの一年は本当にしんどかったです。
泳いでると体がすぐしんどくなったり、得意だったスプリントもできなくなったり、水泳を何度も辞めたいと思ってました。
ノルマも最低3回って決めて行っていたのでサボっていたわけじゃありません。筋トレもしていました。
本当に不思議でした。
そのまま3回のシーズンが終わってしまい、このままでいいのかって真剣に悩みました。
そんな時期にインカレを見に行き全てが変わりました。
昔は目指していた全国の舞台。いつからか諦めるようなった全国の舞台にもう一度チャレンジしたいと思えました。
100で4秒。
無理だとは分かっていました。
でも、目標にしてちゃんと言えることが大事なので、逃げずに掲げました。
それから、10月からノルマ5でいって、12月には、かなり練習強くなってました。
この時期にほぼ毎日後ろから追いかけて下さったちなさんには本当に感謝しています。
100の1.15回れるようになったり、GSのアベレージ2秒あがったり、MVOやっても最後まで持つようになったり、
速くなっている実感はありましたし、4回のシーズンには間違いなくベストが出ると確信していました。
そして、冬季公認と、JO予選であっさり30秒切りました。
特にJO予選は会心のレース過ぎて、久しぶりにタッチしたあとガッツポーズしたのを覚えています。
でもここからは、あまり覚えてません。
就活して、練習行って、筋トレしてたら調子悪くなってて、シーズンも始まってました。
30秒を切って燃え尽きてしまったのか、ベストは出るって慢心からか今になっても分かりません。
そして食中毒にもなって、パッとしないまま引退しました。
それでも、なぜか悔しい気持ちはありません。
ベストが出なくても、最後の一年は自分なりの最大限をしたつもりですし、練習に少し強くなれました。
だからやり切ったって思いがあります。
後悔はないです。
ベストがずっと出てない人いると思います。でも8年間ベストが出なかった人がここにいます。
何回もベストが出なくて、しんどくなった時は僕を思い出して、笑ってください。
そんな人に支えになれたらと思います。
まあベスト出ないまま引退しちゃったら僕がたけぇ肉でも奢ります。
こんな感じで僕の競泳人生は終わりました。
・伝えたいこと
あまり思い浮かばないので、1つだけ。
逃げないでください。
ベストが出ない時、調子悪い時、自分の仕事が大変な時、
嫌になって、水泳すら辞めたくなるときがあると思います。
そんな時に、逃げるのはやめてください。
途中で諦めたら絶対に後悔します。
でも、最後まで上手くいかなかったとしても、やり切ったことが自分を肯定してくれます。
あと、途中で辞めちゃうと、今までお世話になった先輩に顔向け出来ませんし、何より失礼だと思います。
役割は様々あると思います。
泳ぐこと以外にも、幹部の仕事、曽根やナックルのバイト、学連、応援など、たくさんさんあります。
文句は言ってもいいと思います。
でも引き受けたからには責任をもって最後までやり切りましょう。
・最後に
結果が出なくても悪いとは思いません。
結果を出すための努力は言われなくても、やってくれると思っています。
それでも結果が出なければしょうがないとを割り切っていいです。
それから
速く泳ぐことだけじゃなく、自分に与えられた役割をしっかり果たす、
そうすることで自然と雰囲気は良くなりますし、応援する側も安心して応援できます。
そんな部活動を続けていってください。
最後になりますが、
OB、OGの皆様
いつも多大のご支援ありがとうございます。
皆様のおかげで、水泳部の活動をここまで続けてこれました。
これからも、大阪大学水泳部のためにご支援よろしくお願いします。
ブレ面の先輩方
一緒に練習できてとても楽しかったです。
ずっと顔向けできないタイムで泳いでしまって申し訳ありませんでした。
最後の1年は本気でやった結果なので、ご理解いただきたいです。
後輩たち
頑張ってください。
応援しています。
以上で終わりたいと思います。
今までありがとうございました。
野稲太陽
LEGEND
烈華
和爛
百尺敢闘