お疲れ様です。
4回の川口 椋太郎です。
インカレをもって引退しました。
今の感想は、
「楽しかった。やりきった。」
これに尽きます。
正直、こんなに充実した楽しい時間がずっと続いて欲しいです。
でも、期限付きだからこそやりきることができたし、感情がより大きく動かされる出来事もたくさんありました。
こんなにも水泳と阪大水泳部が大好きな僕ですが、ブログを書くのも今回が最後です。
最後まで読んでもらえると嬉しいです。
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まず、自分のためにもこれまでの水泳人生を振り返らせてください。
【Get Over編】
2021年3月9日、大学入試合格発表の日、突如知らない人からInstagramのメッセージが来ました。
そうです、せいごさんです。
誰この人?と思って調べてみたら、長水1500を16分20秒くらいで泳ぐ人だと知り、速すぎて驚いたのを覚えています。
(正直水泳部に入る気はあまりなかったけど、)たくさん勧誘していただいたし、嫌だったら水泳はこれっきりにしようと思い、勇気を出して体験練に行ってみました。
曽根駅で先輩のお迎えを待っていると、ムキムキの人が来てくださいました。
そうです、翔太朗さんです。
水泳部のことをいろいろ聞こうと思っていたのに、会話がずっと翔太朗さんのターンで、高校時代のすごいエピソードをたくさん話していただきました笑
そしてプールに到着。更衣室に長崎県出身の人がいました。
そうです、けいごさんです。
長崎時代に話したことはなかったけど僕が一方的に名前を知っていたので、田舎から1人で出てきて知っている人に出会えたことが本当に嬉しかったです。
その日の練習のダウンの時間、けいごさんに声をかけてもらいました。
「一緒にインカレに行こう。」
この言葉が、僕が入部を決めたきっかけでした。
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ここで少しだけ高校までの話。
1歳から水泳を始めて、幼稚園で4泳法習得、小1の誕生日に初レースを経験したくらいまでは純粋に水泳が好きでした。
でも小2で選手育成コースに入って本格的に競泳の世界に飛び込んで以来、辛かったことの記憶しかほとんど残っていません。
練習はロングのサークルインが多く、サークルアウトでやり直しの毎日。
目指した全中標準は程遠く、タイムが爆伸びして目指せそうだった高1の国体標準はあと0.5くらい届かず。それ以降100Baのベストは出ませんでした。
仲間といる時間は楽しいけど、「もう一生ベストは出ないだろう」と悲観していた僕にとって、練習はただの苦行でしかなかったです。
勝てていた同級生、後輩にも追い抜かれ、レースも出たくありませんでした。
最後の高総体がコロナで中止になった時、周りが悔しがる中で僕は、「もう負けなくていいんだ。」と安堵の方が大きかったです。
ラストレースだった高3のための高総体代替試合では、ライバルと被らないように専門の100Baを避けて数年ぶりに100Frに出場し、ベストを出して競泳への未練から目を背けるように引退しました。
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ここからまた大学の話。
阪大水泳部の練習はこれまで経験した練習とは全くの別物でした。
自分たちで作ったきついメニューを、みんなで声を出して盛り上げて乗り越えていく。
苦行でしかなかった練習を「楽しい」と思えたのは初めてでした。
(この日実は遥がマネで体験に来てる?!)
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迎えた初めての対抗戦。
生涯ベストとかけ離れたタイムで泳いで、「あの頃のタイムならもっと活躍できたのに」とやっぱり悔しかったです。
特に全国公は生涯ベストで泳げば決勝に出場できたので、しょうもないタイムで泳いでいる自分が情けなかったです。
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【LEGEND編】
このシーズンから、高校時代よりも少ない制限された練習量でどうすれば速くなるか考えるようになりました。
一番は、頭を使うようになりました。
これまでがむしゃらに練習をこなすことしかできなかった自分が、フォームや壁際を意識するようになりました。
練習はきつかったけど、一緒に頑張れる先輩と同期がいたから充実していました。
すると1回生の冬季公認と春短であっさり短水路の生涯ベスト更新。
あんなにも遠かったベストをさらっと出しちゃいました。
あんなに嫌いだったレースが楽しくなりました。
(peach🍑面全員ベスト更新👏)
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そんなこんなでいつのまにか夏シーズン。
このシーズンでは、高1の6月以来の長水100Baベストを狙っていました。
しかし初戦のCS。1回生の時よりも遅いタイム。本気で落ち込みました。
そして、その日にもっと悔しい出来事がありました。
金沢オープン組のメリレインカレ突破。
当時自分より0.3くらい速かった冬瑚さんが大ベストを出しての突破。
周りは喜んでいた一方、自分は素直に喜べなかったです。
他にもいろんなことで悩んで、自分に居場所がないように感じ苦しかったです。
でも、そんな状況を救ってくれたのも阪大水泳部の人達でした。
こんな自分を受け入れてくれて、叱ってくれて、気持ちを持ち直すことができました。
そして、応援してくれる人たちの期待に応えるためにも、自分のことを大して思っていない人たちを見返すためにも、水泳で結果を出すしかないと心に決めました。
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迎えた対抗戦。
関国、七帝と全種目ベストで想定以上の点数を取ることができました。
この頃は2回生ながら、かなり強い気持ちをもってレースに臨めていたと思います。
それでも、100Ba生涯ベストには届かなかった。
全国公のときには悔しすぎて待機所で大泣きしました。
そして、インカレは結局メンバーになることはできず、リレー補欠で参加しました。
先輩方のレースをビデオで撮影している自分が本当に悔しかったです。
帰りの夜行バス前の銭湯で、同じく補欠だった裕貴さんに言われました。
「あと2年あるんだから十分個人でインカレを狙える。」
この時、100Baでインカレを狙うと強く誓いました。
(けいごさんたちもいつのまにか引退、、)
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【烈華編】
100Baインカレ突破を目標に掲げ、同じ目標の冬瑚さんに必死に食らいついていきました。
(初合宿!きつかったけど楽しかった!)
レースのたびに少しずつベストは出るものの、結局インカレには全く届かず。
最後のチャンスだった金沢オープンでベストを出せず、対抗戦前にもかかわらずどこか気持ちが切れていたような気がします。
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3回目の夏。
初めての応援完全解禁の対抗戦。
これまでに感じたことがない熱量で心揺さぶられるレースをたくさん見ました。
そんな中、自分は関国で完全に燃え尽き、大事なところでことごとく競り負ける。
結果でチームに全く貢献できませんでした。
盛り上げ係やカウントダウン係を自ら積極的に名乗り出てやっていたけど、「今シーズンは結果では貢献できない」とどこかで思っていたゆえの行動だったのかもしれません。
一方、冬瑚さんは2種目インカレ突破して、関国優勝、全国公決勝。
結果でチームを引っ張る姿が本当にかっこよかったです。
「来年こそは自分が結果でチームを引っ張る。」
そんな気持ちを胸に、2回目のインカレ補欠に参加してシーズンを終えました。
(とうとう最高学年に、、)
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【和爛編】
ラストシーズンは本当に必死でした。
「インカレ突破」と「全国公決勝」という入部時に立てた目標を達成するため、やれることは全部やろうと思っていました。
まず、圧倒的に練習量を増やしました。
そして練習の質(ドルフィン回数制限、苦手なFrのEN強化、一本目から突っ込むetc…)もしっかり上げて、「今日はよくなかった」という練習はなくなりました。
レペやMVO、GSの日は去年の冬瑚さんのタイムをTG(ターゲット)にして、一段と気合を入れて臨みました。
避けていたウエイトもやるようになりました。
泳ぎも調べまくって、自分の泳ぎの研究を徹底的にやりました。
それに加え、最高学年として「自分が中心となってみんなを巻き込んでチームも強くしていくんだ」という思いもありました。
練習量の大切さは特にみんなに伝えてきました。
(結局毎月ほぼ僕がトップでしたが、)みんなもたくさん練習に来るようになりました。
最初一人だったウエイトも歩や陸、そして多くの人が続いてやってくれるようになりました。
水中練習中はみんなが頑張れる雰囲気を作る、みんなの泳ぎを見て思ったことを伝える、マネさんに積極的に話しかけるetc…を意識しました。
レース時も部員全員のベストを大体記憶していたので、(Ba面の人が多めだったけど)アウトプットの機会を設けたり、アドバイスしたりしました。
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こんな感じでラスト一年は水泳のことばかり考えていました。
タイムが出なくても、体がきつくても、嫌になることはなかったです。
むしろ、試行錯誤の毎日が本当に楽しかったです。
(ラスト鈴鹿合宿!)
春には九大の合宿にも参加させてもらいました。
はるばる地元に帰ってレースに出たりもしました。
ラストイヤーにやり残したことがないように、そしてまずは何よりインカレ突破のため、ストイックにかつ丁寧にやるべきことをやりました。
それでも、インカレは切れませんでした。
それどころか、100Baは短水路のベストを3回生の5月から一回も更新できませんでした。
ラストチャンスだった今年の大体大オープン、しっかりインカレを切った陸が本当にかっこよかったです。
一方自分はベストすら出せず、本当に悔しかったです。
でも、悔いはありませんでした。
それは、これまでの人生で一番本気になって、目標に向かって一切の抜かりなく、ひたむきに努力した結果だと胸を張って言い切れたからです。
下を向くのはほんの一瞬で、すぐに最後の対抗戦シーズンへと切り替えました。
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最後の対抗戦シーズンは、常にそこそこな成績を取り続けました。
個人順位はレベルが同じくらいの人には必ず勝ってくるけど、それ以上は取れない。
4位も4回取りました。
タイムは、200は関国でベストが出たけどそれ以降はダメダメ。
100は常にベスト+0.5かからないくらいだけどベストは出ず。
「自分がチームを引っ張る」と強い気持ちを持って臨んだシーズンだっただけに、チームに何ももたらすことができなかったことが情けなかったです。
それはほかの同期も同じ気持ちだったと思います。
それでも、自分が積み上げてきたことを信じて、やるべきことをひたむきにこなしながらシーズンを戦いました。
(全国公決勝は去年の先輩方の力を借りてメリレで出場。初全国決勝めっちゃ興奮した。)
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引退レースはインカレのメリレで迎えることができました。
自力では立てなかった目標の全国公決勝とインカレの舞台に立たせてくれたチーム、そして烈華の先輩方と陸、歩には感謝してもしきれないです。
そんな自分が最後にチームのため、お世話になった方々へのため、そして自分のためにやるべきことは、「自分らしい」レースでやりきって引退することだと覚悟を決めました。
そして、必ずベストを出す。
その時の思いは、インカレ4日目ブログに書いています。
結果、-0.42ベスト。
今シーズンのチームベストも更新。
ずっと憧れだった舞台で満足のいく結果で終わることができ、これまでの努力がやっと報われた気がしました。
でもベストを出したことよりも、「やりきって終わることができた」ことに対する満足感の方が大きかったです。
この感情は、おそらく引退レースでベストが出なかったとしても同じ感情だったと思います。
それは、たとえ結果が絶対的な正義である競泳であったとしても、一人の人間としては今回の結果はただの結果に過ぎないからです。
最高の仲間と共に高い目標に向かってもがき続けたこれまでの積み重ねを、最後に胸を張って堂々と「やりきった」と素直に言えたことによって、自分の中でその過程を認められたことが本当に嬉しかったです。
競泳人生を通して、僕が理想とする「強さ」と「優しさ」を持った人間に少しは近づけたかな。
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ここから、お世話になった方々へのメッセージです。
ビート西諌早のみんな、禿先生
高校まで苦しすぎる練習をみんなと頑張ってきたからこそ、今の自分があると思っています。
本当にありがとうございます。
チーム井手のみんなはまた飲みに行こうね。
他大学の皆さん
一緒に練習してくれて、レース会場では声をかけてくれて、応援してくれて、競ってくれて、本当にありがとうございました。
大学が違うにもかかわらず北海道から九州まで全国各地のみんなと関わることができて嬉しかったです。
ここからは特に関わりが深かった他大の方々へ、
関わってくれたBaスイマーの皆さん
レースで同じ組になってボコボコにされたり、標準切りを会場やSNSで見たりした時には、「自分も頑張らないと」という気持ちにさせてもらいました。
競技レベル関係なく仲良くしてくれて嬉しかったです。またどこかで会いましょう。
九大水泳部の皆さん
まずは九大合宿に参加させていただき、(安芸さんも家を貸してくださり、)本当にありがとうございました。
ほとんどみんな初対面だったにも関わらず、たくさん構ってくれて本当に嬉しかったです。
それ以降の大会でも、みんなと会えるのが本当に楽しみでした。
後輩ちゃんの活躍は、自分のチームと同じくらいこれからも応援しています。
特に居残りを決めた3年生達は、悔いなく終われるように頑張ってほしいです。
Baのみんなもインカレ切り、インカレ決勝、などなど本当に応援しています。
福岡行ったときは遊んでくれると嬉しいです!玄風行きたい!
(中高時代からお世話になった先輩方も本当にありごうございました。)
神大水泳部の皆さん
たくさん練習にお邪魔させていただきました。ありがとうございました。
神大水泳部は特有のチーム観が素敵で、みんな自分のチームが大好きなところがいいなと思って見ていました。
お互いバチバチに意識し合いながら切磋琢磨できて、本当に良かったです。
みんなご近所さんだと思うのでまた遊びましょ。
神大水泳部の後輩のみんなも、同じく自分のチームと同じくらい応援しています。
(写ってない人もみんな応援してるよ!)
大好きな阪大水泳部の皆さん
僕が水泳を楽しい、部活を楽しいと思えたのは間違いなく皆さんのおかげです。
本当にありがとうございます。
その中でも個別に。
OB,OGの皆様
日頃より多大なるご支援を賜りました。この場をお借りして御礼申し上げます。
これからは私もOBの一員として努めて参ります。
一緒に部活動をすることができた先輩方
「きょんちゃん」と最初に呼んでくださり、たくさん甘えさせてくださったGetOverの皆さん、
普段ははちゃめちゃなのに、水泳になると真剣で、「これぞ部活!」という経験をさせてくださったLEGENDの皆さん、
常に僕の目標で、何度もかっこいい姿を見せてくださった烈華の皆さん、
本当にありがとうございました。
これからも先輩方といるときは後輩らしく甘えさせていただこうと思っているので、よろしくお願いします。
後輩のみんな
うるさい先輩だったと思うけど、たくさん慕ってくれてありがとう。
本当はまだまだみんなと一緒にいたかったから冬まで部活に残ろうかなとも考えたけど、これから創り上げていく新チームにお邪魔はできないので、ここで引退します。
阪大水泳部は強くあるべきです。
そして阪大水泳部にいるからには水泳に対して真摯に向き合う義務があります。
来シーズン以降のチームが楽しみです。期待しています。
各個人へのメッセージはまた別の形で伝えようと思うので、ここでは各学年に向けて。
1回生のみんな
年齢が3つ(中には4つ、中には2つ笑)も離れていても楽しく喋れて嬉しかったよ、ありがとう。
みんなにはもっと周りの人を大切に、仲間との交流をより広く深くして欲しいです。
みんながこれから阪大水泳部を通して出会う(すでに出会った)仲間は、これから一生大事にしたい仲間になるはずです。
ぜひいろんな人に積極的に話しかけて、理解しあって、かけがえのない仲間をたくさん作ってほしいです。
そうすれば水泳部での生活ももっと楽しくなるはずです。
もちろん競技面も期待してるよ。一番下の学年からどんどん前に出ちゃって!
2回生のみんな
入部して一年経ってずいぶんたくましくなったね。
特に泳力に関して、正直、最初は学年全体の泳力レベルを心配していました。
でもみんなの水泳に対する素晴らしい熱意がここまで高いレベルに引き上げたんだと思います。
これからはみんなのパフォーマンスでチームを引っ張る番です。
もっともっと水泳に真剣に打ち込んで、より速く、より敏腕マネになってくれることを期待しています。
3回生のみんな
高校までクラブ練だった僕にとって、ちゃんと後輩ができたのはみんなが初めてで、本当にかわいかったです。たくさん遊んでくれてありがとう。
そんなみんなもいよいよ最高学年になっちゃったね。
ここから先は本当に冗談抜きで一瞬です。後悔がないように。
そして、もっと強くなってください。
最高学年が高い目標に向かって泥臭くひたむきに頑張る姿は、きっと後輩たちの見本になるはずです。
僕は一番上の人間が強くあれるチームが強いと思います。
ぜひみんなの力で強い阪大水泳部を創り上げてほしいです。
本当に大好きな同期のみんな
みんなと同期になれて、そして一緒に部活ができて本当に良かった。
なんだかんだみんなといるときが一番落ち着くし、楽しかった。
みんなとはまたいつでも集まれるはずなので、このくらいで。
本当にありがとう。
あ、結婚式は呼んでください!
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最後に、水泳を通して僕と関わってくださった全ての方々へ。
本当にありがとうございました。
これまでの全ての出会いに感謝を込めて。
以上です。失礼します。
川口 椋太郎
Get Over
LEGEND
烈華
和爛