引退ブログ 〜辛くたって夢は必ず叶う〜 | 大阪大学体育会水泳部のブログ

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大阪大学水泳部競泳面のブログです。
今年のスローガンは"和爛"
部員全員が団結し、部員全員が天真爛漫に輝くチームを目指します!

お疲れ様です。4回の岸本です。




8/11の全国公をもって阪大水泳部を引退しました。

そこから二週間、院試勉強のため外界との繋がりを絶っていたので、引退ブログをあげるのが遅くなりました。申し訳ありません。




引退から二週間が経ちましたが、正直実感がありません。これを書いている今も、9月のオフ中ぐらいにしか考えていません。朝早起きして電車に乗っていないのが違和感でしかないですが、朝ゆっくりできるのはかなり助かります。




院試も無事?終わり、一旦暇になったので、自分の水泳人生を振り返りながら後輩たちに伝えたいことをつらつら書いていこうと思います。最年長の最後の戯言だと思って見てくれれば嬉しいです。




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①自分の水泳人生について

両親祖父母が泳げないから泳げる様になってほしいのと、心臓が生まれつき強くないことを解消できればという理由で水泳を始めました。



本当はFIyが泳げるようになったらやめるつもりで続けていましたが、当時アルバイトの大学生コーチに、新しく作る選手コースに誘われて競泳を始めました。そこコーチがかなり熱血系の人だったので、断りきれなかったと親は言っていました。



選手コースに入って1年後、千葉から大阪に引っ越すことになって、こっちのKONAMIの選手コースで水泳を続ける決心をしましたが、ここからが地獄でした。




プールにはコーチの怒号が響き、ふと目をやるとファンやブイが空中をとび、2時間の練習をプールサイドで見てるだけの人がいて、ここで続けててもいいことがないと思い始めましたが辞めるわけにもいかず、無心で続けるしかありませんでした。この辺で、僕の自我には、コーチの言うことは無視するという考えが宿ました。まあ実際泳法のアドバイスや試合後のアドバイスなどは全くと言っていいほどなかったので、無視するも何もってかんじでしたが。



中2の時にKONAMIが潰れることになり、コスパに行くことにしましたが、家から1番近いコスパさかい(今の場先)には行く気になりませんでした。ザッキーがいたからです。どうせやるなら部活の友達がいないところでやりたかったので、ちょっと遠いですが、のびやか健康館に行くことにしました。

まあそこでも基本的に泳法指導はなかったので、引退する日まで自己流の泳ぎでやるしかなかったのが辛かったです。まあさかいに行っててもUWしかさせられないので、どっちみち辞めてたと思いますが。


書きながら振り返ると、自分にとってスイミングスクールとは、ただダラダラ泳ぐ場所だったので、いい思い出がないですね。だから、スクールに通ってた人の中では珍しく、僕にはお世話になったコーチがいません。コーチのおかげでここまで来れました的な発言ができないのが悲しいです。スクールを間違えた気がします。



ただ、そんな僕の水泳人生を変えたのは、やはりザッキーの存在でした。

初めは相手にもしてなかったのですが、ふと高校に入ると自分と同じぐらいの速さになってて、なんやったら負けてました。初めて負けた時は悔しすぎて、試合中にも関わらず帰ろうとしたこともありました。



大学で、学年は違うけど同じ水泳部に所属できて、そこでもばちばちに戦えたのは、本当に運命でしかないです。ほんまにありがとう。


顔パンパンと陰キャの写真あったから載せときます

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②大学水泳


大学に入ってすぐの夏季公認で、なぜか生涯ベストに近いタイムを出したことで、運良く1年ながら3面メンバーに選ばれました。


ただ、その年の結果としてはボロボロで、チームに貢献どころか、ベストすら出ず、チームメイトに申し訳ない思いでいっぱいでした。


高校時代も速かった訳ではないので、その年の全国公へも行けず、大阪に残ってひたすら練習していたことを思い出します。


ちょっとでも全国大会を味わいたかった




2年では、なぜか運良く8継のメンバー選考会で残り1枠をもらえたので、チーム代表として泳ぐことができましたが、僕には負担が大きすぎて飛び込む前までガチガチ、泳ぎ終わってプールから上がったら、ひろきさんに抱きついて泣いてました。


最初で最後の表彰台




3年、個人での決勝進出が現実味を帯びてきて、努力はしたけどダメだった。

リレーでもアンカーを任されながら、ラスト追い抜かれて5位。最高学年になる年でありながら、情けなかった。


先輩方は本当に頼もしかった





そして4年、本気で個人決勝を狙いに練習を積んだが、及ばず9位。本気で悔しくて人のいないところで泣いてました。


その悔しさは七帝で晴らしましたが、やっぱ関国で決勝行きたかったな。




最後の全国公では、3種目出てベストが出たのは1個だけだったけど、自分の力を出しきれて終われたのでよかったかなと思います。




はるばる応援にきてくださった先輩方、お友達、本当にありがとうございました!



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ザッキーの持ち上げと自分語りはこの辺にして、次は後輩たちに伝えたいことを。



①苦手なことに対する向き合い方


誰にだって得意なことと苦手なことがあるはずです。苦手なことがない人はいません。


水泳において、自分の問題点が明らかになった時、どうしますか?


多くの人は、その問題点を潰しにいく、と答えるでしょう。


もちろんそうすることが手っ取り早い方法であるのは確かです。


ただ、僕みたいに、医者から注意を受けているような体の問題で、不可能なことに直面したらどうしますか?


僕だったらこう考えます、それを補えることをやって遠回しにでもいいから解決に近づけようと。


自分の体験でいうと、まずkickが弱いです。原因は足首の硬さから、推進力が生まれないということでした。足首を柔らかくしようにも方法がよくわからず、昔からやってる足首の柔軟も全く効果がありません。でもkickを打たないとポジションが上がらないので速くなれません。



じゃあどうしようか。

足を使わずにポジションを高くすればいい。腹圧を人よりも入れるようにしよう。

そうすれば体力も温存できて、長距離は速くなれる!


こんな考えだからスプリントができないのですが、実際それで200.400.800.1500が速くなったのは事実ですし、引退時の泳ぎが自分に合っていたことも事実です。




こんなかんじで、根本の解決にはならないですが、速くなることはできます。kickが苦手ならそれを補える何かをすればいい、空気を一気に取り込みすぎると心臓に負担がかかって危ないなら、空気を連続的に取り入れて循環させればいい(hypo練習)。



どうしても解決できない問題が立ちはだかった時、発想を転換してみてください。きっといい方法が見つかります。



②先輩を頼ってほしい


これは僕ができなかったことです。

上でも話したコーチの件や、スクールで歳上がいなかったこともあり、僕は自分より歳上の人に頼ることが苦手でした。僕が心から頼ることができた先輩は、水泳人生で1人だけです。



縦の繋がりを大事にできるのも大学水泳のいいところだと思っています。先輩だからと遠慮せず、ガンガン頼ってください。いろんな経験をしてるからこそ、違う視点からアドバイスをくれるかもしれません。



③諦めないでほしい


これは全国公でも言った話ですが、話す内容がまとまっておらず何言ってる自分でもわからなくなっていたのでもう一度。


これから、なんやったら今、水泳に対するモチベーションがなくなってる人がいるかもしれません。


タイムが出ないからなのか、大学生活を送る中で部活が足枷になっているのか、好きな人が引退してしまったからなのか。



理由はそれぞれですが、どんな理由があれ、途中で諦めないでほしいです。


僕自身、先輩たちがいる時は、ただその背中を追ってがむしゃらに頑張って、ひたすらタイムを伸ばしてきました。


ですが、自分たちが最高学年になってから、今まで追っていたものがなくなり、挙句速くなってきた後輩に抜かされ、追いつかないとわかってからのモチベーションの下りようはすごかったです。


特に去年の冬季公認。僕の大親友のザッキーの引退試合だったというのに、隣で泳いでいた眞田に圧倒的大差で負け、その他のレースもしょーもないタイムばっかりで、本当に情けない姿を晒してしまったと思います。あの時はあと半年続けれる自信がなくて、本気で辞めようと思いました。


ただそれでも8月まで続けることができたのは、純粋に水泳が好きだったからです。


今後、もし水泳を諦めかけた時、自分が入部を決めた理由を考え直してほしいです。


入部を決めた時、どんなモチベーションで入ったのか、なんで数ある部活の中で水泳部を選んだのか、そこにはちゃんと理由があるはずです。


僕が知っている中に、健康的でありたいから、なんていうふざけた理由で入部した人はいないはずです。


ずっと続けてきたものをやり切りたいから

一度閉した道をもう一回歩きたいから

部活としての雰囲気が好きだから

水泳が好きだから



迷った時、立ち止まった時は初心に帰ってください。そうすればきっと続ける力が湧きあがります。



自分では見つけられない時はいつでも相談してください。死ぬ気で一緒に答えを見つけます。



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長々と語りましたが、満足したので最後にお世話になった方々へのメッセージで終わりたいと思います。




・OBOGの方々、寺井先生

多大なるご支援感謝申し上げます。今はなきOB係と副将として阪大水泳部の運営に関わってきましたが、ご支援のどれもありがたいものばかりでございました。私どもの活動は先輩方の支援がなければ成り立っておりません。この場をお借りして、感謝を申し上げます。




・1〜3個上の先輩方

上でも書きましたが、僕は先輩を頼ることが苦手だったので、あまり自分から関わりにいくことがなかったかもしれませんが、こんな生意気な僕を可愛がってくださってありがとうございます。特に1個上の先輩方には、めんどくさい後輩だったことは承知の上ですが、嫌な顔一つせず面倒を見てくださいって感謝しかないです。


Get Over


LEGEND


烈華



・3回生

偉そうな先輩たちはもうすぐ全員引退して、これからは君たちの時代です。正直頼らないところだらけで心配ではあるけど、それぞれの個性を最大限活かして、阪大水泳部を引っ張っていってください。

僕の言葉が野稲君に刺さってますように。


・2回生

幼かった君たちももう先輩です。先輩たちに着いていくことも大事やけど、自分たちの考えをもって、それにしたがって水泳生活をすごしてください。

各種目のエースレベルが揃ってる珍しい学年やねんから、阪大を最強のチームにしてください。


・1回生

まだそんなに深く関わる前に引退してしまったけど、まだまだ選手としても人としても力を蓄えてるやろうから、これから爆発させて先輩たちの度肝を抜いてあげてね。なっちーとこうき、俺に8継泳がせてくれてありがとう。




・同期

あゆむ

チームを引っ張ってってくれてありがとう。最初のベイマックス石井は正直びびりました。やっぱり同期の中やったら先導者はあゆむしかいなかったな。


りゅうき

一旦高校からの水泳部の付き合いはここまでありがとう。後輩やった時から結構頼りにしてたで。自分を犠牲にして笑い取りにくるのおもろいわ。コスパでよろしく。


きょうたろう

俺はあそこまで男女関わらずつっこんでいかれへんから、ほんまに尊敬する。一人暮らし始めたらいろいろ聞きます。吹田で待っててね。


はるか

女子1人でほんまによく頑張ったな。どんな会話にも興味なさそうに返事するところ結構推してます。


しゅんと

後輩まとめてご飯連れてく財力羨ましすぎる。水泳でもめっちゃ苦労したやろうに最後まで続けてくれてありがとう。今は大変かもやけど、落ち着いたらまた遊びに行こうな。


りく

練習中から帰り道まで1番長くおったし、いろんな話も聞いたし、俺の個人的な用事にも付き合ってくれたし、ありがとうね。うちの絶対的エースとして部を鼓舞してくれてありがとう。高校の時、話しかけて無視されたのは一生言い続けます。


じゅんせい

留学に行ってて一年過ごした時間が短いけど、それでもかなり充実した時間をありがとう。スーパー毒舌キャラはほんまにおもろいです。僕の中学の後輩たち共々これからもよろしくお願いします。


最高の仲間たちでした



・僕の師匠

名前は出しません。あなたに出会えて本当によかったと思ってます。ついていく人がおらず路頭に迷っていた僕を引っ張ってってくれてありがとうございました。ご飯はいつでもたかります。



・スミス

高校からやけど、結局今も一緒におるし、なんやかんやお世話になりました。院試受かってたらこれからもお世話になります。彼女できたら教えてください。全力でお礼言いに行きます。




・ザッキー

ザッキーが俺に思ってくれてるのと同じぐらい感謝に溢れてます。引退してからの一年、誰よりも近くで俺のこと応援してくれて、いろいろサポートもしてくれて、最高の親友です。ザッキーの引退試合でも今年の対抗戦でも不甲斐ない結果ばっかりで、最後まで弱かった俺やけど、ザッキーの憧れとして真っ当に選手生命を終えれたかな?水泳としてはこれで終わりやけど、死ぬまで頼るつもりなので、これからもよろしくお願いします。




・両親

僕のやりたいことを最後までサポートしてくれてありがとう。スクールまでの送り迎えとか、金銭面とか、いろんなとこで支えてくれたおかげで、心残りなく水泳人生を終えることができました。本当にありがとうございました。




個別にも書きたいところですが、文字数オーバーしそうなので、コメントくれた人にはLINEで返事したいと思います。

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最後に、僕を鼓舞し続けてくれたGRe4N BOYZの「僕らの物語」の歌詞をみんなに


〜これからの傍観者は

   これからの挑戦者(ぼうけんしゃ)へ

 強くなれ 強くあれ Until I die〜


全くチームに貢献できなかった僕でも、最後には誰かを感動させるレースをする人間に成長できました。


誰にでも強くなるチャンスはあります。今はスタンドで応援してるだけの人も、諦めずに最後まで自分の水泳人生を貫き通してください。


この言葉をエールとして送り、引退ブログを終わりにしようと思います。


本当にお世話になりました。

ありがとうございました。

水泳人生において出会った仲間、ライバル、すべての思い出に感謝を。


 

 Get Over

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2024年8月25日

岸本 武