2024年3月3日(日)を以て、大阪大学水泳部を引退し、長かった約20年の水泳人生に幕を降ろしました。
お疲れ様です。
元競泳面4回生の吉野裕貴です。
本日はいよいよ最後の引退ブログとなります。
僕の引退ブログはいつなんだと、いつになったら書くんだと待ち侘びていた方は、本当にお待たせしました。
申し訳ありません。卒論書いたり、遊んだりしてました。
やっと書きます。
時間をかけて書いたせいかおかげか、不要な部分はかなり削られました。
それでも長い気もしますが、最後までお付き合いください。
【目次】
[0]〜オープニング〜
[1]〜部活を続けた理由〜
[2]〜後輩に伝えたいこと〜
[3]〜メッセージ〜
[4]〜最後に〜
[0]〜オープニング〜
引退してからだいぶ経ちましたが、最後のレースについて書いていきます。
最後のレースは8Kで1泳を泳がせてもらいました。
自分の200mが終わり、タイムを見た時はベストではないと分かり、あぁ〜ダメだったかと、ショックを受けながらプールから上がりました。
その後は、続く椋太郎、あゆむ、たける、と必死に応援するのみでした。
きっとこんなに必死になって誰かを応援することはもう無いのだろうと思い、喉を振り絞って声を出しました。
たけるがタッチしリレーが終わった時は、ものすごく喪失感に襲われました。本当に終わったんだなと。
最後のお辞儀は、
自分を幾度となくどうしようもない気持ちにさせたプール、
いつも一緒に頑張ってくれて自分を沢山鼓舞させてくれた友達や同期、
自分をこんなにも慕ってくれて応援してくれる阪大の後輩たち、
自分のチーム以上に応援してくれる他大の後輩たち、
色んな事に感謝を伝えるように、水泳人生で一番深いお辞儀をしました。
レース後は控えに戻り、多くの人がお疲れ様と声をかけてくれたけど、最後の最後でもベストを出せない悔しさ、期待に応えられない情けなさで、うまく表情をつくることができませんでした。
それ以降は、とにかくこれからみんな頑張るんだぞと声をかけた記憶しかありません。
[1]〜部活を続けた理由〜
同期が関カレで、全国公で、インカレで引退していく中、どうしてこんな3月まで部活を続けたのか。
理由はいくつかありますが、一番の理由はまだ自分の水泳に、タイムに満足していないからです。
自分は自分に誰よりも期待をしていました。
だからまだできるんじゃないか、まだタイムを出せるんじゃないかと、練習を続けました。
良く言えば、自分を強く信じている。
悪く言えば、諦めが悪い。
ある物事対して、ここまで必死に、本気で取り組むことは最後だと思い、潔さなんてものは底に沈め、泥臭くもがいてきました。
じゃあ最後は満足できたのかと聞かれればそうではないです。
後悔だらけの水泳人生だけれど、ここまでやってきたことだけは胸を張って良かったと言えます。
[2]〜後輩に伝えたいこと〜
①妥協してはいけない
高い目標を立てれば立てるほど、取り組みに必死であればあるほど、後悔なく水泳人生を終えることはとても難しくなると思います。
しかしその後悔を最小限にすることはできます。
上手くいった時、成功した時は、どんな過程であれ美化されます。
ただ上手くいかなかった時、達成できなかった時、人はそれらの原因を他へ求め、必死に言い訳を探そうとします。
それは非常に格好悪い。
常に結果に保険をかけ、言い訳を探し続ける人生は、面白くない。
結局自分が納得しなきゃ、どうしたって満足なんかできない。
だから、成功や達成により近くなるような可能性の高い方を選び続けて、頑張り続けるしかない。
目標に向かって行う日々の行動は、未来の自分に言い訳をさせないための準備だと考えた方が良い。
これらを踏まえると、日々の練習は何一つ妥協はする必要ない!
もがいてもがいて頑張り続けろ!
②逃げてはいけない
目標を設定したなら、目標から目を背けてはいけません。
レースに出て、いけると思ったけど目標に近づけなかった。こんな目標無理かも。少し下げようかな。ショック。
そんな事はない。
高い目標を設定していれば、挫折しそうに諦めそうになることはきっとある。
けどその度に落ち込むだけで、何もしなきゃ前には進まない。
何回考えたって、結局必死にやらなきゃいけないってところに辿り着く。
だったら落ち込むのは一瞬で終わらせて、立ち止まる回数はできるだけ減らして、
目標に対しての正しい取り組み、結果に対しての正しい振り返り、をちゃんとやることに時間を割くしかない。
もし本当に挫けそうな時は僕に連絡してきてください。
その時は言ってあげよう、「君ならできる!」と。
③「今」から全力でやりなさい
何かを始めることに遅いなんてことはない、と世間ではよく言います。
何歳からだって英語を勉強し始めたらいいし、いつからだって新しい事に挑戦してもいい。
これらは正しいけれど、これらには期限がありません。だからこのような事が言えます。
みんなの大学の水泳は4年間という短い期間で終わりが来ます。
また、多くの物事の場合、目標が達成できない大抵の理由は、その人に能力が無いからではなく、時間が足りないからです。
一番身近なもので言えば、勉強量が足りてないから浪人するんでしょう。
水泳でも同じ事が言えます。
いつ終わりが来るかは入部した時から分かっているはずです。
自分に才能が無いと思うのなら、頑張らなきゃ達成できない目標なら、絶対に叶えたい願いなら、
今この瞬間から一つも手を抜かず、やり抜く覚悟を持つ必要があります。
その事にできるだけ早く気づき、覚悟を決めることが目標達成へのスタートラインだと思います。
[3]〜メッセージ〜
①両親
自分がここまで水泳できたのも、水泳に興味を持ったのも、不自由なく水泳に打ち込めたのも、こんな頑張れるような性格になったのも、すべて親のおかげです。
父は愚痴愚痴うるさいけど、高校までのお金は常に出してもらっていました。
母は練習の送り迎えをしてもらっていたし、レースは必ず見に来てくれました。
大学生になってからは毎朝自分で起きています。
遅刻ギリギリばっかだった昔の自分では考えられないことです。
朝練やレースの時どうせ自分は車で寝るだけだったのに、朝中々起きない自分は何度も怒られました。
まじでアホなことしてんなって思います。
練習が遅くてもご飯を作ってくれたし、いつも自分の生活に合わせてばかりいました。
母にはほんと頭が上がりません、今まで本当にありがとう。
②先輩
どこにでも連れ回し、面白い話をし、お世話してもらって、最高の先輩たちでした。
レース前になったらいつもLINEをしてくださったり、卒業してからもご飯に誘ってくれてくだらない話をしてくれました。
これからもお願いします!
自分が先輩にしてもらった数々の事をまだ自分は後輩にし切れていないので、まだまだ恩送りしていきますね。
③同期
同期にはいつも迷惑をかけ、わがままを聞いてもらってたように思います。
ややこしい人間が集まった十数人でよくここまで来たなと常々思います。
集まり悪いし、まとまらないし、なんかよく分かんないけど、最高でした。
一緒に4年間を過ごせて良かった。
最後の引退レースを見に来てくれた人たち、本当に嬉しかったです。
どんな形であれ自分の為にお金や時間を割いてくれるような友達は絶対大事にしなきゃなって思います。
④3回生
君らが入部したての時は、君らにかっこよく映ろうと必死でした。
偉そうに言うと、みんな成長したなって思います。
一生懸命に水泳部を引っ張るのを近くで見ていて、手を出しそうになりつつも我慢する親の気持ちでいっぱいでした。
後1年って言いそうになるけど、もう半年しかないから、死ぬ気で結果出しにいってください。
⑤2回生
心配になることが多いけど、一番上の回生になれば頼もしくなるかな?
うん、もっとしっかりね。
⑥1回生
同期がみんな引退してからは君たちの成長を見るのが、成長させるのが、自分が水泳部にいる意味や意義でした。
それを最後まで近くで見れないのはとても残念です。
速報を楽しみにしています。
ちゃちゃっとでかい目標叶えてください。
⑦他大の先輩同期後輩
まるで一緒の大学で同じチームかのように接してくれて、とても楽しい時間でした。
今でも連絡くださる先輩方、引き続き遊びましょうね!
後輩に関しては、阪大水泳部と同じくらい応援しています!
⑧寺井先生を始めとするOBOGの方々
OBOGの方々、数々のご支援を本当にありがとうございました。
この場をお借りして御礼申し上げます。
これからは自分もOBの一員として務めて参ります。
そして寺井先生、プール再建の件が一番印象的ですが、寺井先生が水泳部の為にここまで行動してくださったおかげで今の水泳部があると思っています。
本当にありがとうございました。
[5]〜最後に〜
阪大水泳部の一員であれたこと、主任としてみんなと関わらせてもらえたこと、これは人生の誇りです。
水泳を通して出会えた人たち、水泳を通してしか見れなかった景色、すべてにありがとう。
これからはまた別の道で頑張ろうと思います。
コメントをくれた方にはLINEにてお返事させていただきます。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
はんだ〜い、ふぁいっ!!
吉野裕貴