お疲れ様です。
競泳4回生の長野冬瑚です。
こちら、引退ブログです。
去年、先輩方が引退されてこの引退ブログで何書こうかなとか、引退式でどんなこと言おうかなって考えてたら1年が過ぎてました。3回生のみんなも注意してください。
少しだけ自分の大学水泳思い出の試合と共にを振り返ろうと思います。
【遅れて入部編】
僕は、中々覚悟が決まらず入部は1回生の12月末でした。集合写真とかで4回生なのに青色のポロシャツを着ていたのはこれが理由です。
入学した時はそんなに水泳をやるつもりもなく、バレーサークルでテキトーにあそぼっかな〜くらいにしか考えてませんでした。
でも、1回生の半分が終わった頃、苦しいと感じる瞬間がないことに気づいて、あんまり生きてる心地がしなくなり、天井を見上げる日々が続きました。
そこからはなんだかんだで泳ぎたくなってきて、遅れてだったけど強い覚悟を決めて入部しました。
やると決めたからには全力でやろう。
この時の気持ちが切れたことは一度もありませんでした。
そして入部すると先輩にすごい人たちばっかりだし、同期の人数も多いし、あっという間に後輩できるし、自分たちでメニュー作ってるのにめっちゃきついし、刺激的でキツい日々ばかりで僕のまさに求めている生活そのものでした。
【主人公が何かに気づいた瞬間編】
2回生の夏季公認、久しぶりの短水路。
結果は 100Ba失格!
潜りまくってやろうと思って飛び込んだら20m近くバサロしてました。でも1分が切れたことの方が嬉しくて悔しさはなかったです。
と同時に
短水でインカレ100Ba切って、歴代1位出すと目標を決めました。そして4回生夏までの流れを作り具体的なアクションプランまでレールを作っておくことにしました。
①知識が足りてないので、叩き込む。
→Youtubeで死ぬほど背泳ぎの動画見て勉強しました。多分ほとんど全部上がってる動画は見ちゃいました。朝練行く前のご飯食べてる時に見て練習中のドリルで試したりしてました。特に阪大はコーチがいないので自分で取り入れるしかなかったです。
②何が足りないかを明確にして、補う。
特に100の短水路ならバサロでMax60%も潜れるんだしUWの強化は必須だったので練習。潜りまくるための体力、フォーム、スタートの練習、筋トレなどなど。
③ひたすら泳ぐ、筋トレする。
結局体力ゲーな水泳はこれが一番大事なことだと3年目にして気づきました。でも、きっと①、②の流れがあっての③だったかなと思います。
簡単にまとめるとこんな感じで、毎試合毎練習②、③を繰り返してました。
洋介さんたちもあっという間に引退。
【2回戦あたりの強豪を倒すも自分の弱さに泣き崩れ強くなると誓う編】
3回生の6月、金沢オープンでメリレでインカレ破れた時はすっごい嬉しかったです。個人のタイムとしてもヨシ^_^_^_^って感じでしゅんぺいさん抱き合ってました。
先代の方々の背中が、あこがれの背中が、承さんの背中が、すこーしだけ見えてきたのに、長水のシーズンが始まって全然ダメでした。
1個上の代の方々の前であんまり強い姿が見せられなくてそれが悔しくて試合のたびに辛かったです。メリレは最下位とかでたいごさんに引き継ぐこともあって申し訳なさでいっぱいでした。
こんな弱い主将の自分を変えたくて、
焦りと不安の中、「今年は俺の年にしてやる」って誓ってました。ついでに俺がスローガンも決めてやるって。
令和とは思えない、2/7坊主。
このラスト1年は結果で示そうと。
眠い目をこすって朝練に行って、実験終わったら筋トレしに行ってみたいな生活をしてました。きちんと水泳に捧げる時間を増やしました。
よくよく考えてみたら、それまでは考えが甘かったんです。なんの犠牲も払わずに速くなろうとし過ぎてたんです。
【やっぱりまだ修行が足りず敵が強かった編】
でも冬、春はあんまりタイムが爆伸びしたりはしませんでした。この時は焦りまくってました。
色々試行錯誤しながら、迎えた夏季公タイムトライアル。
メリレでは切れたけど、個人で切れず。周りは喜んで、祝福してくれる中、自分は全然喜べなかったです。今年も金沢行き確定かぁ。とうとう追い込まれたか。。。歩に先いかれた。。。
この時が一番辛かったように思えます。あとちょっとが切れない、、、。。
【ラスボス編】
金沢オープンまでの日々は正直不安で、2週間でどこを直そうとか考えたけど、メンタルで持っていくしかないんだなと。
前日、3時くらいまで寝れませんでした。目を瞑ればレース中のこと考えちゃって。招集所でも心臓バックバク。レース直前のきょうたろうに過去1緊張してるって言ったのを覚えています。
タッチしてからは叫び散らかすくらい嬉しかったです。この日のために頑張って来たんだって心から思えました。
いっぱい色んな方から祝福してもらいました。改めてこんなに応援してくれてたんだと。
【まだまだ敵がいてボッコボコにされる編】
長水のシーズンが始まってからは微妙なタイムばかりでやっぱり太刀打ちできなかったです。ピッチ遅すぎ問題は解決してなかったし、9位も2回取ったし、悔しいまま引退でした。そううまくはいかないのが人生ですね。
心残りは多少あるけど、期限付きだったから頑張れたところもあります。
そんなこんなで気持ちよく引退!満足!ってわけにはいかなかったけど腹八分くらいには満たされて終えることができました。
欲張りはよくなかったですね。面高さん。
主将としても学び多き一年でした。。。。
ついていきたいリーダーってどんなだろう。けいごさんの言ってた愛ってなんだろう。
色々悩んだりもしたけど、、
って書きたいけどあんまり悩むことなく、慕ってくれるみんなのおかげで楽しくやり切れました。
主将でもうちょっと書こうかと思ったのですが、主将あるあるを言い出したら止まらないので、機会があれば歴代主将の方と古今東西でもしようかなと思います。
引退ブログはあとちょっとで終わります。
((短めのメッセージコーナー))
両親へ
金銭的にも精神的にも支えてもらいました。特に大きい怪我もなく、成長し続けられました。
小さい頃に何気なく始めた水泳を気づけば20を超えた今でも続けています。そんな水泳に出会わせてくれてありがとう。こっそりとした応援もありがとう。少しずつ親孝行していきます。
先輩方へ
大変お世話になりましたし、一部の先輩のお世話もしました。本当にありがとうございました。これからも同じOBとしてお世話になります。僕もお世話します。
後輩ちゃんへ
こんな主将について来てくれてありがとう。船長自ら船を降りさせてもらいます。
3年間通して感謝だけは忘れないようにしてください。僕はお辞儀の角度でしか示せなかったです。声にしてきちんろ言いましょう。ありがとうと。そうすれば応援してくれる人が、居続けてくれるはずです。
他大学みなさまへ
これからも仲良くしましょう。出会えたことは何かの縁だと信じてます。遊びましょ。
後輩の子達は特に自分の孫のような気持ちで応援しています。阪大にいい刺激を与えに来てください。僕にでもいいので連絡ください。
同期へ
名刺ください。
最後に
OBOGの皆様、寺井先生、本当にありがとうございました。主将になってから、支えてくださる皆様のありがたみをより一層感じました。試合など見に来て頂きありがとうございました。これからも頑張る現役部員のご支援をよろしくお願い致します。
烈華っていいスローガンだったな、我ながら。
Get over
LEGEND
烈華
長野冬瑚