お疲れ様です、競泳面4回の北條です。
夏季長水路公認記録会をもって選手を引退しましたが、縁あってインカレに付添(カメラマン)として参加させていただきました。
動画とかで観たことのある人の泳ぎが生で見れるって、想像以上に貴重でした。予選からめちゃくちゃ面白かったです。
最後の最後に自分のなかでとてもいい想い出ができました。枠を提供いただいた皆さんに感謝いたします。
正直、引退の実感はあまり湧いていません。
なんだかんだ最後までいたな、っていうのが素直な感想です。
決してレベルは高くないですが、やっぱり泳ぐこと・水泳が大好きみたいです。
引退ブログですが、以下3点で進めさせていただきます、お時間あるときにどうぞ。
1.引退レースを振り返って
ホントに本番に弱かったですね、自分。
MRは初めてスタート失敗するし、200は最初から最後まで足動かないし。はるきにもしゅんとにも相手にされませんでした。
改めて、たいごやななの勝負強さの凄さをひしひしと感じました。
退水してから家帰るまで、ずっとどんな顔していればいいのか分かんなくて。写真とかも撮らずに先に帰っちゃいました、ごめんなさい。
暗くなっちゃうんで、ここで止めときます。
2.競泳について
自分自身、競泳を始めたのは高校生からでした。
大阪大学体育会水泳部の中では、歴はかなり浅いほうなのではないでしょうか。
高校時代は練習がどんなものなのかもハッキリ分かってない状態から、先輩や同期に手取り足取り教えてもらった記憶があります。
何か得意な泳法があるわけでもなかったので、顧問からIMやれと言われて、そこからずっとIMやってました。
2年ほどで2'30"割るかどうかくらい(確か割れてなかった気がするけど)まで来れて、水泳部を引退しました。
ここで正直な話「競泳はもういいかな」って思っていました。特段、面白みを感じていなかったからです。
なので大学でも競泳を続けるとは思いませんでした。ましてや体育会だなんて。
しかし、入学して最初に自然と水泳部の勧誘ブースに足を運んでいました。明確な目標もなく、モチベーションもそこまで高いわけではなかったですが、当時の3回生から言われた一言に火をつけられました。
最初は練習弱いなりに頑張っていたと思います。
体力も戻ってないし、今まで経験していた練習よりもはるかに質も量も高い練習が続いてしたけど、全部が新鮮ですごく楽しく打ち込めていたように思います。
そんなときに知ったのが全国公でした。
阪大だと標準が少し緩くなるよと聞いてから「あれ、これいけるんじゃね」って思って、それを目標に練習しました。回れないかもしれないっていうサークルでも割と積極的にいっていたと思います。
そんな中、突然練習や試合が次々となくなってしまいました
けど当時はそこまで凹まなかったですね。家で筋トレしたり、走ったりしてモチベーションも高かったと思います。
しかし、2回生後半から3回生の最後まで全然練習が楽しくなくなってしまって、平気で逃げてばっかりな状態になってしまっていました。
明確な理由があったわけではないです。単純に自らの意思の弱さであったり、周りとのレベルの違いに勝手にうんざりしていたんだと思います。
気づけば同期はみんな対抗戦で入賞したり、得点を持って帰ってきて、そんな話で盛り上がっているのをみてると、ますます「自分何してんねんやろ」って思ってました。
3回生後半は辞めることしか考えてなかったです。
前主任とは対称的ですね笑。周りはどんどんいなくなっていく。そんなつもりはなかったと思うけど、疎外されている感とか。
一時は面隊長を任されたりもしましたが、ほんとに辛かったし、嫌だったし、頼れる人もものもなかったし、なんの自信も持てなかった。
「黙って泳いで、速くなればええやん」
こんなことを言われてしまったら、それこそ阪大水泳部じゃなくていいやんって思ったことは今でも覚えてます。
4回生の春短で黙ってフェードアウトしようとか思ったりもしましたが、やっぱり目標を突破してないままは辞めれないと思って続けました。
そんな中で、夏季公は何か変わった感じがしました。大した記録ではないけど、それでも嬉しかった。団体権とはいえど、ちゃんと全国公出場っていう形で残ったのは、今思い返してもホントに良かったと思います。
帰ったらみんなが自分以上に喜んでくれているのを見て、ほんとに耐えてよかったなって実感しました。
ただ、僕の4年間の中での1番の反省点はここからです。ずっと目標にしていたことを達成した途端に切り替えられなかったのが、ラストシーズンのタイムに出てしまったんだと思います。
それこそ1~3回生の間はただみているだけだった、対抗戦にも枠をもらって出させてもらったにも関わらず、です。
得点こそできるような実力はなくとも、ベストを出してみんなを後押しできればいいなと思って臨んだレースでしたが、結局ベストは5レース中1つだけでした。
こればっかりは心残りです。
応援してくれてた選手やマネージャーにちゃんと結果を出して返したかった。
こんなパッとしない感じでしたが、やっぱり僕は水泳が好きです。
これは変わりません。
引退した後も泳ぎます。レースも出ます。
ちゃんとFr練習します。
自分語りが過ぎました。もうこれで最後です。
3.水泳部に思うことと、自分の今後
大学に入ってまで部活として水泳を続けている時点で相当な変わり者の集まりです。そんな集まりだからこそみんな真剣だし、本気です。
どんなレベルでもいいじゃないですか。自分なりの目標を持って、それを達成するためだけにひたむきに進めるってかっこいいです。目標の価値はみんな各々に平等だと僕は考えています。
その一方で、チームの中で思い通りにいかないこと、納得できないことなども、多々あると思います。
自分は幹部の立場でもない、部内のムードメーカーでもない、チームの主力選手でもない一部員でした。そんな僕でも少しは考えたつもりです。
水泳部で知らないことはいっぱいあります。
もしかしたら今なお勘違いしていることがあるのかもしれない。
けど、やっぱりもっと楽しく(楽して、ではない)できたんじゃないか、失くさずにすんだんじゃないかとどうしてもチラついてしまいます。
ただそんなことがあったからこそ、この水泳部でたくさんのことを経験して、色々な考え方や視点を得られたと思います。
それは必ず今後の財産になると信じています。
ここまで読んでいただいた皆さんは気づいているでしょう。
この人メンドイなって笑
そんな僕にいつも変わらず接してくれた水泳部のみんなには感謝しかないです。
本当にありがとうございました。また試合結果等々、SNSの更新などで見ています。頑張ってね。
次の自分の目標は「フルマラソン・トライアスロン制覇」と「社会人選手権出場」です。
前者は具体的なタイム設定などまだ無知なので、やれるだけやってみます。元陸上マラソン以上専門(自称)、走れるのか。
後者はかなりハードル高いです、むしろ越えられない気がします笑。が、やってみます。必然的に苦手なスプリントに挑戦です、楽しみ。
部員ひとりひとりにメッセージは書ききれないので残しません。
コメントしてくださったものには必ず返事します。
先日、大学院の合格を頂いたので、残り2年半は大阪にいます。
基本石橋もしくはその周辺にいると思うので、いろいろ誘ってください。
関わってくれた他大学のみんな、本当にありがとうございました。合同練で一緒に練習してくれたり、試合で声かけて応援してくれたり、メッセージ送ってくれたり、嬉しかったです。
お世話になった先輩方、最初の頃は心開かず、たくさんのご迷惑もかけてしまったかと思います。親身に相談に乗ってくれたり、なんでもない話を聞いてくれたり、ご飯に連れて行ってくださったこと、ほんとうに感謝しています。いつでも連絡ください、飛んでいきます。
(もう3年経ってるっておそろしい..)
そして、競泳関係で関わってくださった皆様、本当にありがとうございました。
学生水泳は終わっても、何かしらの形で続ける気持ちでいるので、そのときはまたよろしくお願いします。
最後になりましたが、OBOGの皆様、陰ながらのご支援本当にありがとうございました。様々な面で支えていただいたからこそ、総じて納得のいく4年間を過ごすことができました。今日から自分もOBとして大阪大学体育会水泳部の行く末を見守る側にまわります。至らない点も多いかと思いますが、今後もどうぞよろしくお願いいたします。
本当にステキな想い出になりました、ありがとう。
最後に僕が好きな写真を添えておきます。
以上です、失礼します。
虹/Greeeen/AAA
北條拓也
2022.09.01
P.S.
もし任意の試合で会ったら、やさしくしてください。