雪と鏡と虚無 | 大阪大学体育会水泳部のブログ

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大阪大学体育会水泳部のブログです!‍今年のスローガンは【百尺敢闘】チーム一丸となり到達しうる極限まで果敢に闘い抜きます!

お疲れ様です。自己紹介以来のブログになります、2回の杉山です。

今日は朝練に参加しなかったのでB面のメニューはご紹介だけさせていただきます。

 

 

個人的にはキック100m4回2セットがとてもしんどかっただろうなぁと思います。

フィンがあるとなんとかいけるのでしょうか?私はまだまだ器具に対する理解が足りていないです。

 

それにしても暑いですね。

もう10月も半ばだというのに陽の下は半袖でも汗がにじみ、地上の事は知らぬ存ぜぬ秋風が、気まぐれに頬をつたう雫をさらっていくのを待つばかりです。

 

昨日ブログを頼まれて、何について書くべきかと一晩考えていましたが、特に身の回りのことは思いつかなかったので、数少ない水泳部の文学部生として、好きな小説のご紹介などさせていただこうと思います。

 

表題を読んで伝わる方ならもはや説明は不要でしょうか、今回紹介させていただくのは川端康成の『雪国』でございます。

 

 

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」

 

という言葉から始まる冒頭は有名で、読んだことがない方でも知っているかもしれません。

ここに、

 

「夜の底が白くなった。」

 

という、「新感覚派作家」川端康成ならではの雪と夜の描写が続き、読者を作中世界へと引き込みます。

 

川端康成『伊豆の踊子』の冒頭、

 

「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。」

 

にも見られるように、「新感覚派」の描写は、現実を感覚的に描き出す表現方法が特徴的です。

 

そして、広く指摘されている通りですが、この作品の味わい深い点は、「情景描写」でしょう。

川端の独特ながら事実ありのままの自然描写は文学の「美」の極致であって、描かれた雪の冷たさ、静けさは芸者駒子の情熱的な愛に、文筆家島村の透き通るような虚無に、作中で共鳴し合い、彼らの心情を美的に抽出してゆきます。

 

・・・

 

こういう紹介はまずあらすじや登場人物の紹介から始めるべきものだったかもしれません。ただ、あまり多くを説明してはかえって読む気を失わせてしまうのではないかと、どこまで切り込むべきか、なかなか悩んでしまいますね。

 

あらすじ兼人物紹介としては、

「妻子を持つ文筆家島村は、度々雪国へ赴き、芸者駒子へ会いに行く。駒子は島村を熱烈に愛しており、二人は毎晩のように夜を共に過ごすが、島村は行きの汽車で見かけた、駒子の知り合いで哀しいほど美しい声を持つ葉子へ心を惹かれる。ただ、島村はどこか虚無的な目で二人を、温泉町を、自然を見つめており、透き通った鏡のような心が、それらをただ純粋に映し出してゆく。」

といったところでしょうか。

 

愛の物語でありながら、島村の心の空洞故かドラマティックな出来事がほとんど起こらない、というのも本作の特徴の一つでしょう。

先に述べたように、読者のそばに立つ島村は鏡のような男であり、私たちは彼の鏡をのぞき込むことで駒子の愛を感受します。「出来事」という心理の外にあるものが島村の心を動揺させることがなく、同時に私たちの視点が揺れ動くこともないために、雪国の静寂の中に、純粋な愛の美が表出しています。

 

そんなものですから、高校時代に友人にこの本を紹介したことがありましたが、彼女は退屈で読み切れなかったと私に告げました。人を選ぶところはあるかもしれません。

 

・・・

 

少し長くなってしまいました。

 

今回は長編小説から自分が一番好きな作品をご紹介させていただきましたが、(文庫本1冊程度ではありますが)長く、気軽に読めるというものではありませんから、次回ブログを書かせていただける際には短編小説からご紹介してみたいと思います。

今回の作品でいくと、同作家の『伊豆の踊子』は短編小説で似た風情を持つ作品ですから、気軽にお読みいただけると思います。

 

初めての試みで、あまり上手にできなかったかもしれません。少しでも「読んでみたいな」と思っていただけたなら幸いです。

 

明日のブログは明日の朝練に参加している1回生さんの中から指名します。

 

それでは。