お疲れ様です。2回の山田です。
冬季公認が終わりました。シーズンを終えてから初めての全員参加の試合、手応えはいかがだったでしょうか。
僕はというと、なかなか課題の残る試合になりました。ベストは初ベストだけで、専門は鳴かず飛ばずな感じ。後半いつもより上げれたりと収穫はあったので、強練前、京短で一発景気付けのリベンジしときたいです。
PINDS卒業試験もとっても盛り上がりましたね。めっちゃ気合い分けてもらいました。
IM記録会で「30秒は割れんかったけどPINDS全員にゃ勝てたからまだ耐えてる」とか舐めたことを考えていたら、ものの見事にごぼう抜きされました。曲がりなりにもIMの名を冠したfilm面に在籍しているので、それに恥じないタイムを出したいです。練習の2コンから頑張ります。
こんな風にブログ書いてる時、あるいは練習、試合の振り返りを書いてる時、「これ言いたいこと伝わってるかなぁ」といつも不安に思います。誰だってそうだと思うんですけれど。
予備校時代の先生が、自嘲気味にこんなことをおっしゃっていました。「文学界において、1番高尚なのは詩人。次に小説家。その次に評論家や研究者がいて、1番下に私たちみたいな予備校教師がいる」
「いかに、短い文章に自分の思いを詰め込められるか」、そんな観点、才能が、詩人という人物を最上位まで高めているのだと思います。その下に小説という長い(あるいは説明的な)文章を綴る人がいて、また、それを研究、他人に教える人たちがいる。
でもその話を聞いた時、「別にそんな先生自虐的にならんでもええやん、研究書や授業聞いて詩や小説の新しい楽しみ方が分かるときもあるし、噛み砕いて教える、ってのもとっても難しくてすごいことちゃうん」と思いました。
これ、僕が短距離苦手なやっかみ半分もありますが、競泳においても、「短い距離に自分のパワーと技術を詰め込められている」という点で、短距離選手を僕は本当に尊敬しています。なに長距離選手気取りしてんねんというツッコミはとりあえず置いておいて。
さて、短い距離に全てを込める短距離選手や、長い距離を華麗に泳ぎきる長距離選手。その泳ぎを研究する人たちは、その泳ぎを言語化する行為は、自虐しないといけないような人たち、行為なのか?「そんなわけないだろう」と言い切ります。仮にも研究畑を垣間見てる身としてはその行為を否定したくはない。
確かに感覚と言語化した言葉はズレがあるけれど、課題や改善点は絶対明確になる。あるいは浮き彫りになる。そりゃ言葉にせずとも理解できる人もいるけれど、万人に伝えられるわけじゃない(言葉にすることで万人に伝えられるのか、という懸念はひとまず置いて)。「大学競泳」をする身にとって、泳ぎを言葉で伝えられることは、きっと大切なことです。これから先の人生で、程度の差はあれ、研究的、教育的なアプローチも含めて競泳に関わっていく、関わっていきたい僕たちにとって。学生時代の青春の1ページとして競泳を自身から切り離すことができるほど、僕たちは若くなかろうと思っています。
というか、泳ぎも綺麗で言葉にも表せる人って「強か」ですよね。つよいって言うより、したたか。転んでもタダじゃ起きない感じ。なんとなくですけれど。
そんなこんなで今、いろんな方から頂いた冬季公認でのアドバイスを、なんやかんやと自分の言葉に、そして自分の感覚に移そうとしています。他人の感覚を言葉にしてもらって、その言葉を自分の感覚にする感じ。自分だけの反省よりなかなか難しい作業です。そう、伝えるだけじゃなくて、読み取ることもできないといけない。難しいなあ。
日々のみんなの振り返りをこっそり「詩人タイプ」「小説家タイプ」とか勝手に分類して楽しんでいます。僕自身は詩人タイプを目指していますが、やっぱり才能が足りないみたいです。
人には人の振り返り、ということで。
なにが言いたいっていうと、大学水泳して良かったと思ってるし、もっと楽しみたいってことです。伝わってるかな。伝わってるといいな。「伝わるかどうか怖い」という思いは、しばしば「伝わって嬉しかった」経験によってかき消されてしまいます。
それはそうと、最近のPINDSメニューの名言コーナーを密かに楽しみにしています。というわけで(どういうわけで)今日の名言コーナーです。
「抽象的で簡略な表現の賞賛こそ愚かさの起源であり、忍耐を知らぬ者が犯す過ちである」by レオナルド・ダ・ヴィンチ
身に染みますね。
今日の朝は少し暖かったですけれど、また寒くなるみたいなので、明日のオフでしっかり休んで体調整えて、また頑張っていきましょう!
水曜日のブログはゆかにお願いしています!