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半田カメラ/気になったら とりあえず行ってみるブログ

フリーカメラマンで大仏写真家の半田カメラが、
「気になったら とりあえず行ってみる」
をモットーに、彷徨いつづける日々の記録です。

「岡山県倉敷市真備町」

この地名、わりと最近に耳にしたなと思いませんか?

それもそのはず、昨年の夏に大規模な冠水被害が起こり、

大きな被害があった地域です。

 

実は私、くしくも昨年の夏、

この真備町に磨崖仏があるということで、

会いに行こうと秘かに計画していました。

 

ところが7月にあの災害があり、翌8月に行くというのは…

ボランティアならともかく、観光というのはいかがなものか。

と、さすがに断念したわけです。

 

そんなことがあっての今年1月。

四国の旅の流れで倉敷に寄れるなと睨んだ私は、

帰りルートに半ば無理矢理に倉敷を設定。

立ち寄ることにした…と、今回はそんなお話しです。

 

 

さて、会いたかった磨崖仏とはどんな磨崖仏か。

毘沙門天磨崖仏(びしゃもんてんまがいぶつ)です。

 

岡山市から倉敷市、総社市、真備町にかけての山々は、

古くから信仰の対象とされていたそうで、

それに毘沙門天信仰が結びつき、

いくつかの山には毘沙門天が刻まれ、いまも残っています。

 

複数あるので「岡山 毘沙門天磨崖仏巡り」

もできますが、今回はその中のひとつ、

石鎚山の山頂にある石造毘沙門天立像

(せきぞうびしゃもんてんりゅうぞう)に会いに行ってきました。

 

 

このブログを読んでくださっている方はご存知でしょうが、

本当によくあることですが、

今回も事前に詳しい住所は解りませんでした。

 

「倉敷市真備町尾崎」

 

ということしか解らず、何か目印になるようなものはないか…

と探しながら車を走らせていましたので、

最初に上の写真の「毘沙門天立像

の看板を見つけられていなかったら、

きっと毘沙門天には会えていなかったと思います。

 

 

「次なる看板はどこだ…」

と、まるでヘンゼルとグレーテルが目印の小石を探すような…

また解りづらい例えですが、そんな少し心もとない気持ちで、

案内看板を探しながら進みました。

 

看板は大きな道から小道に入り、

どんどん住宅地へと誘っていきます。

 

そしてついに

 

 

「そんな家と家の隙間的なところ…?」

を指すに至るわけです。

 

ここが正式な登山口なのか、看板の下に

「ご自由にお取りください」

と書かれたポストがありました。

 

中にパンフレット的なものが…!

と開けてみましたが

 

 

中にはなにもなく…

のっけからちょっとショボーン…。

パンフレット的なもの欲しかったな。

 

まぁ、それはいいとして。

大事なのは、この住宅地から登山がはじまるということ。

ここから先は車では行けません。

周辺には駐車場も見つけられませんでした。

ですから、駅から徒歩で行った方が安全かもしれません。

ちなみに最寄り駅は井原鉄道の「備中呉妹」駅だと思います。

 

私の場合は車でここまで連れて来てもらい、

ここから徒歩でひとり山頂を目指しました。

 

 

家と家の隙間的な道を進むと、空き地のような場所に出ます。

左手を見るとこれまでと同じ

「毘沙門天立像

の看板が小さく見えていて、アッチだなと解ります。

 

ここから先は完全な登山道になります。

 

「毘沙門天立像

の看板を探しながら、薄暗い山道を進むこと…

8分くらいかな。

 

前方にいかにも神か仏がいらっしゃるような光景が見えてきました。

 

 

 

「毘沙門天は近いかも!」

と淡い期待を持たせる光景ですが、

ここから急勾配がはじまります。

 

絶対にヒールがある靴なんかでこの先は進めません。

だってこんな感じだから。

 

 

ロープをつかんで登らないとズズズと滑ってしまうような急勾配。

これがしばらくつづきます。

 

久々のアドベンチャーな感覚です。

ただ、かかる時間がそこまで長くないので、

私はさほどツラくはありませんでした。

 
ロープをつかみながら登ること7、8分くらいかな、
住宅街の登山口から15分ほど経ったころ、
毘沙門天が刻まれているらしき巨石が見えてきました。
 
 
 
上の部分にチラリと毘沙門天が!
 
見えて来るとガゼン勢いがつきます。
一気に巨石にむかってラストスパート。
 
20分ほどの登山の末お会いした、
石鎚山の山頂にある
石造毘沙門天立像の全貌とは…!
 
 
 
元々の色彩なのか、後から修復されたものか、
定かではありませんが、赤の色が残る毘沙門天像が、
晴天の空の下でクッキリと浮かび上がっていました。
 
幅、高さともに4メートル、奥行き3メートルの巨石。
そこに彫られた毘沙門天は1.8メートルとほぼ等身大ですが、
巨石の迫力か、山頂まで登ってきた高揚感か、
迫力はそれ以上に感じられました。
 
像立された時期は明らかではないのですが、
室町時代末期から戦国時代頃のものと言われているそうです。
 
 
甲冑を表現しているんでしょうが、
ポッコリとしたお腹部分がとてもキュート。
 
 
踏まれている邪鬼もなんだか組み体操っぽくて、とてもキュート。
個人的にはそんな可愛らしさが印象に残りました。
 
 
こんな高い場所にこんなものを作るのは、
それ相当の苦労があったのではないでしょうか。
 
ここからの眺めもなかなか素晴らしいのです。
昨年夏の災害時には、毘沙門天さまも(もしかしたら邪鬼も)
心を痛めながら町の光景を見ていたかもしれません。
 
そんな少し切ない気持ちになりながら、
しばらく景色を見ていましたが、
いつまでもここに居るわけにはいきません。
また来た道を戻るわけですが…
 
 
下りの方がダンゼン恐ろしく感じる急勾配。
この急勾配を下るのかと思うと、ややゾッとしたという…
四国から最後は岡山に至った、旅の最後だったのでした。
 
 
穴あり、謎の観音あり、生木地蔵あり、絶景鳥居ありの
今年1月の四国の旅日記はこれにて終了です。
無事に山を下りまして、この後は関西へと向かいます。
 
次回は関西のどこかの大仏さまのことを書こうかな…
まだ決めておりません。
どうぞまた気長にお待ちください。

「インスタ映え」が新語・流行語大賞に選ばれたのは2017年。

2018年には「映える」という言葉が、

今後の辞書に掲載されてもおかしくない言葉として、

「今年の新語2018」に選ばれています。

 

そもそも私は学校を出てからずっと写真に携わる仕事をしてきたわけで、

「ばえる」を意識しつづけてきた半生と言っても過言ではありません。

 

いまやライフワークとなっている大仏巡りもそもそもは、

「巨大仏ほどフォトジェニックなものはない!」

という結論に自分の中で達し、はじまったものです。

 

今回は大仏ではありませんが、

「天空の鳥居」

とインスタ等のSNSで一躍話題になった、

高屋神社の本宮がどれだけ絶景なのか、

実際に行ってみたお話です。

 

 

香川県観音寺市にある高屋神社は、

標高404メートルの稲積山の頂上に本宮があり、

これが「天空の鳥居」というハッシュタグで広まり、

近年人気が爆発しました。

 

恥ずかしながら私もSNSで初めて存在を知り、

一度その絶景を拝んでみたいと思っていまして。

前回のブログに書いた生木地蔵が観音寺市にあったので、

生木地蔵を参拝後、カーナビに「高屋神社」と入れてみました。

 

するとカーナビが連れてきてくれたのがここ。

 

 

わかりますか?

山の頂上付近に白いものが見えるのが。

 

頂上部分を拡大します。

 

 

え、

あれが天空の鳥居…?

 

標高404メートルの稲積山の山頂…

これ、いったいどうやって登るんだろう。

 

あそこまで行ける気がしない。

 

いつものことなんですが、

私は旅の前にあまり下調べをしないことにしています。

旅のドキドキが減ってしまう気がするからです。

 

ですからこの高屋神社への行き方も、

事前にきちんと調べていませんでした。

ここまで来てはじめて調べました。

ここからどうやってあそこまで行くのか、と。

 

調べてみると、下宮から中宮を経緯して山道を登り、

270段の心臓破りの石段を登った先に本宮がある

のだそうで、徒歩で50分ほどかかるというのです。

 

いや、50分かけて登るべきなのは解っています。

その方が出会った絶景もさぞ美しく見えることでしょう。

 

ですが、こちとら幼い子連れ。

絶対に自分では登ってくれない我が子…

子供背負って270段…

 

死にます。

 

途中で諦める図しか浮かびません。

果たして、そこまでして観るべき絶景なんでしょうか。

 

途中まで車で行ける道はないのか…?

と調べました。
 
するとありました!
山の裏側から登る道が!
ということで、
山の裏側にまわりこみ山頂を目指しました。
 
 
申し訳ないのですが、
この途中経過は道に迷い迷いを繰り返しまして、
写真を撮っていませんでした。
ですので…いきなり山頂付近になります。
 
 
道に何度か迷い、引き返しながらやっと辿り着いた山頂付近。
気付けば時間も夕刻になっていました。
ここから徒歩で10分ちょっと山道を登ります。
 
どれだけの絶景が待っているのでしょうか。
 
息を切らしながら辿り着いた本宮で、私は思わず無意識に
「わー!」
と声を上げてしまいました。
それぐらいの景色が広がっていました。
 
 
こちらが「天空の鳥居」と呼ばれる
高屋神社 本宮からの景色です。
 
確かにこれは絶景!
絶景以外の何者でもない。
無意識に声が出てしまうことなど、そうはありません。
 
日が暮れるまでずっとここにいて、
絶景の移り変わりを眺めていたい。
きっと夜景も美しいでしょう。
 
 
ただやはり、有名になったことで、
私のように「天空の鳥居を一目みてみたい!」
という人の絶対数が多いわけです。
 
上の鳥居が写った写真も、人が写らないタイミングをそうとう待ちました。
待っても誰も写らないということはほぼありませんでした。
もはや一瞬のタイミングを狙うしかありません。
 
最近は背景に写ってしまったものをレタッチして消せるアプリもあるので、
なんとでもなってしまう時代ですが。
 
私がいた時は、いつもだいたいこんな感じでした。
 
 
カメラを構えた人がいっぱい。
 
誰も写らない写真を撮りたい方は、
平日などのタイミングを狙った方がいいと思います。
 
そして本来ならば、下宮から中宮と山道を登り、
鳥居へと真っすぐつづく石段を登って、
ふらふらになりながら、この場所を目指すべきなのでしょう。
 
石段も込みで素晴らしい景色なのです。
 
 
ごめんなさい、私は車で登ってしまいました…
そこまでしていない私が言うのもなんですが、
そこまでしても観るべき絶景だと思いました。
 
またいつかここに来れることがあれば、
今度は徒歩にチャレンジしてみたいと思います。
いや…無理かなぁ…どうかなぁ。
 
体力に自身のある方はぜひ徒歩で!
無意識に声の出てしまうような絶景が待っています。
 
今回の旅で一番の絶景でした。

生きてるうちに一度行ってみたい

と思っている場所は、誰にでもひとつやふたつあると思います。

 

私はひとつやふたつと言わず山ほどあるわけですが、

特に行ってみたい場所のひとつが、

タイアユタヤかな〜と、薄ぼんやり思っています。

 

超ド定番で大変恐縮なのですが、

アユタヤの木に取り込まれた仏頭

あれを一度拝んでみたい!

と思うわけです。

 

私は仏像が好きですが、

仏像って人工物なので一般的には、仏像=神秘的ってはなりにくいかも。

でもそこに、なんらかの自然の力が加わることで、

人は神秘の力みたいなものを勝手に感じてしまうんじゃないかと。

私は単純なので、特にそんな風に感じてしまうのかもしれません。

 

「破壊された寺院に残された仏頭が、

長い年月をかけ菩提樹の根に飲み込まれて同化」

って…どんだけのストーリーと自然の神秘がそこにあるんだ!

なんて思ったりするわけです。

 

 

とは言え、

タイにはそうやすやすとは行けません。

日本でそれに近いものって何だろう…

と考えたときに、

生きた木に刻まれた仏さまは、

それに近い感動があるのでは?

と思ったわけです。

 

と、また前置きが長くなりましたが…

ここからが本題です。

 

 

愛媛県四国中央市に、生きた木に刻まれたお地蔵さま、

その名も生木地蔵(いききじぞう)がいらっしゃる、

ということで行ってきました。

 

わりといつものことですが、これがけっこうな山奥なんです。

 

ネットで住所を調べましたが、番地なんかは載ってないんです。

そもそも番地なんてないのかもしれません。

「切山地区の山中」

ぐらいアバウトな情報を元に向かったので、

かなり不安になりながら山道を進んで行きました。

 

ですので、

 

 

「生木の地蔵→」

という看板と青いノボリを見付けたときには、心底ホッとしました。

気を付けていなければ見逃して、

山のもっと上まで行ってしまったかもしれません。

 

ここには車が数台停められるだけのスペースがありました。

 

 

そして徒歩でしか行けないような細い山道が、

上下に分かれて二本伸びています。

 

看板に「右下170メートル」とあるので、

生木地蔵に行くには、この下の方の道を進むようです。

170メートルならばまったく遠くありません。

 

まぁ、遠くてもここまで来たならば、進みますけどね。

「右下2キロ」って書かれてたらちょっと考えますね。

山道2キロ、往復4キロはきっと1時間以上かかりますから、

けっこうな登山になります。

 

 

細い山道ではありますが、

こんな感じできちんと舗装されているので、

少なくとも私は、大変ではありませんでした。

 

この山道を5分ほど進んで行くと、

 

 

車を停めた場所にもあった、

生木地蔵と書かれた青いノボリがあるのが見えてきました。

 

なんだ、すぐじゃないの!

という感じ。

 

170メートルと書いていても実際には倍ぐらい歩く、

というようなことが多くあるため、

看板に書いてある距離を信用しない人間になってしまいましたが、

今回は事実のようです。

 

 

辺りはひっそりと静まり返り、何か動物でも出てきそうな雰囲気。

そこにまず、小さな建家があります。

 

ここに生木地蔵(初代)がいらっしゃいます。

 

 

看板の説明書きによりますと、

 

「約300年前、生きた子鹿(かご)の大木に

仏師 鈴木庄兵衛さんが延命地蔵を彫刻したもの」

 

とのことで、耳の病気が治るなどとされ、

長い間祈願されてきたそうです。

 

 

先の文章につづくのが、

 

「近年この老木が天命を完了し、

同所にある同じ子鹿の大木に昭和54年に復元建立された」

 

という内容。

そうです、こちらの建家の中にある生木地蔵は、

天命をまっとうされ、今やうっすらとその形を残す状態。

建家で守られているわけです。

 

そしてその奥に、

新たに復元建立された生木地蔵がいらっしゃいます。

 

 

こちらが、私がアユタヤの木の根に飲み込まれた仏頭に、

やや近い感覚で拝めるのでは?と思った、

今現在、生きている大木に彫刻された、生木地蔵です。

 

 

精巧に刻まれたお地蔵さま。

 

彫刻や色合いの美しさに目を奪われる、というのもありますが、

やはりそれが生きた木であるということで、

何か生命力みたいなものが感じられる気がしました。

 

このすぐ前に、初代の天命を完了された生木地蔵を観たので、

なおさらそう感じたのかもしれません。

 

 

自然に飲み込まれた仏頭と、生きた木に彫られた仏像、

というのでは違うでしょうが、

何か近い感情が揺さぶられたでしょうか…?

アユタヤに行ったことがないので、まだよく解りません。

 

ただ、確かに何らかの不思議な感動はありました。

うまく説明できませんが。

 

 

実は、香川県観音寺市にも生木地蔵があります。

調べると四国には他にもあるようです。

観音寺市はここから比較的近かったので、この後に行ってみました。

 

観音寺市の生木地蔵は建家に覆われていました。

 

 
どこからでも目につくほどの大きな楠は30メートルあります。
大きすぎてかなり広角のレンズで撮っているため、写真が歪んでいます。
 
この大楠に地蔵菩薩が彫られていて、
その「生木の地蔵さん」を守るため、
地蔵堂が木にくっついて建てられていました。
地蔵堂の中に入ると、ガラス越しに生木地蔵が拝める、
というぐあいです。
 
写真はたぶん撮っても問題ないと思いましたが、
地蔵堂の中の写真はここでは控えます。
 
 

この観音寺市の生木地蔵も、

先ほどの愛媛県四国中央市の生木地蔵も、

どちらも生きた木に彫刻されていますが、あり方は全く違いました。

 

私はどちらもちょっと不思議な感じがしました。

ただ、ひっそりとした山の中にある愛媛県の生木地蔵は、

徒歩で山道を行かなければならないせいか、

出会えた時の感動がより増したと思います。

 

両者は距離的には車で30分ほどなので、

機会があればどちらも参拝してみてはいかがでしょうか。
このちょっと不思議な感じを上手く文章化できません。
その正体が解る方は、ぜひ教えてください。

ブログは1月に行っていた四国の旅の途中ですが、

一息入れまして、つい10日ほど前の話を。

 

10日ほど前、関東に雪が積もりました。

 

降るだけならば年に数回ありますが、

積もるとなると、年に1度あるかないかぐらいのことです。

 

毎年この貴重な積雪があると、

私はどこかの雪の大仏さまを撮りに行っています。

いつもとは違う景色を観られるチャンス!

というわけです。

 

 

とりわけ牛久大仏には思い入れがありました。

というのも、

さかのぼること今から3年前

 

朝、目が覚めると都内の我が家周辺は真っ白で。

これはチャーーンス!

東京でこれだけの積雪ならば、茨城は間違いなく雪だろう。

と、すぐさま用意して電車に乗り込み、

茨城県牛久市の牛久大仏へ向かったものの…

 

牛久はNO積雪!

という…

実に悲しい出来事がございました。

その時のブログはこちら→「雪の大仏を求めて」

 

 

昨年2018年も東京で積雪の際、

今度こそ!と牛久へ行きました。

この時は牛久でも積雪はありましたが、

大仏さまに雪が積もるというようなことはなく。

 

こんな感じ。

 

 

周囲の畑だけうっすら雪景色。

 

そもそも、

この辺り雪が積もることはめったにないんです。

4年に1度くらい。

オリンピック並みですから、お祭り騒ぎな状況です。

 

まぁ、私が家を出る時間が遅くて、

牛久に着く頃には雪が溶けてしまった、

というのもあります。

 

ですがこれがかなり難しい。

この時、首都高速入口は通行止め。

ゆえに車移動は無理。

電車も常磐線がノロノロ運転。

こんな状況で辿り着いた時はすでにお昼になっていました。

 

ですから前泊でもしないと、

雪が積もった理想の大仏さまの姿は拝めない…

と思っていたわけです。

 

 

そして今年、

2019年のこの積雪。

 

正直、私は諦めていました。

ですが、そんな無謀なチャレンジを何度も繰り返す私のことを知る、

牛久大仏の関係者さまが、わざわざご連絡をくださったのです。

「牛久、積もってますよ」

と。

 

これはもう行くしかないじゃありませんか。

電話をいただいた1時間後には常磐線に飛び乗っていました。

 

 

そして降り立った牛久駅には、

 

 

多くはないものの、積雪あり。

 

いや、多くはないですが、駅舎の屋根の上にも雪があります。

駅前でこれだけ残っているならば、

牛久大仏周辺にはまだかなりの雪があるはず!

 

これは期待が持てます。

 

駅のロータリーにはバス乗り場があるのですが、

 

 

これが

これ以上ないぐらいの親切さで、

間違いようがないぐらいに、

とーーっても解りやすく、

 

明らかに、

 

 

牛久大仏行き。

 

海外からの参拝客も多い牛久大仏ならでは、

なんじゃないでしょうか。

これならば外国人でも一目瞭然です。

 

このバス停からバスに乗りたいわけですが、

この時はタイミングが悪く待ち時間が長かったため、

タクシーに乗りました。

 

タクシーに乗って

「牛久大仏までお願いします」

と告げると、

だいたい運転手さんは牛久大仏の説明をしてくださるんですが、

ごめんなさい、その情報のほとんどを知ってるんです、私。

でも、ありがとうございます。

 

そんな運転手さんの有り難い解説を聞きながら、

見えてきた牛久大仏の姿とは

 

 

写真の中央部分に注目してください。

一瞬木かなって思うんですが、よくよく見れば、

木々の向こうにチラリと大仏さまの頭が見えます。

 

走行中のタクシーから撮ってますから、

ややブレてますが、

 

ズームします。

 

 

ほら、観て観て!

頭にうっすら雪積もってないですか?

いや、積もってるでしょ!!

 

そんなわけで、

これまでの経緯を含め、長々と書いてきましたが。

苦節何年になるんでしょうか…

定かではありませんが、

やっと拝むことができました、

 

 

雪の牛久大仏さま。

 

綿帽子とまではいきません。

本当にうっすらとではありますが、

頭、肩、腕、指と、体に白い部分を残したお姿!

 

もちろん初めて拝見いたしました。

 

これ以上に白い部分があるお姿は、

「雪が降る!」ってなった前日から牛久に宿泊しなければ、

たぶん観ることはできないんじゃないでしょうか。

 

 

本当に次にこのように雪が積もるのは4年後、

ということもありえます。

これはそれぐらいに珍しい景色だと思います。

 

あまり多くは出せないのですが、

一枚だけ、特別に撮影させていただきました、

夢のような現実の光景を、

こちらにておすそわけさせていただきます。

 

 

水墨画のような、静かな一枚です。

 

早くも2月にして、今年のベストな大仏写真が撮れてしまったでしょうか。

まだまだあると思いますが、常に候補に入ってくる一枚かもしれません。

そんな景色を目のあたりにした、10日前の雪の日でした。

 

今年も子連れでしたので、

雪の中、電車とバスを乗り継いでの移動はなかなか大変でした。

この景色はそのご褒美だったと思います。

 

と言うか、今年も雪の中、付き合わせてしまった娘に…

ごめんなさい。ありがとう。

雪で遊べて喜んでましたけどね。

 

反省はしてるんです。私なりには。

けど、たぶんまたやります。

最後にそんなまとめでした。

 

次はたぶん四国の旅でお会いしましょう。

ではまた次のブログで。

四国の旅日記3回目の今回は、

旅の途中でまったく知らなかった大観音を見付けた

という、嬉しくも悲しいお話です。

 

なぜに悲しい話なのか。

人よりもアンテナをはっている私が知らないということは、

それだけ情報が少ない、ということ。

そう、現在は本来あるべき姿ではないのです。

だから表立った情報がない。

つまりそういうお話です。

 

 

今回の旅で参拝したいと思っていたお寺のひとつに、

四国八十八カ所 35番札所 清滝寺がありました。

 

 

清滝寺のシンボル的な、

高さ15メートル薬師如来像

 

この薬師如来さまにお会いしたい!

そして如来像の胎内にあたる「戒壇めぐり」をしたい!

というのが今回の大きな目的でした。

 

 

薬師如来さまの優しいお顔はとても印象的でしたし、

 

新年明けてすぐの戒壇めぐりは、

暗闇の胎内を通ってもう一度産まれなおすような…

私が都合よくそんな風にとらえただけで、

人間そんな簡単にリセットはできませんが。

でもそんな神秘的な感じもあって、とても良かったです。

 

 

この清滝寺へ向かう道の途中でした。
 
 
もはや高い山の上にある鉄塔や建物もすべて大仏に見える
という重い病いにかかっている私ですので、
ついつい車窓にまだ観ぬ大仏さまを探してしまうのですが、
その97パーセントが大仏ではなくただの鉄塔です。
 
ですが今回見付けたものは
その残りの3パーセントの方でした。
 
 
あれ、何か光ってる。
 
あれ!
大仏じゃない??
 
と思い、望遠レンズでパシャリと撮影。
それを液晶画面で拡大し、
 
確認すると、
 
 
それは明らかに人型。
たぶん大仏。
観音さまっぽい。
違うかもしれないけど、少なくとも人の像ではありそう。
 
「光ってる」
ここが重要です。
普通は人物像を金色では作らないでしょう。
作る場合もあるかもしれませんが、
金色なのは神や仏の線が濃厚と思われます。
 
ただこういう場合、個人所有であったりだとか、
一般は立ち入れない施設だったりする場合が多く、
慎重さが要求されます。
 
とりあえず、
光っているものを見付けてしまった時点で、
ある程度、呼ばれてます。
(と、私は解釈しています)
 
ダメだったら引き返せばいいので、
行けるところまでは行ってみる。
そう、このブログのタイトルにもなっています、
気になったらとりあえず行ってみる。
 
行ってみよう。

 

 

近づいていく過程で、

像が左手に何か持っている

ということが判明。

 

さらに近づくと、

 

 

たぶん観音さまであろうことが判明。

手に持っているのは、おそらく蓮の花でしょう。

 

ですが、ここからみえる像は後ろ姿。

いつの間にか通り越してしまいました。

いま上っている山とは違う山の頂に観音さまはいるのです。

また道を戻り、別ルートを探します。

 

引き返して、

この道があの山の頂きにつづいているのでは?

と思われる道を上って行きます。

 

 

よくあることですが、

向こうから車が来たらバックですれ違えるスペースまで戻らざるをえない、

対向車来ないで…と祈る系の道。

これをひたすら上って行きます。

 

この道、なぜか人通りは多いのですが、車は少ないようで、

無事バックすることなく山頂付近に到着。

 

そしてとうとう、

 

 

生い茂る木々の向こうに、

かすかに見える観音さまらしき姿を発見しました。

 

わかりますか?

右上の方にチラッと見えています。

 

拡大します。

 

 

フェンスの向こうに目的の観音さまがいらっしゃるのを確認しました!

 

でもよく見えない。

敷地にも入れない。

 

はたしてここはどういった場所なのでしょう。

 

 

前述したように人通りが多かったので、

朝のお散歩中だったという地元の親切なおじさまに、

この観音さまのことを聞いてみました。

 

おじさまいわく、

ここは高台の霊園にする予定で整地をし、大観音なども配置。

敷地内は整った状態にもかかわらず、霊園までの道の通行が困難なため、

途中で計画が頓挫。

現在はソーラーポネルが設置され、仏像などは残されたままの状態だとか。

 

なんて勿体無い。

 

かなり大きな像です。

10メートルはゆうに超えていそうな立派なものなのに。

しかも美しいと思いました。

 

 

敷地内は立ち入り禁止なため、親切なおじさまに教えていただいた、

法に触れない範囲でよく見える、路上から撮影しました。

 

後から調べてみたところ、

こちらの観音さまは成田山不動院万万天龍大観音とおっしゃるようです。

ネット上にはけっこう画像も出ていました。

天龍とあるように、見えない下半身部分には龍がおられます。

 

大変、不勉強でございました。

高知県にはこの他にも私の知らない大きな仏像があることを、

この観音さまを調べる過程で発見しました。

しかも複数。

ああ、高知にまた行かねばならない…

 

 

本来あるべき役割は果たせぬまま、ただ静かにありつづける大観音さま。

なんて悲しい運命なんでしょう。

ですが、遠くから輝いている姿を私が見付けられたのですから、

きっと観音さまは山頂から人知れず地域を見守ってくださっているはず。

人知れず…

 

後ろ髪ひかれるような、

何とも言えない切ない気持ちになりましたが、

涙は拭いて、次の目的地へと進みましょう。