登山して辿り着いた毘沙門天磨崖仏 | 半田カメラ/気になったら とりあえず行ってみるブログ

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フリーカメラマンで大仏写真家の半田カメラが、
「気になったら とりあえず行ってみる」
をモットーに、彷徨いつづける日々の記録です。

「岡山県倉敷市真備町」

この地名、わりと最近に耳にしたなと思いませんか?

それもそのはず、昨年の夏に大規模な冠水被害が起こり、

大きな被害があった地域です。

 

実は私、くしくも昨年の夏、

この真備町に磨崖仏があるということで、

会いに行こうと秘かに計画していました。

 

ところが7月にあの災害があり、翌8月に行くというのは…

ボランティアならともかく、観光というのはいかがなものか。

と、さすがに断念したわけです。

 

そんなことがあっての今年1月。

四国の旅の流れで倉敷に寄れるなと睨んだ私は、

帰りルートに半ば無理矢理に倉敷を設定。

立ち寄ることにした…と、今回はそんなお話しです。

 

 

さて、会いたかった磨崖仏とはどんな磨崖仏か。

毘沙門天磨崖仏(びしゃもんてんまがいぶつ)です。

 

岡山市から倉敷市、総社市、真備町にかけての山々は、

古くから信仰の対象とされていたそうで、

それに毘沙門天信仰が結びつき、

いくつかの山には毘沙門天が刻まれ、いまも残っています。

 

複数あるので「岡山 毘沙門天磨崖仏巡り」

もできますが、今回はその中のひとつ、

石鎚山の山頂にある石造毘沙門天立像

(せきぞうびしゃもんてんりゅうぞう)に会いに行ってきました。

 

 

このブログを読んでくださっている方はご存知でしょうが、

本当によくあることですが、

今回も事前に詳しい住所は解りませんでした。

 

「倉敷市真備町尾崎」

 

ということしか解らず、何か目印になるようなものはないか…

と探しながら車を走らせていましたので、

最初に上の写真の「毘沙門天立像

の看板を見つけられていなかったら、

きっと毘沙門天には会えていなかったと思います。

 

 

「次なる看板はどこだ…」

と、まるでヘンゼルとグレーテルが目印の小石を探すような…

また解りづらい例えですが、そんな少し心もとない気持ちで、

案内看板を探しながら進みました。

 

看板は大きな道から小道に入り、

どんどん住宅地へと誘っていきます。

 

そしてついに

 

 

「そんな家と家の隙間的なところ…?」

を指すに至るわけです。

 

ここが正式な登山口なのか、看板の下に

「ご自由にお取りください」

と書かれたポストがありました。

 

中にパンフレット的なものが…!

と開けてみましたが

 

 

中にはなにもなく…

のっけからちょっとショボーン…。

パンフレット的なもの欲しかったな。

 

まぁ、それはいいとして。

大事なのは、この住宅地から登山がはじまるということ。

ここから先は車では行けません。

周辺には駐車場も見つけられませんでした。

ですから、駅から徒歩で行った方が安全かもしれません。

ちなみに最寄り駅は井原鉄道の「備中呉妹」駅だと思います。

 

私の場合は車でここまで連れて来てもらい、

ここから徒歩でひとり山頂を目指しました。

 

 

家と家の隙間的な道を進むと、空き地のような場所に出ます。

左手を見るとこれまでと同じ

「毘沙門天立像

の看板が小さく見えていて、アッチだなと解ります。

 

ここから先は完全な登山道になります。

 

「毘沙門天立像

の看板を探しながら、薄暗い山道を進むこと…

8分くらいかな。

 

前方にいかにも神か仏がいらっしゃるような光景が見えてきました。

 

 

 

「毘沙門天は近いかも!」

と淡い期待を持たせる光景ですが、

ここから急勾配がはじまります。

 

絶対にヒールがある靴なんかでこの先は進めません。

だってこんな感じだから。

 

 

ロープをつかんで登らないとズズズと滑ってしまうような急勾配。

これがしばらくつづきます。

 

久々のアドベンチャーな感覚です。

ただ、かかる時間がそこまで長くないので、

私はさほどツラくはありませんでした。

 
ロープをつかみながら登ること7、8分くらいかな、
住宅街の登山口から15分ほど経ったころ、
毘沙門天が刻まれているらしき巨石が見えてきました。
 
 
 
上の部分にチラリと毘沙門天が!
 
見えて来るとガゼン勢いがつきます。
一気に巨石にむかってラストスパート。
 
20分ほどの登山の末お会いした、
石鎚山の山頂にある
石造毘沙門天立像の全貌とは…!
 
 
 
元々の色彩なのか、後から修復されたものか、
定かではありませんが、赤の色が残る毘沙門天像が、
晴天の空の下でクッキリと浮かび上がっていました。
 
幅、高さともに4メートル、奥行き3メートルの巨石。
そこに彫られた毘沙門天は1.8メートルとほぼ等身大ですが、
巨石の迫力か、山頂まで登ってきた高揚感か、
迫力はそれ以上に感じられました。
 
像立された時期は明らかではないのですが、
室町時代末期から戦国時代頃のものと言われているそうです。
 
 
甲冑を表現しているんでしょうが、
ポッコリとしたお腹部分がとてもキュート。
 
 
踏まれている邪鬼もなんだか組み体操っぽくて、とてもキュート。
個人的にはそんな可愛らしさが印象に残りました。
 
 
こんな高い場所にこんなものを作るのは、
それ相当の苦労があったのではないでしょうか。
 
ここからの眺めもなかなか素晴らしいのです。
昨年夏の災害時には、毘沙門天さまも(もしかしたら邪鬼も)
心を痛めながら町の光景を見ていたかもしれません。
 
そんな少し切ない気持ちになりながら、
しばらく景色を見ていましたが、
いつまでもここに居るわけにはいきません。
また来た道を戻るわけですが…
 
 
下りの方がダンゼン恐ろしく感じる急勾配。
この急勾配を下るのかと思うと、ややゾッとしたという…
四国から最後は岡山に至った、旅の最後だったのでした。
 
 
穴あり、謎の観音あり、生木地蔵あり、絶景鳥居ありの
今年1月の四国の旅日記はこれにて終了です。
無事に山を下りまして、この後は関西へと向かいます。
 
次回は関西のどこかの大仏さまのことを書こうかな…
まだ決めておりません。
どうぞまた気長にお待ちください。