前回に引きつづき福島県にある日本三大磨崖仏のひとつ、
大悲山の石仏に参拝した話の後編になります。
前編からつづけてお読みください↓
大悲山の石仏は
「薬師堂石仏」「阿弥陀堂石仏」「観音堂石仏」
の三つに分かれた大規模な石仏群です。
歴史的背景はよく解っておらず、謎の多い石仏ですが、
像容などから平安時代につくられたものと推測されています。
平安時代、東北にこんな大規模な石窟寺院がつくられていただなんて…!
一体誰がつくったんでしょうね。
前回はその3カ所の内「薬師堂石仏」をご紹介しました。
お顔の破損が激しく像容がわからない部分はあるものの、
大きさと規模が群を抜いていて、凄まじい迫力でした。
これは先が楽しみだ…!
と足取りも軽く、次の「阿弥陀堂石仏」に向かいます。
「薬師堂石仏」から100メートルほど歩くと見えてくる、
やや小ぶりなお堂が阿弥陀堂です。
さて、どんな石仏がいらっしゃるんでしょう。
お堂の中をのぞいてみると…
なんだろう、
白い砂の塊が岩壁にくっついているだけみたいな。
これは…仏さまなの?という状態。
心の目で見ようとも、私には見えません。
「阿弥陀堂石仏」は3カ所の中で最も剥落が激しく、
仏像の芯の部分を残すのみなんだそうです。
この白い部分が仏さまの芯なんですね。
ん…?
ここで疑問がわきます。
「阿弥陀堂って…どういうこと?」
この状態で阿弥陀仏かどうか判別できませんよね。
この石仏はずっと「阿弥陀さま」だと伝えられてきたそうなんです。
伝聞です、伝聞のみで語り継がれ、
姿をほぼ残さない今も「阿弥陀さま」としてお堂がつくられている!
これは逆に尊いのかもしれません。
見えないけど。
…でもやっぱり見えたいです。
かすかな手がかりでもいいから、何か見えたい!!
すみません、煩悩まみれです。
残す1カ所「観音堂石仏」は、
目に見える形で姿を残していてくださるのでしょうか?
「観音堂石仏」は500メートルほど離れた場所にあります。
坂道を登って行くと、右手にお堂が見えてきました。
先ほどの阿弥陀堂の何倍にもなる大きなお堂、観音堂です。
お堂の中は薄暗く何も見えません。
近づいて行っても、何も見えません。
ただ岩壁が見えるだけ。
…また阿弥陀堂石仏のように心の目で見るパターンか?
とガッカリしかけたその瞬間!!
お堂に近づいたところで自動的に灯がつき、
内部がパッと明るくなったのです。
浮かび上がったのは!
岩壁一面に広がる(いや、広がっていたであろう)
巨大な千手観音!!
観音堂石仏です!
これが見上げる大きさなんです。
十一面千手観音坐像の像高が約5.5メートル!!
千手観音を取り囲むように小さな『化仏』が多数刻まれていて、
それらも含め、壁面は8〜9メートルほどの高さなんじゃないでしょうか。
とにかく迫力が凄い!これには本当に感動しました。
確かに破損は激しいですけど、
間違いなく日本最大級の千手観音磨崖仏ですよね。
大谷磨崖仏も同じ千手観音で迫力がありますが、大きさは4メートルほど。
体感としては大谷磨崖仏の倍くらいに感じました。
こちらが観音堂石仏の想像復元図です。
これを見ると、石仏の大部分は剥落していて、
残っているのは上部のほんのわずかな部分だけということが解ります。
これがもっと残っていたら、迫力は数倍増すでしょう。
拝んでみたかったな…
今は残されたお顔と手の上部と『化仏』から、
在りし日の磨崖仏を想像するばかりです。
ここは絶対に行ってみたほうがいいです!
写真では伝え切れない感動があります。確実に。
確かに行きづらい場所なんです。
写真も撮りづらいから、パンフレットの写真もちょっと暗めですし。
お顔も剥落してるから、一見すると恐い印象をあたえてしまうかもしれません。
『大悲山』という名前も字面から悲しいイメージを連想しがちだと思うんです。
実際には観音さまの意味なんです『大悲』って。
つまりマイナスなイメージに捉えられがちなんじゃないかと思うんですが、
実際に行ってみるとそんなことはなくて感動的でした。
これは磨崖仏全般に言えることですが、
もっと風化が進んで見えなくなってしまうかもしれないじゃないですか。
早めのご参拝を強くおすすめします。
次回は大悲山の石仏に行くなら、ここも合わせて行ってみて欲しい、
という大仏で石仏をご紹介しようと思ってます。
いつもながら気長にお待ちください。