雨のあとに虹 その8
「OKです。」
と監督の声が響いた。ADが俊之のところまで走って来て
「高村さんの出番はこれで終了です。」
と言った。ここは都心から30分ほど離れた川沿いである。
「そうですか。」
俊之は言った。
「お疲れ様でした。」
ADが言うと
「それではお先に失礼します。」
と俊之は言った。
「ギャラはいつも手続きでお支払いします。」
ADが言うと俊之は
「解りました。」
と言った。
「今日は時間通りに終わったのでよかったですね。」
ADが微笑みながら言った。
「それが心配でしたよ。」
俊之が言うとADは
「今日は朝から順調でしたね。」
と言った。
「今日は夕方から用件があるので時間通りに終わってよかったです。」
と俊之は言った。
「私に何かご用ですか?」
久美子は言ってから立ち上がって少し退いた。講義が終わってから学食で珈琲を飲みながら教科書に目を通していた時に邪魔をされたのである。見ず知らずの男に覗き込まれて不快感覚えない女性は少ないだろう。久美子も大きな不快感を覚えて男の顔を見た。どこかのアイドルグループにいるような整った顔の男である。
「君は2年生の堀川久美子さんだよね。」
と男は言う。久美子はこの男のなれなれしい態度に不快感を覚えて
「あなたはどなたですか?」
久美子はと少し声を大きくして言った。
「誰だと思う?」
男は自分勝手な事を言った。
「失礼な言い方をしますね。」
と久美子は不機嫌になって言った。
「また近いうちに会おう。」
と男は言ってゆっくりと歩いて去って行った。久美子は心臓の鼓動が早くなっている自分を抑えるのに精一杯だった。
俊之は約束の時間に10分ほど余裕をもって喫茶店に着いた。席に座って相手を待つ時間は長く感じられた。時間がゆっくり流れているのが俊之にとってはつらい事でもあったのだ。約束の時間になると女子高生が入ってきて俊之の前に立って
「お待たせ。」
と言って席に座った。店員が来て注文を終えるたあとふたりはあらためてお互いを見つめた。
「急に呼び出してすまなかったね。」
俊之が言うと
「今日は暇だからいいよ。」
と石井千晴が言った。
「学校は楽しいかい?」
俊之は言った。千晴は
「とても楽しいよ。」
と言った。
「それが何よりだよ。」
俊之は言った。
「私に声をかけてきた若い男の人誰なの?」
千晴が言うと
「翔ちゃんの事かい?」
俊之が言った。
「イケメンでかっこ良かったよ。」
千晴が言った。
「翔ちゃんは良い人だよ」
俊之は言った。
「おじさんって友達が多いね。」
千晴が感心して言う。
「これ少ないけど純一くんか静江に渡してくれないか。」
俊之は言って封筒を取り出した。
「これは?」
千晴が言う。
「迷惑料だよ。」
俊之が言うと
「払わなくても良いと思うよ」
と千晴が冷静に言った。
「僕にはこれしか出せないしこれしか出さないけどね。」
俊が言った。千春はそっと封筒を受け取りって
「お父さんが受取らなかったらどうすればいいの?」
言った
「その時は千晴が持っていればいい。」
俊之は言った。
「私は必要ないよ。」
千晴が言うと
「千晴が持っていなさい。」
俊之は千晴を見て言った。
「うん。」
とだけ千晴が言った。
「僕はこれで行くよ。」
俊之が言うと
「またね会おうよ。」
千晴が言った。俊之は伝票を取ってレジへの方へ行いていく。会計をする俊之の背中を千晴は見ていた。俊之は店の外へ出て行っ空を見上げた。夕方になると風も冷たい季節である。冬がそこまで来ているのが解った。コートが必要になるほど今日は寒かった。俊之は足早に歩いていたが大通りをはずれて園の前に来た時に足を止めた。しばらく立ち止まっていて空を見た俊之は
「これで僕はひとりぼっちになってしまった。」
言った。そしてまた歩き出した。俊之が喫茶店を出た時から後をつけて来ている男がいた。俊之はそれを気にも留めずに歩いていた。30歳前後の男は俊之が歩く方向をずうっと見ていた。
雨のあとに虹 その7
「お先に失礼します。」
と久美子は言った。
「明日はお休みよね?」
ひとみが言う。
「明日は大学ですので出勤は明後日になります。」
確認するように久美子は言った。
「それでは明後日にお願いね。」
とひとみが言った。
「外は寒いから風邪を引かないようにね」
小百合が言った。。
「明日は堀川さんがお休みでだからしっかりね。」
とひとみが言った。それを聞いて
「私が居なくても大丈夫ですよ。」
と久美子は明るく言った。
「堀川さんは北西大学の2年生でしょ?」
小百合が久美子に言った。
「そうですよ。」
と久美子が答えた。
「何を専攻しているの?」
小百合が言うと
「デザイン学部です。」
と久美子が言った。
「就職は何か考えているの?」
小百合が言うと
「それが簡単には決められなくて困っているところです。」
久美子は正直な気持ちを言った。
「だったらこのまま正社員になればいいじゃないの?」
小百合ははっきりと言った。小百合が言った事はひとみが望んでいる事でもあった。
「それも考えて選択肢に入れていますよ。」
と久美子が言った。ふたりの会話を聞いていたひとみが
「早く帰った方がいいわよ?」
と久美子に言った。
「そうですね。」
と久美子が言って時計を見た。
「お疲れ様でした。」
とひとみが言うと久美子も
「失礼します。」
と言って会釈をすると下りのエスカレーターに乗った夕方の雑踏の中を歩いて行く久美子は一見すると雑誌のモデルのような印象を受ける。美人系の顔をしていてスタイルも良い。秋風が吹く銀杏並木を歩く久美子は映画のヒロインのようであった。夕日と夜の闇が重なった時に久美子の姿がシルエットになった。
「帰ったぞ。」
と言って矢島が帰宅した。
「お帰りなさい。」
と妻の矢島早苗が言った。
「今日は早く終わったよ。」
矢島が言うと
「今日は早いのね。」
と早苗が言う。
「たまにはこういう事もあるさ。」
と矢島が言った。
「珍しい事もあるわね。」
早苗が言う。
「近いうちに高村がうちの会社に来てくれる事になったよ。」
と矢島が言うと
「それはよかったじゃない。」
と早苗が言った。
「これで新規事業ができるようになった。」
と矢島が言う。
「あなたの念願でしたね。」
早苗が言うと矢島は
「お前は高村の顔が見たいだけだろう?」
と言った。
「何をバカな事を言っているの!」
と早苗は言うが
「お前も会社に顔を出せよ。」
と矢島が言った。
雨のあとに虹 その6
都心のIT関連企業であるイーエンジニアのフロアーで俊之は仕事を終えて声をかけた。
「織田さん。」
俊之が言うと社長の織田和夫は
「はい!」
と言って俊之の方を見た。
「今日はこれで終わりますけど他に何かありますか?」
俊之が言うと織田は
「今日終わりにしてください。」
と言った。
「次は来週に顔を出します。」
俊之は言った。
「来週は僕がいないかもしれないけど解るようにしておきます。」
織田が言うと俊之は
「織田さん早いけどこれで失礼します。」
と言った。
「お疲れ様でした。」
織田は言った。
「お先に!」
俊之が言うと周囲の社員が俊之を見て会釈をした。社員のひとりである野村孝志が
「お疲れ様でした。」
と俊之に言った。俊之は
「次は来週に来ます。」
と言って外に出た。秋が深い季節になっているのは吹いてくる風の冷たさで解るのだ。俊之は駅に向かって歩いていった。
「ご無沙汰しております。」
俊之が言うと天門は
「高村さんも元気そうで何よりだよ。」
と優しく声をかけてくれた。天門の事務所であるのは久しぶりである。天門は本名ではない。東洋占星術研究家としての職業上の名前である。
「おかげさまで元気が取り得です。」
俊之が言った。
「それはよかった。」
天門は俊之をみつめて
「健康が第一だからね。」
と言う。
「それは注意しています。」
俊之が答える。
「高村さんはそろそろ仕事運と恋愛運が上がってくる頃だよ。」
と天門が言った。
「やっと何とかなりそうですか?」
と俊之が言った。
「冬の時代を脱出できる時に来たみたいだね。」
天門は鑑定結果を見ながら言った。
「ところで天門先生。」
俊之があらたまって言うと天門は
「何かあったかね?」
と言って俊之の目を見た。
「妹の件は明日で区切りがつきそうですよ。」
俊之が言うと天門は
「それはつらい選択だったと思うが高村さんのためには良かったと思うよ。」
と言った。
「それはきちんと出直すつもりでいます。」
俊之が言うと天門は
「困ったらいつでも相談に来てください。」
と言った。俊之は心の中での決心が固まっていたのである
「いつもありがとうございます。」
俊之は言うと天門は
「高村さんの人生はこれからだからしっかりがんばってください。」
と励ますように言った。
「がんばるしか選択肢は残されていないですね」
俊之が言った。天門は3歳年下の俊之を自分の弟のように思っていた。天門は俊之のようにどこかで自分自身を隠している人間が気になるようだった。
「何か結果が出たら知らせてください。」
天門が言うと俊之は
「また先生に報告させていただきます。」
と言った。俊之は天門の事務所をあとにして少しずつ自分自身に区切りをつける決心を固めたのである。