豪華で冷たい家、古いけど温かい家 | wai blog~日々是安泰~

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旅、子育て、暮らし、気づきを綴るblog。

掃除をしたりメンテナンスすることは、家への関心の濃さに繋がると思う。

  


 

人間関係に置き換えたらわかりやすい。


子供に関心をもつことで、子供がイキイキするように。

パートナーから関心をもたれなくなったら、関係が終わっていくように。

 

 

キレイで素晴らしい家でも

住んでいる人が家に関心をもたないと

さみしい家になる。

 

対して

古くても、手入れをされて関心をもたれている家は

なんともいえない温かさを放っている。

 


思い出したのは、二つの対照的に家だった。

 




20年前、訪問介護ヘルパーをしていた時の話。


パートのヘルパーさんがお休みの日、時々ヘルプで行く豪邸があった。

 

バブル期に建てられたであろうその家は

まさにゴージャス!

 

大きなまどから庭を眺めながらゴルフの練習ができる広々としたリビング

夜空を見れる天窓があり、一般的な広さの5倍はあったバスルーム

掃除機は、壁にホースを差し込むスタイル。

(セントラルクリーニングシステム!というらしい。さほど便利とは思えなかったが)

キッチンも同じく、生ゴミはそのまま流してもOKなタイプで、ゴミは一体どこへ行くんだろう?と謎だった。

 

とにかく、一般的な家とは異なるリッチさ漂う豪邸。

インテリアも実にシンプルで、センスのいいご一家なのが伝わった。

 

お手伝いさんもいらしたが、週に2日お休みされるので、その日に介護ヘルパーが入っていた。

 

広くて、豪華。


でも、空気がよどんでいて、さみしい家だった。

 

ご病気の奥さん(本当にお綺麗な方!)は、一人で動くこともままならず、介助が必要。

 

ご主人とお子さんは仕事に忙しく、奥さんのことはお手伝いさんとヘルパーに任せきり。

 

お手伝いさんが家事全般を担っていたものの、介助もあるし、そもそも家が広すぎて掃除は行き届かず。

 

バスルームが、カビだらけだったり、家全体が薄汚れてる感じが気になったものの

ヘルパーの時間は短く、どうしても掃除は後回しになってしまった。

 

こんなに素晴らしい家なのに、もったいない!


手入れができないほどの広さ。

そもそも、関心がないから、家の汚れに気づかないのかもしれない。

きっと、ご主人たちにとっては、寝に帰るだけの家。

 

私は数回行ったっきりで、奥さんと会話した記憶が残ってないのだが、

メインのヘルパーさんは、いろいろおしゃべりをしていたみたいで

 

自分の体がどんどん壊れていく悲しみもそうだが

ご主人の関心が自分にないことへのさみしさを嘆いていたと言っていた。

 

「浮気してるだろう、って泣いてらしたわ。

家政婦さんとご主人か仲良く話してるのも、辛いみたい。

あの家政婦もどうかしてるわよね!

奥さんの気持ちがわからないのかしら!

一緒に泣いちゃったわぁ( ノД`)…」

と聞いてるこちらは「家政婦は見た。」を見たような気分に。

 

人は、大切な人からの関心が薄れることに恐怖を感じる。


家も然り。

家への関心が薄れることと家族の関係性は、深いところで繋がっているように感じるのだ。

 

家人に興味をもたれなくなった家は、何かが崩れていく。

人も同じだと。

 




同じ頃、時々お邪魔していたのは、広いお庭をもつ、築100年くらい経ってそうな古い日本家屋だった。

 

一人住まいのおばあちゃん。

80過ぎだったろうか。

 

ご主人を早くに亡くされ、現役で茶道だったか、華道だったかを教えている方だった。

いつもピシッと着物を着て、白髪をきれいに結っていらした。

 

会うと緊張するタイプだったけど、凛とした姿がそれは素敵で。

他のヘルパーさんには厳しかったが、私のことは孫のように接してくれた。

(実際に孫はいないようだったが)

 

ミシミシと音の鳴る廊下にヒヤっとしたり。

小さな青いタイルでできた古いシンク。

しっかり閉めても水がポタポタと落ちる蛇口。

子供の頃に見た懐かしい風景の広がる家。

 

風の日は、ガタガタいうだろうな、と心配になる縁側の窓。

サザエさんの家のイメージが近い。

 

私は主に掃除に伺っていたが、とにかく指示が細かい!

上司は母世代だったので、掃除については、粗相のないように指導を受けていたけれど、更に細かい!

 


この方の場合、体が思うようにきかなくなり、掃除をヘルパーに託すようになったのだろうが

きっと、こうやって丁寧に家を掃除してきたのだろうと感じた。

 

人に頼むにしても、同じようにしてほしい。

 

それは、家への思いであり、愛情の深さ。


古い家だったけど、住んでいる人と共に生きてるなぁって感じの、温かみのある家だった。

 


当時、たくさんの家の掃除をしてきたけど、しっかり家事をされてきたおばあちゃんたちは、掃除の仕方を私にしっかり指示してきた。

 


当時の私の心中は、「そんなに細かく言わなくてもできますって!」だったけど、そういう話じゃなかったのかもね。

 

うるさく言うのは、家への関心の現れ。

 

「この家を、こういう風に扱ってほしいんだ」ということ。

私はこうやって大切にしてきたのよ。

あなたも大切に扱ってちょうだいね。

 


これは、古いとか新しいとか

最新のシステムとか、高級な何かとか

そういうのとは、別の次元の話なのだ。

 


家に流れる空気が、温かいか、冷たいか。

それは物理的な感覚のことではない。

 

でも、私たちは、何かを感じている。

 

この空間が好きだな!

きれいだけど、なんか、嫌な感じするな。

 

お店とかでも感じません?

最近も感じる出来事があった。

 

 


我が家も、私が越してきた頃

それはもう、さみしくてさみしくて仕方のない家で

 

仲良しの友達には

「家が嫌だ、気に入らない、趣味じゃない」

と文句ばかり言っていたような気がする。

 

やっぱり、最初に引っ越せばよかったなぁ、とか。

 

でも、11年かけて、ようやく、がっしりと握手を交わした感じがする。

私と家が。

 

それは、もう、こつこつと手入れをしてきたから!としか言えない。

誰が建てたとか、どこの会社に建ててもらったかなんて、関係ないのだ。

 

あの時引っ越しても、なんの解決にもならなかったと思う。

 

気に入らないところをしっかり受け止め

あきらめるところは、あきらめ

でも、少しでも住みよくなるように、試行錯誤してきた日々があって、

今がある。

 

無理矢理に愛情をもって掃除しよう♡

なんてする必要はない。


淡々と、粛々と手を入れていくだけで十分なのだ。

気持ちは後からついてくるのだから。

 

「なかなか、いい家じゃないか。」

って、住む人が思えたら、それがゴール!

 


住む人の気持ちを家は敏感にキャッチするのだと思うから。

 


だから、モヤモヤするとき、人生の停滞期、うまくいかないとき

徹底して掃除したり、無性に片付けたくなる、場を整えたくなるのも、当たり前なのかもしれない。


家との関係性は、人間関係にも通じる。

 

掃除、片付け、整理整頓。

いろんな言葉があるけれど、私は「手入れをする」って言葉が好きだなと思った。

 

wai