あなたの存在価値を思い出す | wai blog~日々是安泰~

wai blog~日々是安泰~

旅、子育て、暮らし、気づきを綴るblog。

祖母のことが
ここ1年ほど気がかりで

昨年のお正月はとても元気だったのが
春に突然具合が悪くなり
結果、ショートステイに頻回にお世話になる。

母も介護疲れ

私が少しでも手助けを
と思っていたが

コロナの関係で
県外の人との接触不可と言われ
実家に帰ることもできず
もやもや。


そんなことをしているうちに
秋、施設入所が決まった。
施設は面会不可ということで
会えず仕舞いで今に至る。


面会できない不満だとか
家で直接会えないまま送り出したこととか
ビデオ通話はしたけど

そういうことは
もう仕方のないことで

お互いに言い分もあるだろうから
触れないでおく。


昭和2年生まれ。
93歳。

もう自分では何もできないし
先日も
覚悟しておいてください。
と言われたばかりだ。

それでも
生命力とは不思議で
波があり、今は落ち着いている様子。


また、赤ちゃんに戻ったな、と感じた。

それは、
できることがなくなったから、とか
誰かに世話してもらわないと生きられないから
とか
そういうことじゃない。


生きていてくれるだけでいい。

離れているけれど
どこかで
生きていてくれるだけで
励まされる。
安心できる。
よかった!と思える。

そういう存在に戻ったということだ。


私はほぼ、祖母に育てられた。
私の体のベースは
祖母の作った料理でできている。
と思っている。

高校卒業するまでのご飯は
すべて祖母。
母は1%くらいじゃないだろうか。

ダイエット料理にも付き合ってくれたし
好きなものをたくさん作ってくれた。

冷凍食品は絶対に使わない。
カップラーメンは食べさせない。
がモットーだった。

今、家事をする身となっては
すごいことだと思う。


10年くらい前、料理中に転んで
骨折して入院するまで

祖母の生きる軸は「料理を作って家族を支える」ところにあったような気がする。

それが、
自分の役目で存在価値だと。


危ないからと、
料理をすることを取り上げられてから
祖母の心の中はいかほどだったのか。


高齢者の生き甲斐を取り上げてはダメだと
母に言ったが
一緒に暮らすほうとしては
危なくて心配である。

そのまま、祖母は長く過ごした台所を去った。



家族の中での作業的な役割がなくなるというのはとても不安なことだろう。


会社員を辞めた途端に病気になるとか
亡くなるとか
認知症になるとか
そういう話をよく聞くが


それだけ、
自分の価値と役割の結びつきが
強いために起こり得ることかもしれない。
特に男性は。


人にとって一番怖いことは
存在価値がなくなることでは
ないだろうか?

じゃあ、存在価値とは
何か?

何か役割を持っていないと
価値はないのか?

何かを産み出していないと
価値はないのか?


赤ちゃんの時は
確かに
いてくれるだけでよかったはずだ。

それが、成長につれて
学校に行き
勉強をしないと価値がないように思われ

社会人になって、
仕事をしていないとダメで
正社員じゃないとダメで
稼いでないとダメで
結婚してないとダメで
子供を生まないとダメで
家を持たないとダメで

等々
さまざまな世間の価値観にがんじがらめになり


その人そのものだけで
十分価値があったはずなのに
プラスαのほうに
価値の重点がずれていく。


そして、
知らず知らずに
そっちを失わないように
そっちを大切に
そっちにこそ、自分の価値があるように
思い込んでしまい
苦しむのだ。



祖母はもう、一人では何もできないけれど
生きてくれているだけで
家族は安心するし

もう少し生きて!
会えるようになるまで
生きていて!

生きてくれているだけでいいから。

と心から願わずにはいられない。


生きていること。
それだけで十分に
その人の価値はあるのだ。


そのことに
誰もが
早く気づけるといい。


病気になったり、
高齢になったりで
大切なその人を失いそうになったとき
やっと気付くのだろうが


そもそも
今いくつであっても
生まれてきて、死ぬまでずっと
その人には価値があるのだ。


つまり、それは
自分も同じということ。


自分の価値を
別の何かにすり替えない。


そのままで本当に価値があることを
思い出したら
それでもう、大丈夫なんだと思う。

wai