*105歳の幸福論*『宝物を捨てる』 | wai blog~日々是安泰~

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前記事で書いた

私たち姉弟が小学生の頃

習字を習っていた先生。


当時から習字のおばさん、と呼んでいたので

ここでも習字のおばさんと書かせてもらう。

↓↓↓


 

2004年10月。

中越地震の日。

 


当時90歳だった習字のおばさんは、

家から歩いて10分のスーパーで

被災した。

 


買い物を終えたところだったという。


外に出ようとした瞬間

ものすごい揺れが起き

店員さん誘導の元、

スーパーの安全地帯で待機。

 


そのまま、避難所へ移動。

体育館での避難所生活を1週間以上送った後

ちょうど空きのあった老人施設に入所した。

 

90歳、着の身着のままで。

 

 

おばさんは、一軒家で一人暮らしだった。

その自宅が半壊で

家に戻るのはダメと判断され

(本人は戻りたかったが)

それっきり、おばさんは、

自分の家を見ていない。

 

 

必要な荷物は

親戚の方が整理され

老人施設の個室に入る分だけ持ってきて

その後、家は取り壊された。

 

 

覚えている。



鯉が泳ぐ池のある

ひんやりとした印象の

静かな家。

 

余生を楽しもうと

たくさんの本が積まれた部屋。

習字教室の部屋は

墨汁のにおいが染みついていた。

水しか出ない洗面台で筆を洗ったこと。

 

 

そろそろ不安だから老人施設に入ろう、

もしもの時のために、

元気なうちに家とサヨナラしよう、

と決めたわけじゃない。

 

 

別れは突然起こった。

 

突然、大切な家に戻れなくなったショック。

 

想像できるだろうか?

 

90歳で突然、

大切なものを失う悲しみは

わたしたち以上だろう。

 

 

「90歳で、買い物に行ってね。

まさか、それっきりになるなんて。

 

これからの人生を

楽しみにしていた矢先だったのよ。」

 

 



 

おばさんに会いたくて

帰省の度に

老人施設に寄るようにしている。

 


整った個室。

どこかマンションの一室を思わせる

快適な空間。

 

 

「ここはね、

空調が調節されいてるから

一年中快適よ。

 


あの家に住んでた時は

今日は寒いわね、暖房を入れなくちゃ

庭の枯葉を掃かないと

蝉の声を聞いて夏を感じたり

 


季節を感じる感覚が

なくなってしまったわ。

 

 

今が夏なのか、

秋なのか、

ここにいたら全くわからない。

 


こんな場所にいたら

人間、

おかしくなるわよね。

 

 

毎朝、好きな時間に起きて・・・

私、夜更かしだったからね。

 

昼近くになることもあったけど

誰に迷惑かけるわけでもないから

 

ゆっくり着替えて

美味しいコーヒー淹れて

トースト焼いて

庭を眺めながら食べて・・・

 

そんな生活

何十年もしていたでしょ?

 

 

ここはね、朝ご飯の時間が決まっている。

それを逃すと食べられない。

 

いらないなら、

前もって連絡しないといけないし。

 


朝ご飯食べたいかどうかなんて

朝にならないとわからないじゃない!

 

 

今日は起きたくないわねぇって

のんびりしていると

『どうかしましたか?』って

職員が来るし。

 

安心といえば安心よ。

でも、息苦しいわね。

 

だから、朝ご飯は、やめちゃったわ。

 

自分の好きなものを

好きな時間に食べるって

大切よね。

ふふふ」

 

 

おばさんとの会話は

私が習字を習っていたあの頃と

変わらない気がする。

 



 

田舎のおばあちゃん、では

ないのだ。

 

うちのばあちゃんと正反対。

 

 

先生のすごいところは

自分の生き方を貫き、

幸せに感じつつ



家族なしでは生きられない

うちのばあちゃんのことを

本当に幸せな人生だ、と言ってくれることだ。

 

 

自分の生き方を他人に押し付けない。


人には、

人の幸せがあることを

尊重している。

 

 



 

今年のお正月も会いに行った。

 

先生の第一声は

 

「まぁ!

 

また、若くなったんじゃない?」

 

思わず笑ってしまうが

日頃なかなか言ってもらえないセリフに

顔がほころぶ。

 

 

こういう、相手を喜ばせる言葉が

ぱっと出てくる

機知が素晴らしい!

 

 

「おばあちゃん、お元気?

92?

まだ、若いわね!

私もその頃は元気だったわ。

 

おばあちゃん、お料理上手で。

よくいただいたお料理、美味しかったわね。

もう、お料理は作らないの?

 


(弟)ちゃんは?

そう、元気なのね。

 

あの子は、いっつもおしゃべりばかりしてて

聞いてるのかな?

大丈夫かな?

と思っていると

ちゃんと、聞いてるのね!

 

私が言った通りに、書いているから

すごい子だと思ったわ。」

 

 

懐かしい思い出話が続く。

 



 

「この年になって、

ようやく

わかったことがあるのよ。

 


体は老いていく。

それは仕方のないこと。

 

内臓なんて105年も動いているのよ。

意外とダメにならないのねぇ。

 

 

ある時ね、『過去を捨てたの』

 


前は、あんなこともできて、

こんなこともできて

って

過去を思っては悔やんだり、

幸せな気持ちになったり。

 


でも、もう、過去は過去でしょ。

終わったこと。

 


過去は、もう捨てよう。

切り離したらね・・・

 

どうなったと思う?

 

 

生命力が蘇ったのよ。

 

不思議でしょ。

 

過去を捨てて、

今、これからを生きると決めたら

内側から力が出てきたの。

 

若返った気分だったわ。」

 


100年という過去。

楽しいことも辛いことも

私たち以上につまった過去を

捨てる。

 


過去。

素晴らしいものが詰まった宝箱。


年をとればとるほど

しがみつきたいもののように思える。

 


それを捨てる覚悟とは

いかほどのものだろう。

 


宝箱だと思っているのは

ただの重しでしかないと

言われているようだった。

 


『身軽になりなさい』と。

 

 



毎回、習字のおばさんに会いに行くときは

たぶん、お互いに

これが最後かもしれない、と思っている。

 

決して

悲壮な気持ちではなく


そういう覚悟を持って会いに行く。


過去に何回会えた、ことは関係なく

今会っていることを大切にする、

という覚悟でもある。

 


 

別れ際、

弟や家族にも、

おばさんの顔を見せたくて

写真を撮る。

 


「ちょっと見せて」

 

とスマホの画面を確認するおばさん。

 

 

「この年にしては

悪くないわね」

 

とにかく、かっこいい女性なのだ。


wai


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