【タイ最終日】人生はミルフィーユのようなもの | wai blog~日々是安泰~

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※2018年10月のタイ旅行記です。

 
【6日目】
 
【7日目・最終日】10月28日(日)
 
とうとう日本に帰る日がきた。
 
 
バンコク発10:45の飛行機。
 
ホテルをチェックアウトするのは7:30の予定。
それまでホテルの周りを散歩した。
 
 
基本、朝が弱い私は
今までバンコクで朝の散歩をしたことが、
ない。
 
早朝に自然と目が覚める。
これは、私が最も欲していた能力である。
 
 
息子も早起きだったので
6時過ぎに周辺をぶらぶら。
 
オレンジ色の袈裟を着た僧侶が托鉢していた。
中には少年も。
 
手を合わせて何かを渡す人々。
 
 
毎朝この風景が繰り返されているのを思うと、
信仰に対する根本が違うことをまざまざ感じる。
 

俗まみれの我々は
なごり惜しむかのように
セブンイレブンに吸い込まれる。
 
 
バンコク中心部から空港まで
(または、空港から中心部)
メータータクシーに乗るとき、

メーターを倒さないで「500バーツ!」
とふっかけてくるドライバーがいて
 
メーターを倒してもらうことに
躍起になっていたことがあった。
 
 
でも、今回
ホテルのボーイさんにチップ渡して
メータータクシー頼んで、
高速乗るのに75バーツ渡して、
メーターの金額は280バーツ。
300バーツ出して、
おつりをチップとして渡して…

合わせたら400バーツである。
 
500バーツ払うのと
対して変わらないことに気づく。
 
必死に守り抜く
100バーツ(300円)ってなんだろう?
 
騙されないぞ!
って気を張るほどのものだろうか?
 
 
いろんな価値観を体験するのが旅。
 
 
やっぱりバンコクは面白い!

もうそろそろバンコクはいいかな~
と思うかと思ってたら、
そんなことなかった。
 
バンコクは新旧混合
ゆるしあう文化そのもの。
ゆるく、やわらかい空気が流れてる。
 

私にとっては
細胞が緩む場所。
 
また次もきっと、
飽きずにここを選ぶ気がする。
  
よく見たら、
トゥクトゥクのおじさんが笑っていた。

 
今からちょうど10年前、
私はハネムーンでモルディブに行った。
 
 
英語ができないし、
ネット環境も
翻訳アプリも今ほど発達してなかったから
結構ストレスも多くて
 
海はきれいだったけど
他の面に関しては微妙で
「やっぱり慣れてるタイとかに
しとけばよかったかな?」
って帰ってきてから思った。
 
じゃあ、タイに行っていたら満足したのだろうか?
と考えてみると
 
このセリフは
モルディブを体験したから言えることで

行かずにいたら
きっと今も
「モルディブ行ってみたいなぁ」
って思っているだろう。
 

よかったか、悪かったか
どう感じるか、なんて
体験しなければわからないことなのだ。
 
 
これは他のことでも言える。
 
興味本位で頼まれ事をほいほい引き受けて
なんでこんなこと引き受けちゃったんだろう。
となったことは
今まで多々あった。
 
「もう絶対にこういうことは
引き受けないぞ!」
と思ったことも。
 
でもそれは、やったから言えるセリフだ。
 

やらずに断っていたら
痛みも不満もなかっただろうけど
変わりに
「もし、やってたら、どうだったんだろう?」
を知ることもない。
 
 
別の言い方をすれば
「美味しそう!」と思った食べ物を
いくら眺めても
本当の味を知る事はできないということ。
 

食べてみたら、美味しいかもしれないけど
裏切られることもあるかもしれない。

私が前日食べたフードコートのカオソイのように。
 
 
でも、食べたからこそ
「見た目ほど美味しくなかった」
「人生で一番美味しい食べものだった!」
とわかるのだ。
 
 
 
思ったほどよくなかった。
やっぱりタイがいいと思った。
 
そういう感想を持てたのは
モルディブに行ったからだ。
 
 
高校生の頃
三好和義さんの写真集で見たモルディブは
天国のようだった。



モルディブに行くことは
長年の憧れだった。
 
もし、未来の私が現れて
「モルディブはやめといたほうがいい。
タイにしておけばよかった、って
絶対後悔するから」
って言われたとして
 
それに従ったとしたら
たしかに嫌なことは
体験しなかっただろう。
 
 
ただ、
「本当はどうだったんだろう?

モルディブ、天国みたいじゃん。
行って確かめてみたかった」
という気持ちが出てくると思うのだ。

そして、それは、モルディブに実際行くまで
付きまとうだろう。
 
 
行きたい場所があるなら
行ってみる。
 
やってみたいことがあるなら
やってみる。
 
経験しないと、見れない風景があるのだから。
 
 
 
それが思ってたのと違ったとしても
「想像と違った」と知ることができる。
 
 
体験して、知って、
体験して、知って
こりずに体験して、また知っていく。
 
 
だって、カオソイという食べ物一つだって
エンポリのカオソイは不味かったけど
遊帆さんのカオソイは激うまだった。
ってことがあるからね。
 
 
人生とは
そういう薄いパイ生地(経験)を積み重ねた
ミルフィーユのようなもので 
 
1枚1枚は多少不味くても
たくさんの重なりがあるだけ
美味しいものになるのかもしれない。
 

これからも、
あなただけのパイ生地を
私だけが作れるパイ生地を
積み重ねていこう。
 
wai