今年の6月5日で満18歳になるミニチュアダックスのトト。

 

お腹に『脂肪腫』がで始めたのは嫁のベリーが亡くなってから。。。だから2年と7ヶ月かな?

 

最初はピンポン玉くらいだった。

 

以前に会陰ヘルニアで手術をしているから心配で

先生に尋ねたら「心配は要らないですよ」と言われ安堵した。

 

去年の秋くらいからみるみる大きくなり、我が家の諸事情でこれまでの病院には行けず、別の病院へと転院し、診てもらった。

 

 

 

やっぱり手術をして切除してあげないもダメかなはてなマーク

 

旦那さんと長男とに相談した。

 

旦那さんと私は「トトの身体のために除去手術をしたほうが良いよね悲しい

との意見にもなったのですが、

 

長男が「トトの年齢と年齢的体力を考えると手術は避けたい」

 

「腹を切ると言うことはとっても大変なことなんだ」

 

「ベリーだって結局は切開手術して痛い思いして1ヶ月持たなかっただろ」

 

「トトが現状で命が尽きたのならそれはトトの天寿だと思えるけど、ベリーの時の様になると天寿だと思えなくなる」と言われ、「それもそうだ」と納得して手術をすることを止めた。

 

トトはこの大きなコブを抱えて少し不自由があるかもしれないが、私たちの手元から離れて病院に入院させられる方がもっと不自由なんだろうな泣

 

会陰ヘルニアの手術時も入院している間、先生や看護師さんたちから貰う食事を一切摂る事をしなかった笑い泣き

 

そうだった、この子たちは私たち家族からもらう食事以外は一切受け付けないから預けることが出来なかのだ笑い泣き

。。。箱入り犬。。。

 

先生も困るほど食べず、1日に1度、ご飯を食べさせに行った泣アセアセ 

 

2人の息子が独立して夫婦2人となってからの我が家にとってこの子たちが(ベリーは現在写真で家族参加)夫婦の会話の源笑

 

在りし日のベリー
 
ベリーが居なくなったけど、トトには1分1秒・・・
 
長く長く長生きして欲しいですねドキドキ
 

 

 

 

 



まさかのサイズ‼️


 先日21年使用してきた
ビルトイン食洗機が壊れてしまった
えーんえーんえーんワーン

人間とは不思議な者で
持っていない時代はその不便さで
事なきを得ていたのだが

便利な物を手にして
日々過ごしていたら、元の不便さには
戻ることが出来ない
魂

新しい物が設置されるまでの
15日間の不便なこと!

手で洗った食器を乾かすのに
当然ながら場所と布巾が必要でして
常に流し台に物が
散乱している状態
ナイフとフォーク赤ワイン
お茶カレー

物が片付かない流し台を見ては
1人でブタクサブツクサもやもや

我が家は旦那さんの帰宅が遅く
夕飯を食べるのが(旦那)
22:30〜23:00
の間なのだ笑い泣き

よって最後の洗い物をしたら
とっととお布団に行きたいので
自然乾燥で家事を📴

壊れる前は食洗機に入れ
スイッチをONでした…楽ぅ〜

そして待ちに待った新しい食洗機ハート音符

設置された夜
「やったぁ〜ヤッタァ〜」とウキウキで
食器を食洗機の中へ

21年前の庫内より若干小さいかな?
なんて感じながら
お茶碗にコップ
小皿
メイン皿
??????
ギザギザ魂

入らない!!

右に向けて…
正面向けて……

やっぱり入らない!

普段よく使うお皿が入らなかったガーン





 以前使用していた型番と

同じ物なのに

これだけは手洗いすることに


お箸やスプーンを入れるところも

小さくなっていて


カップやコップ置き場は

折りたたみ式に進化していた

👍スゴッ


ま、お皿の1枚や2枚は

手洗いします(^^)


食洗機の無い生活の方が

働く主婦にとっては必要不可欠だと


たった15日間で思い知らされた

バツレッドバツブルーバツレッド


ちなみに今回購入した物は

値段の観点から

以前同様「4人家族にお薦め」で、

少し値段を出せば

大きいサイズが入る「大き目」の

「大家族にお薦め」の

食洗機もありました


ほぼ旦那さんと2人なので

これで充分

ニヤリ


さて、これから

旦那さんの夕飯を作るとしますかカップラーメン

では流れ星









2023/7/15・16
兄に久しぶりに会ったのは
抗がん剤治療を始めてから
実に4ヶ月ぶり
だったニコニコ

合間合間に
電話では声を聞いたりして
様子を尋ねていた

ある時は元気で
ある時は
「もう無理かな?」
と思えるような声色で
携帯

抗がん剤を投入した週は
本当に身体が辛く
仕事に行っても
1、2時間で帰宅してからと

私はそれでも仕事に行っているのか?
と驚くほどでしたが
兄は「仕事に行ってる方が気が楽なんや」
と言いましたガーン

家に篭っていると
自分の病気の事を考えさせられて
気持ちが余計に辛く
なるのだと

確かにそうかもしれない汗汗汗

6月14日バースデーケーキ
この日は兄の62回目のお誕生日
この日の電話の声色は
とても元気でしたドキドキ

そしてこの日の会話で
「来月の海の日の㊗️に
そっち遊びに行くからなぁー」
と約束をした

兄は岐阜に来る時、必ず
全てのSAに寄る爆笑
なので普通なら3時間もあれば
到着するのだが
兄たちは毎回悠に5時間は
かかってしまうのだ
車
車車

だけど病気の身体で
嫁のためにもどこか行こう❗️
行ってあげよう❗️
と思うのは凄いな〜と
感心する
合格

久しぶりにあった兄は
少し痩せてはいたけどこれまで通りの
吉本新喜劇的な面白さ
義姉とのやり取りも夫婦漫才ニヤリ
ちょっぴり安心した

これまでなら外に食事に
出掛けていたのだが
食が細くなったのと
直ぐに身体が怠くなってしまうから
家で小さな宴会生ビール

我が家の次男も嫁を連れて来た
(兄夫婦と嫁は初対面)

それでも義姉が言うには
楽しいのかいつもより食べてるよナイフとフォーク

楽しい時間は慌ただしく過ぎ
1泊2日は
あっ
という間だった

「ほな又な」と帰り際の
いつもの言葉
そして
西宮に帰る兄の車が見えなくなるまで
見送るいつもの風景

だけど
私の心と頭の中では
「すい臓がん」
の病名が蔓延り
「あんなに元気やのになんでや‼️」
と言う怒りと💢
悲しみで涙が溢れて
いました

つづく…






 

 

異常な警告音

 

 それは4月の9日火曜日のこと

(今回は少々長話になります)

 

朝起きて前日の夜に掛けていた食洗器の中の

乾いた食器たちを片付けようとキッチンへ

 

食洗器の数字の箇所が【70】を

示して点滅していた

 

途中で不具合でも起こり止まったのか?

それとも寿命が来てしまったのか?

 

再びスイッチをON

『プスッ』という軽い機械音と共に数字が消え

2度と動くことが無かったガーン

 

食洗器庫の中には機械が途中で止まった事を物語る

洗浄水が溜まったまま悲しい

 

家を建ててから21年間🏠

良くぞ長期に渡って働いてくれました

ありがとうスプーンフォークコップ

 

とここまでは悲しいけど良かった

 

午前中は病院に行く予定ががあり

買い物を済ませ帰宅

 

お昼も済ませたので

「さぁ食洗機に取り掛かろう」

 

先ずはお水が溜まっているから自分で出来る事は

やっておこうグッ

などと思いデスクトップの前に座り

「食洗器・故障・自分で修理」

と打ち込みクリック

 

似たような事を思う人は

この世の中には居る・・・はず・・・

 

いくつかブログが出て

その中の1つをクリックパソコン

 

「久しぶりにDIYの血が騒ぐ」

みたいなタイトルだった気がする

 

しばらくは食洗機の説明が書かれており

次のページに行く矢印があり

続きを読むために矢印にカーソルを合わせ

クリックパソコン

 

 

次の瞬間

 

ファンファンファンピリピリピリピリピリピリ

 

と耳を劈くとてつもない

猛烈な勢いでけたたましく鳴り響くサイレン音ピリピリ

この中で音が出せないのが悔しい(笑)

例えて言うなら救急車?パトカー?

 

そしてパソコンから

「このパソコンはトロイの木馬に感染しました」

「日本マイクロソフトに連絡を入れてください」

「画面に出ているNo.に連絡をしてください]

のアナウンス

 

 

普段の自分なら本当にそんな事があるのか

どうかをググるのだが携帯

この時に限って

何故か、本当に何故か・・・

あのけたたましいサイレン音が

心理状態を狂わせたとしか言いようがないが

電話をしてしまったドクロ魂

(言い訳ですね)

 

実は電話をしても

ハッカーだと気づくまでに少々時間が掛かった

 

何故なら・・・・・

しばらくは完全に信用してしまったからですガーン

 

最初は女性が電話口に出て

「あなたのパソコンはウイルスに感染しました。

ですがもう大丈夫です。

今から一緒に直していきます」

 

そしてパソコンを遠隔操作出来るまでに誘導され

そこで「次の担当者に代わりますね」と。

 

私は「騙されてないかな?」と思いながら

女性の後ろから聞こえる会話に聞き耳を立てると

後ろの声も私が当初聞いていた

「あなたのパソコンは・・・・・」と複数の声が聞こえて

「大丈夫だな」と又ここで信用してしまったからであるガーン

 

 

次に電話口に来たのは男性で

「私はジャックウイリアムといいます」

そう言いながら私のパソコンの画面に

日本マイクロソフトの写真入りの社員証

・・・もちろん偽物でした・・・

を見せてパソコンの中身を次から次に操作

 

 

この時づっと

「このパソコンをウイルスから守るためには

セキュリティーを強化しなければならない。

今のままでは泥棒にパソコンの中の重要な情報を持っていかれる

だからここにセキュリティーの強い

ファイアーウォールを入れなきゃならない

わかりますかぁ?」

 

このセリフを繰り返し言われ

 

私自身が入れてあったセキュリティーでは

ダメなんだと言うことを知らせるために嘘の報告で

「見てください、あなたが入れているソフト、

全ての機能が【停止】していますね」

 

この後の会話で初めて

お金を請求され、そこで初めて

完全に「詐欺」

だと気が付きました(遅)えーん

やり取りが始まってから約20分経過していました

 

パソコンの電源とWi-Fiのルーターを切断し

念のためカード会社には紛失届を連絡

 

そして携帯の履歴で判明したのは

日本国内に電話をしていると思っていたのに

なんとなんとハワイへの電話履歴でしたガーンガーンガーンガーンガーン

もう踏んだり蹴ったりで

この後、どれだけの請求が来るのかが恐怖です

 

ちなみに、電話の途中で不審に思い家電電話

から110番に問い合わせを掛けたパトカー

 

駆けつけてく来たが、、、、、、、あせるあせるあせる

何もすることが無く

状況説明することとカード会社への連絡に

立ち会って・・・くれました・・・必要(笑)?

いえいえ、震えが止まらなかったのでありがたかったです

 

 

食洗機が壊れ

詐欺(ハッカー)に合い

しかも海外通話¥

 

この日は今後の私の人生において

忘れられない1日になることは間違いありません泣

 

皆様もどうかハッカー&詐欺にはお気をつけ

くださいませね笑い泣き

 

そしてこの日の最後に再び悲しい事が・・・

上記に比べたら大したことではありませんが、

 

 

海外で勤務している長男夫婦

今年は8月のお盆に帰省して来れる予定でした

私の夏のお休みとすっぽり被るので

嬉しくて2日前にも帰って来た時の予定などを

心ウキウキで話していたのです

 

なのに、なのに

チーン

会社のバカ(心の声ですよ)

バカバカバカ

 

今の国に行ってまだ2年なのに

「転勤」の辞令を下し

8月の帰省の予定を立てていた辺りで

お引越しトラック

 

帰省帰国の申告はしていたようなのですが

(現地社には)

本社からの辞令ともなると

受け入れざる得ないのが現実

 

トホホホホ絶望

ですが、これが会社員の悲しい運命

母として我慢いたしませう

 

お嫁ちゃんのご両親もさぞ悲しい事かと思います

 

こんなに嫌な事が1日で起こるなんで

これが還暦の厄なのかびっくりマークはてなマーク

 

ま、よく分かりませんが

ある意味中身の濃いい1日となりました

 

 

ではでは

本日は長い話を最後までお読み取りいただき

ありがとうございました笑い

 

ここに書き込みが出来き

ちょっと気分が晴れましたお願い感謝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


!!!!

 兄は手術に臨んだが、

腫瘍をひとつも取り除く事ができないまま

手術室を後にし退院して来ました。

タラー

タラー

タラー

この報告を受けた時の自分の心境はと言うと

「がんになった」と言われた時より

衝撃が強くて、言葉を失いいました。

 

 

 

余命は聞きはしなかったが、「すい臓がん」の

生存率からして兄がそう長くないことが理解できたから・・・。

 

だけど兄も義姉も、もちろん私も諦めたわけじゃない!!

 

現在の医学の進歩がすい臓がん治療にも及んでいるはずびっくりマーク

と義姉と光を探すような会話をしました。

 

 

 

退院してから幾日が経ち

去年の今ごろ4月の2週目辺りだったかな?

「抗がん剤治療を行う予定が立ったからニコニコ

と連絡が入りました。

予防接種

予防接種

予防接種

この連絡が入った時、兄はもちろんまだ元気で、

「今年のGWはそっちに遊びに行くからな車

 

 

と元気な言葉がありました。

 

 

そして最初の抗がん剤投与の日には

いつもの様におどけてピースをしている写真を送って来ました。

 

しかし、いざ治療が始まり投与が完了すると

余りのしんどさに辛くて苦しくて

食事も喉を通らなくなるほどに叫び

 

兄の仕事は水道工事・・・ざっくりとの説明(笑)

なので外現場での仕事が多く、

体力の必要な仕事。

 

 

治療を行いながらも仕事に行くので1日数時間しか

現場に立てないことも暫し。

 

 

「休んだら?」と言っても

仕事が好き、ん~好きだけでは言葉が浅いのですがあせるあせるあせる

「男は仕事をしてこそ男」

と強く思っている兄にとって病気と言えども

仕事に行かない…行けないのはそこで全てが終わってしまう程の

大きな壁なのだと思いました。

 

 

4月も後半に差し掛かり、GWも目前にしたころ

「あんなぁ~、余りにもしんどいから行くの辞めとくは」

「遊びに行くのごっつい楽しみにしててんけどなぁ」

 

 

と、落胆の声で電話をして来ました。

肩で息をしている・・・・・そんな感じの声で泣

 

 

兄は「私らが帰るから」と言っても

「あかん、俺らが行くんや」と、実際何処が誰の故郷や?

って言いたい時もあったほど岐阜に来ることが多かったです。

 

 

なので来ることを中止するのは淋しく辛かったかと思います。

 

 

「治療受けて元気な身体やったらいつでも来れるんだからね」

とこの時は励まして電話を切りました。

 

 

手