寺田屋では今週
鰻祭りをやっております。
土用の丑の日は来週ですが
もう暑すぎません?💦
早めに鰻食べて
精を付けておきましょう。
祭りなので
今回はフェア価格にてご提供
させていただいております。
『うざく』
1380円を→1100円に
『うなぎオムレツ』
1480円を→1200円に
『うなぎ飯・オムライス風』
2000円を→1700円に
鰻はもちろん全て国産です。
鰻以外もちょっとアップ。
『田舎風パテ』がいい感じで
食べ頃です。
こちらも是非
暑いし、ゲリラ豪雨みたいな雨は降るし
15時から開けていても
どなたもお見えになりませんが、
それでも寺田屋は15時オープン。
本日も21時までご来店
お待ちしております。

閑話休題、飲み歩きブログ
シェフが副鼻腔炎の治療のため
阿倍野区まで通っております。
これまではお店もオープンしたばっかりだったし
飲みに行く余裕はありませんでしたが、
手術も無事終わったし
少し街の探索をしようと言う気持ちになって来ました。
ワタクシ達は谷町線で来ますから
金子耳鼻科さんへは
文の里駅から歩きます。
と言う事で、文の里探索。
大阪生活は35年ほどになりますが
文の里を歩くのは初めてです。
文の里って結構大きな商店街があるんですね。
途中、阪神高速が上を通っていて
途切れるのかと思うと
その先も続いています。
面白そうなお店がいろいろあったのですが
この日の目的は『文の里松寿し』さん。
お客様から、大阪寿司が食べれる
貴重なお店だと伺いました。
見て!凄い外観❗️
創業は大正時代。
と言うことは、築100年くらい。
外観はほとんでいじらず
当時のままだそう。
店内はこんなふうに超レトロ。
めっちゃ良い
メニュー表も簡潔です。
ちゃんと写真入りのメニュー表もある。
これを寺田屋もやるべきですよね、
すいません😂
飲み物は、瓶ビールと菊正宗と
焼酎のみ。
OKです。
では清く瓶ビールからいただきます
たこわさは、お通しかと思ったら
サービスでした。
アルコールを頼むと出てくるのかもしれませんが
そこのところは不明です。
まずはお造り盛り合わせから
皿ではなく鉢での盛り込み。
時代を感じさせてくれますね〜。
ネタはちゃんと熟成がされていて
美味しい
ではここからは日本酒で。
菊正宗は燗酒にして貰いました。
ひやで頼りなさを感じる日本酒は
温めるに限る。
酢の物を頼むと
結構なボリュームで登場
タコの下に、エビと蟹身が隠れています。
酢加減は甘めで
あゝ大阪の味だなぁって感じ。
日本酒をサクサク飲み進めながら
メインのお寿司をどうしようか
悩んだのですが・・・
この日は7月7日の七夕でした。
では、ちらし寿司で
ちゃんと酢飯にも具材が混ぜ込んである
青豆まで美味しいちらし寿司
これが1200円
こちら松寿しを創業した方は
元々氷の販売をしていた方だそうです。
あちらこちらに氷を届けている中で
寿司屋さんがどうも景気が良さそうだと
業種転換して寿司屋を始めたとか。
この手の話って
現代では「そんなに簡単に⁉︎」って思うんですが
割と戦前は聞くんですよね。
戦前の方が圧倒的に
自営業の人が多かったし
皆保険制度なんか無かったから
大変な面もあったでしょうけど
中々ダイナミックで自由なエピソードが
多くて面白いです。
今の大将が就職して入店した頃のお話も
聞きましたが
まさに三丁目の夕日の世界。
このそれほど大きくないお店で
店主の家族3人と従業員10人、
総勢13人で回していたそう。
みんな住み込みで
2階には二段ベッドが4つおいてあって
8人が寝起き、
後の二人は和室で同居。
小僧は入店してから3年間は
出前と洗いもんだけ。
4年目から巻物などをやらせてもらえて
一人前になるまでには
10年かかると言われ
その通りに10年修行されたと
仰ってました。
この辺のお話は
シェフの修行時代とも被ります。
シェフが東京に出て
日比谷松本楼で働き始めたのは
1980年くらいですから
要はバブル期以前には
「職人は修行をしてなるもの」
と言うのが当然でした。
景気も良くて
店内にびっしり積んである寿司桶が
午前中には全てで払い、
一旦回収して洗って
夜に備えたそうです。
この寿司桶の山が2回転
ひーっ
黒電話も鳴り止まなかったことでしょう。
優しい大将はお話もお好きなようで
大変楽しかったです。
〆に鉄火巻をいただきました。
ちゃんと中にワサビが入ってる
嬉しいー。
これだけ食べて飲んで
お会計6000円。
絶対また来ます。
今度は大阪寿司を食べよう