暑い日差しの下で -3ページ目

暑い日差しの下で

著者のアメリカ音楽留学までの準備、
英語との戦い、留学中アメリカ生活に
おいての出来事を綴ったブログです。

学校探しは、大変だった。何も情報がなくて、ただただ自分の中で焦る日々が続いた。

英語を教えに来ていたアメリカ人のリック・オーバートン先生が、めぼしい学校を紙に書いてくれたのを思い出した。





大学4年生の私は、リック先生のジャズの授業をとりたかった。しかし、その授業を受けるためには、「事前説明会」に必ず出席しなければならないという、音大からの訳のわからない「条件」があった。

私は、事情があって、その説明会に出れないことを教務課に行って掛け合ったが、

石頭の教務課は、「あの、説明会に出ないと・・」の一点張りだった。

一方先生の方は「教務課がOKなら」ということだったが、ダメだったのだ。                                        
取りたい授業が時間割の関係でとれなくて、交渉した人は何十人といるが、

ほとんどが受け入れてもらえないか、

「わかったわかった、来年はこういうことが無いようにするから」

とあしらわれ、翌年も同じ、ということが日常茶飯事であった。

私は、東京音大の、こういう所が、嫌だった。                     

高い学費をとっておいて、どういうことだ。

だけど、私は4年生、来年はない。諦めなかった。

どうしても、リック先生の授業が受けたくて、1年生の英語の授業に行かせてもらえるよう、先生に頼んだ。そして、たまたま一人の欠員が出たばかりで、私は受け入れられた。

授業が始まって初めて知ったが、先生の授業では

「英語で四分音符は何というか」

など、留学に役立つ授業だった。あの時頑張って、授業に行かせてもらって、本当に良かったと思っている。




運良く、その紙は残っていた。



それらの学校に募集要項を送ってくれるよう、問い合わせた。

自分がついていた大学のピアノの先生に、どこか、いい学校がないか、教えて欲しいと聞いたことがあった。


「アナタね、アメリカに行くにはまず英語が話せるようにならないと。英語ができるようになってから聞いてね」

・・・すごいショックだった。



心臓をバクバクさせながら、決心してリック先生に尋ねることにした。

先生は、親身になって聞いてくれた。

助けてくれたのは、ピアノの先生ではなく、英語の先生だったのだ。



その後、留学中、何度もアメリカ人に助けられた私は、アメリカ人のほうが、よっぽど親切であることを、身を持って知ることになる。ただ、この時は、先生の前で緊張していたし、必死だった。



人気ブログランキングへ←面白かったらクリックをお願いします。


ホームページも見てね~http://www.wix.com/hanaeyoshida/officialweb