父の会社の倒産や、両親の離婚、急な引越し。
貧乏のどん底に達してから、労働で頭がボーッとしていた。
未だに留学している弟に腹が立ちながらも、日々起こる、母との衝突に、息が詰まりそうだ。
一人の時、自然に涙がこぼれてくる、よくあることだった。
漫画喫茶のビルから降りると、今日も日差しが暑かった。
そろそろ、学校を決めなくてはならないな、と思った。
Arcoから出版されている本をアメリカから取り寄せた。その本には、演劇、ダンス、音楽学部のある大学について、書いてあるものだった。
今思えば、だいたいどこの大学にも、当たり前のようにあるこれらの学部だけれど、当時の私には、空に浮かんだ無数の雲を、目を閉じてつかむようなほど、
学校については、皆目検討もつかなかった。
本を見ていると、一番安い学校に目がいった。
Wichita State Universityと書いてある、ヴぃちた?と読むのだろうか。
他の学校に比べて、安すぎる。大丈夫だろうか。
だけれど、この学校の学費なら、持っていく予定のお金で、しばらくは勉強できる計算になる。そして、昔、リック先生が書いてくれた学校の中の一つ、ヴァージニア州のShenando Universityもあった。 この学校なら、TOEFLの点数は足りている。そういえば、弟が行っているオハイオ州の学校はどうだろう。
私は、留学の意思を、最近、小出しにしていたつもりではあったが、
まだ母は、私が留学するつもりであることを冗談半分に聞いていたし、暗黙の内に、反対していた。
「学位をとらなくても、聴講でいいんじゃないのォ~?」
適当に聞き流しているだけである。
もう、限界だった。
私は、リック先生が最も推薦していた、メアリーランド州の、John Hopkin's University (ジョン・ホプキンス大学)の中にあるPeabody Institute (ピーバーディー インスティテュート)という名前の音楽学部を始めとして、シェナンド大学、ボストン大学、シカゴのルーズベルト大学などの学校数校の他、弟が行っているオハイオのトレド大学にもEmailを出し、募集要項も取り寄せて見ることにした。
なかなか来ない学校もあった。
「私は、電話したよ、来ないから!」
という、昔、英語の塾で一緒だった留学した友達の言葉を思い出し、
送ってこない学校には勇気をだして、国際電話をかけた。
ダイヤルを回す前に英語を紙に書いて、練習。それから受話器を取って、思いっきり喋った。
ピーバーディーや、ルーズベルトは、外国人向けの奨学金が無かった。
ボストン大学は、「は?聴講?何の意味があんの?」という回答がE-mailで来たのだった。
学校全体の奨学金ではなくて、その学校の音楽学部の独自の奨学金の制度なら、だいたいどこの学校にも制度としてあるというのは、後でわかったけど、
日本でしか暮らしたことのない私には、わかるはずもない。
受験者用のオフィスではなく、直接音楽学部の教授にメールを出して、確かめるという方法も、知らなかったし、元来引込み思案の私には思いつかなかった。
アプリケーション(志願)の常識に思えるこういった方法についても、わかったのは数年後だ。
こんな事、留学経験のある、私のピアノの先生だったら知っていたはずだ。
その他には、日本や、外国で行われている音楽祭に参加して、好きな先生を見つけ、その先生の学校を受ける、という方法も、数年後くらいから流行りだしたようだけど、
朝と夜、バイトを掛け持ちしているような人間には、音楽祭なんて到底無縁な話だった。
だんだん候補は、絞られていった。安くて胡散臭そうな Wichita State University, Shenando Conservatory, そして弟の学校 Univeristy of Toledo.
私は弟とは仲良くなく、弟に先輩風を吹かれるのも嫌だったので同じ学校には行きたくなかった。それに加えて、
聴講も、普通の授業を取るのも、同じ学費、と言われたので、行く気はなかったが、とりあえず、兄弟の行っている学校なら、おかしな所ではないし、
願書を提出してみることにした。
