こんにちは!ものの見方転換アドバイザー・花緒です!
今日もご覧くださいまして、ありがとうございます(*^^*)
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引っ越しまで1か月を切り、荷造り・掃除やらライフラインの手続きやらなにやらでばたばたと日が過ぎていっています。GW終盤から始めた運動のおかげで筋力がちょっとずつついてきて、腹まわりの肉浮き輪が少しずつしぼんできたような(苦笑)
アラフィフなので心拍数の上昇しすぎには注意しながら、ビリーズブートキャンプをつづけていますw
さて、久々の昔話シリーズ、今日は「牛鬼淵」をお届けします。
三重県に伝わる、化け物のお話です。
ざっくりストーリー
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昔、伊勢の山奥には頭が牛で体が鬼という化け物が住むという淵がありました。
ふたりの木こりが、その淵の近くの山小屋に泊りがけで木を切る仕事をしていたときのことです。
木こりたちは大きなのこぎりを使います。毎日夜になると年配の木こりはのこぎりを丁寧に研ぐのを日課にしていました。
ある日の夜更け。いつものように年配の木こりがのこぎりを研ぎ、若い木こりはそばの囲炉裏で酒を飲んでいると、小屋の入り口を覗く者がいることに気づきました。
その男はてぬぐいを被って顔がよく見えませんが、大柄で、入口の外からほんの少しだけ中を覗きこみながら声をかけてきました。
「お前さんがた、なにをしているのか?」
人里離れた山奥の、しかもこんな夜更けに、ほっかむりをした怪しい男・・・。
年配の木こりはなんとなく、嫌な予感がしました。まさか、ここいらに伝わる鬼じゃああるまいな・・・?? そこで、こう答えました。
「木を切るのこぎりを研いでいるんじゃ。この、一番下の刃(は)は「鬼刃(おにば)」といって、鬼を殺すための刃なんじゃよ」
すると、怪しい男はだまってすうっと姿を消しました。
それ以降毎夜のように、その男は現れ、同じことを聞くようになりました。
これはいよいよ、本当に鬼かもしれんな・・・。
そういう年配の男の話を、若い男は笑ってまともに聞き入れようとしませんでした。
ある日木を切っているとき、のこぎりの刃が硬い幹に食い込んで、鬼刃が折れてしまいました。嫌な予感がしたので、年配の木こりはその日のうちに里へ下りて、ノコギリの刃を直してもらうことにし、山小屋にのこるという若い木こりに「毎夜来るあの男には、決して鬼刃が折れたことは話すなよ」と言いつけて、山を下りていきました。
ところが・・・
若い木こりは鬼の話などまったく信じていませんでした。
そしてその夜、またあの怪しい男が現れます。年配の木こりがいない理由を尋ねられた木こりは、酒が入っていてつい、鬼刃が欠けてその修理のために出かけたと話してしまいました。
すると怪しい男が「そうか、今日は鬼刃はないのだな」というと、ぬぅっと小屋の中に入ってきました。てぬぐいを取った頭には2本の角が生えており・・・ 怪しい男は伝説の「牛鬼」だったのです。
翌日年配の木こりが急いで山小屋に戻る途中、淵の水面に若い男の着物が浮いているのを見つけただけで、若い木こりの姿はどこにも見当たらなかったということです。
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三重やるなあ!!w
これは結構コワイ話ですねぇ~!!
これは結構コワイ話ですねぇ~!!
これもまた、全国各地に伝わる「鬼」が出てくるお話です。
木こりが使っているこのノコギリは、いわゆる「木挽き(きびき)ノコ」と呼ばれるのこぎりで、一般的なノコギリに比べて効率的に木を切ることができるよう、大きな刃がならんでいます。その最後、一番手元の柄に近いところにある刃が「鬼刃」で、鬼の歯(?)を模して作られたといわれており、魔を払う力を宿すといわれます。
昔から、山は神聖な場所として人々からあがめられてきました。神聖な場所であるが故、魔物も多く住み着くといわれます。
今のように交通手段や通信手段などがほとんどなかった昔は、人里離れた山奥でなにか事故にあった場合、それが致命傷となって命を落とすことも多々ありました。ですので悪いことが起こらないように、魔除けとして鬼刃を仕込んでおいたようです。
ノコギリや刀などは、心理学的にいうと「男性」そのものを現すほか、攻撃性や極度のストレス、恐怖心も現します。
山にこもり、自分や家族に何があってもすぐには戻れない隔絶された環境の中で、危険な仕事をしていたわけですから、そのストレスは半端なかったことでしょう。
その弱い心を「魔」が狙ってきた。つまり若い木こりは、まだ年配の木こりほど心が強くありませんでした。隔絶された山の中で何日も仕事をするうち、さらに心が弱くなって、注意力が散漫になったために、ノコギリの操作を誤って刃を折ってしまったのです。
このお話は現代に伝わるある種の都市伝説と似た点があります。
「幽霊や魔物と出会った者はすべて死ぬ」というたぐいのやつです。じゃあだれがその話をしたんだよ!というツッコミがされるパターンの話ですね。
このお話にも、若い木こりが鬼に襲われて死んだ、という記述はどこにもありません。後から淵の水面で男の着物が見つかっただけで、だれも木こりが鬼に襲われたところを見ていませんし、音を聞いた人間もいません。
「鬼」のもつ見た目問題・・・人とは大きくかけ離れた恐ろしく醜い姿・・・が、何の証拠もないのに鬼を悪者と決めつけているのです。
わたしはこの点に、このお話の「闇」を感じてしまいます。
もしも、この話の中で語られている「鬼」が、見た目問題を抱えた普通の人間だったとしたら・・・?
たとえば、何らかの事故や病気が原因で外見に問題が生じ、それを忌み嫌われて村を追い出され、山奥でひっそりと暮らしていた、普通の人間だったとしたら?
彼はただ、人恋しくて、話をしたくて、木こりたちの山小屋を訪ねた。
自分の見た目が人によい印象を与えないことをよく知っていた彼は、相手を驚かさないよう、わざわざ夜になってから木こりたちを訪ねました。そして、彼らに嫌われたくなくて、明るい屋内に踏み入ろうとせず、入口からほんの少し顔をのぞかせるだけにとどめました。
ですがなにを話せばよいのかわからず、なにをしているのか?と尋ねます。
ところが。
年配の木こりは、恐ろしく大きい、刃の何枚も付いたノコギリを、毎晩とりつかれたように研いでいるのです。しかも、自分の質問とはあまり脈絡のない、鬼刃の話をしました。「この鬼刃は、鬼を引き殺すんだ」と。
この様子と返事の内容に、狂気を感じたのは私だけでしょうか?
そりゃあ無言で立ち去りますよね、鬼じゃなくても(苦笑)
若い木こりは、単に心が弱っていたところに酒を飲んだことで、心神耗弱状態に陥り、走って外へ飛び出して淵に落ちたというところではないでしょうか。
醜いものを悪と決めつける、人の心の恐ろしさと弱さを語った昔話だとおもえてなりません。
先日、ネットの記事でゲイの男性の体験談を読みました。
ゲイであることをせめて母親にだけは認めてもらいたいと思い、母親に打ち明けるのですが、母親は彼を認めることができなかったというお話でした。
現在は性別や好みなどについて、千差万別であるという認識が、少しづつ広まってきていますが、それでもなかなか社会的に受け入れてはもらえないのが現状です。
見た目問題も、同じだと思うのです。
誰も彼の本質を見ていない。彼が恐ろしい存在なのかどうかを判断しているのは、彼を見た側の人間の中の「常識(と思い込んでいること)」なのです。
人はだれしも自分がそれまでにしてきた体験から学び取ったことを基準として、それに沿って生きています。人から言われたり、実際に体験したことでその「基準=常識」が作られるので、実はそれはみんな違うわけです。
自分の中のフィルターを通して相手を判断し、良い悪いを勝手に決めているのです。
例えば赤ちゃんを見たとき、感じ方は人それぞれですよね。
純粋無垢で、かわいらしいと感じる人もいれば、
ひっきりなしにギャーギャー泣いて、ただミルク飲んでウンチするだけの面倒くさい生き物と感じる人もいます。
それは、その人がしてきた過去の体験から、その人が作り出したフィルターを通して赤ちゃんを見たときに湧き上がってくる感情が、人それぞれ違うからなんです。
でも本当は?
そのフィルターを外してみたとき、
赤ちゃんはかわいいだけの生き物でしょうか?
赤ちゃんは面倒くさいだけの生き物でしょうか?
どちらも当たっている。でも1面だけしか見ていないんです。
物事を多角的にみること。視野を広げること。
これが、あなたの考え方・感じ方を変えてくれます。
心を鍛えて、強くしてくれます。
あなたの中の「常識」にとらわれないでください。