「イワナ坊主」と、悪いことは破滅を招くというお話。 | 花緒no心理学ブログ

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ものの見方転換アドバイザー、心理カウンセラー花緒の、昔話分析
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こんにちは!ものの見方転換アドバイザー・花緒です!
今日もご覧くださいまして、ありがとうございます(*^^*)
 
いまだかつて経験したことがない、大連休だあ!!とワクワクしていたのに、ゴールデンウィークも気づけば今日で終わり(泣)

まだまだ日数あるしー!なんて思っていた連休前半、ゴロ寝とYoutubeで1日をつぶしてしまったのが今になって悔やまれる・・・(苦笑)
 
とりあえず明日からまたがんばりましょうーー!!
 
 
さて、今日はわが福島県の会津地方に伝わる「イワナ坊主」のお話をご紹介します。といっても様々なバリエーションで東北地方を中心に、あちこちに伝わる昔話です。
 
(ちなみに今回この記事に使用させていただいたイラストはイワナではなくヤマメです)
 
 
ざっくりストーリー
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昔、ある夏のこと。水無川のずっと上流で、4人の木こりが山小屋に泊りがけで木を切っていました。あまりに連日暑いので、4人は翌日は仕事を休んで魚とりをして休むことにしました。

普段は釣りで魚を捕るのですが、この日はできるだけ楽をしようと「根流し」という方法をやることにしました。「根流し」というのは、山に生えている毒を含んだ木の根や植物を煮たりすりつぶしたりして「毒液」を作り、それを川に流して、毒で死んだ魚を一気に大量に捕る方法です。
 
その夜、4人で毒液を作っていると、山小屋をひとりの僧が訪ねてきました。こんな山奥になぜ、どこから来たのか?といぶかしむ4人に対し、僧は「根流し」などしたら小魚までたくさん死んでしまうから、そんなことはやめるようにと言います。
 
4人はこれは面倒くさい男が来た・・・と思い、とりあえず僧を招き入れ、団子をごちそうしながら話を聞き、「根流しはやめる」と口先だけ約束をしました。僧は安心したようで、団子を食べて帰っていきました。
 
翌日のこと。4人はもちろん、「根流し」をやめる気などありませんでした。川に毒を流し、浮いてきた川魚を採りました。そしてもっと大きな魚を捕ろうと山頂にある「底なしの淵」に行くと、そこに残った毒を流し入れました。
 
すると、見たこともないような大きなイワナが白い腹を上にして浮かんできました。これは大物だ、きっとこの淵の主だろう、と4人は喜び、イワナの腹を裂いてみると・・・そこからボロボロと出てきたのは、昨日僧にごちそうした団子でした。

4人が昨日の僧の正体はこのイワナだったのか、と気づいたとたん、木こりの一人がふいに倒れ、死んでしまいました。
 
時の流れとともに淵や川の水はきれいに戻りましたが、地元の村人たちは後々まで化けイワナについて語り継いだということです。

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このお話は、当時の一般的な村人たちの暮らしから生まれた「民話」です。「根流し」という手法が確立されており、それを用いた漁のしかたも一般的だったということがうかがえます。
 
ですから、この4人の木こりが行ったことは、特段変わったことでもなかったと思われます。
 
山小屋に泊りがけで男4人が力仕事をしているのですから、それなりの精がつく食材を確保しなければなりません。魚のほかに鳥やうさぎを狩るなどもしていたでしょうから、魚捕りをしたこと自体が悪かったわけではない様子です。
 
そもそも川にもたくさん魚はいるはずですし、夏ですから一気に大量に魚を捕っても保存することができません。川に毒を流すだけで、4人にとって十分な量の魚は確保できたはずです。
 
イワナは水のきれいな渓流に住み、とても警戒心の強い魚です。なかなか釣れないがゆえに、余計に釣り人の心をひきつけてやまない魚なのだとか。「逃げるものを追いかけて、苦労しながらも捕える楽しさ」を求めるのは、世の多くの男性にあてはまることなのかもしれませんね。

心理学的にみると、イワナなどの「魚」は幸運や豊穣、財産などのほかに、性的な意味での「男性」を現すことがあります。ということは、世の多くの男性陣にとって「魚」自体は性的興味を引く対象=女性を象徴していると考えられなくもありません。若い男性4人が一定の期間、家族や恋人から離れて山小屋に寝泊りしているという環境から察するに、女性恋しいという気持ちは強く持っていたかもしれません。
 
こう考えると、木こり達の気持ちは多少理解できます。

大きさから言って、このイワナは長い時間を生きて「妖怪」になったのでしょう。タヌキでもたまに失敗して茶釜と半分半分の姿になったりするわけですから(「ぶんぶく茶釜」参照)、人に化けるのは妖術の中でも高度な技のはず。人に化けるだけではなく、水から離れ、歩いて行かなくてはならないのですから、もしかすると命を縮めるほど大きな妖力が必要だったのかもしれません。
 

ここからはわたしの裏読みです。
 
木こりの男たち4人は、同じ村の住人でした。村にはとても器量よしの若い女性がひとりいました。4人の男たちは誰が彼女をものにするかで、競ってばかりいました。
 
そのうち、4人の男たちのうち一人が、その女性と恋仲になりました。女性の少ない小さな村でしたので、残りの3人はその男をとてもうらやみました。
 
そんなとき、木を伐採するために数週間、4人で山小屋にこもって仕事をすることになったのです。
 
持ってきた酒を飲んでいるうちに、女性のことで口論になりました。酔った勢いもあって・・・・3人の男たちは女性と付き合いだした男を、殺害してしまったのです。
 
3人は証拠を隠滅するために、山頂の「底なしの淵」に投げ入れました。そこには滝があり、滝壺はとても深かったので、そこに沈めれば死体は浮かんでは来ないと思ったのです。
 
そうして3人は、彼が事故で亡くなったのだと口裏を合わせたのでしたが・・・報告を受けて嘆き悲しんだ女性は、「底なしの淵」に身を投げました。
 
3人は自分たちが犯した罪の重さを背負いながら、一生を過ごしました。
 
 
逃げた魚と罪の代償は、大きかったというお話。

昔は人がみていなくても「お天道様が見ているよ」とよく言われたものでした。悪いことはできませんね!!