「座敷わらし」と、現状を変える方法 | 花緒no心理学ブログ

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ものの見方転換アドバイザー、心理カウンセラー花緒の、昔話分析
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こんにちは!ものの見方転換アドバイザー・花緒です!
今日もご覧くださいまして、ありがとうございます(*^^*)
 
巷は10連休真っただ中ですが、皆様いかがおすごしでしょうか?
 
わたしは6月に引っ越しを決めたので、大々的な断捨離実施中ですwわたし自身はあまりものをごちゃごちゃ持つのはいやなほうなので、必要最低限のものしかないのですが、娘の持ち物がいっぱいあって困ってます。

一番困っているのは「首」(苦笑) 娘が美容学校に行っていたときに買った、カット練習用のマネキンの首みたいなやつです。燃えないゴミに気軽に出したら警察呼ばれそうだし(苦笑)、かといって飾っておくのも魔のものを呼んでしまいそうだし(苦笑) どうしたもんかなこれ。
 
欲しい方がいらっしゃいましたら差し上げますのでメッセージください(笑)
 
 
さて、今日は「座敷わらし」をご紹介します。

座敷わらしは妖怪のひとつで、全国各地に伝承が伝わる、いわゆる福の神的な存在です。岩手県には本当にこの座敷童が出るという旅館がありますよね。いつか行ってみたいw
 

ざっくりストーリー
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昔、ある小さな宿屋に力自慢の男が泊まっていました。夜、男が寝ていると、どこから来たのか小さな男の子が枕元にいて「遊ぼう」と声をかけてきます。
 
男の子に誘われるまま 腕相撲をするのですが、なかなかどうして、男の子は恐ろしく力が強くて、男はねじ伏せられてしまいました。
 
これが噂をよび、宿には力自慢の男たちが我こそはと押しかけ、男の子に勝負を挑むために泊まり込んだのですが、男の子は一向に現れず・・・朝になると、男たちの寝ていた布団が掛・敷逆になっており、びっくりしたといいます。
 
そんなことがさらに噂を読んで、宿はたいへん繁盛しました。
 
ところがそんなある日、宿の家の者が、入口から外へ出ていく小さな男の子の後姿を見かけます。そしてまもなく、噂も消えてゆき、宿はそれ以降客がぱったり途絶えたということです。
 
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調べてみたのですが、座敷わらしと一言で言っても伝承がありすぎて、収拾がつかないぐらい(@@; そしてわかったことがひとつあります。それは、昔はどうやら「小さい子供の姿をした、人間ではないもの」の総称として、「ざしきわらし」と呼んでいたらしいということです。
 
ですから、霊だろうが妖怪だろうが、まずすべてひとくくりにされていたために、その習性(?)やストーリーに一貫性がないんです。
 
その後、霊と妖怪との定義が分かれ、妖怪として認識が広まってからは、特徴として次のものがあげられるようになりました。
 
◆年齢はおおむね5~6歳ほどで、着物を着た子供の姿をしている。

◆座敷童はあちこちの家をつぎつぎに移り住む。滞在する期間は数日から百年以上までさまざまである。

◆座敷童が滞在している間はその家は栄え、座敷童が出ていくとその家はとたんに衰退する。

◆子供、または子供と同等の純粋な心の持ち主のみがその姿を見ることができる。
 

ますます会いたい(笑)
 
 
さて、世の中に本当に座敷童がいるかいないかはおいといて。
 
心理学的にみると、「子供」というのは自分の中の子供のような部分を指します。例えば純粋さや、わがままな部分、弱い部分などですね。
 
わたしたちが座敷童を通して見るもの、それは、自身の「心の弱さ」だとわたしは思います。
 
座敷童が来て、出ていくことが家の衰退につながっていますよね。

これは、「原因を自分とは関係ない、外から来たものに見出す心理」から来ているものと推測されます。
 
つまり人生における運・不運は、すべて自分がどうこうできるものではなく、ほかから来るまったく予想もしない「なにか」によって引き起こされる、という無責任さが見え隠れしているんです。
 
家の衰退は、その家の者の采配ひとつで良くも悪くもなります。ようするに自分の家が貧乏なのは、たいがいの場合自分の力でどうとでもなることなのに、人はそれを認めようとしないんですね。
 
 
こういった考えを持つことは、誰にだってあります。

それは人の心がとても傷つきやすく、怖がりだから。
 
でも、もし自分の人生をよりよくしたいと熱望するなら、今と同じことを続けていてはなにも変わりません。
 
「コンフォートゾーン」という言葉をご存知でしょうか?

コンフォートゾーンとは、自分がよく知っている、安心できる快適な範囲のことです。これは物理的な範囲(住んでいる町や働いている会社など)のほか、非物理的な範囲(自分はこれ以上できない、という境界線の内側)も指します。
 
人生は変化の連続です。

幼稚園、小学校、中学校、高校と少しずつ行動範囲を広げてゆき、たくさんある企業からひとつを選んで就職したり、出会った人と結婚したりするたびに、環境や付き合う人たちが変わりますよね。

この変化が、人としての成長をさせてくれます。
 
ですが人間はとても怖がりなので、外の世界に出ていくにはかなりの勇気を必要とします。たとえそこが自分にとって不利益な場所だったとしても、外の世界に出てしまったらなにが起きるか予測できない。その恐怖に比べれば、今いる場所の不利益(たとえばいじめにあっているとか、勤め先でひどいパワハラにあっているとか)のほうが、だいたいを予測できるので、そちらのほうが「安全」だと認識します。
 
結果、どこにも出られない。

自分の「コンフォートゾーン」から出ることをかたくなに拒むから、なにも変わらない。
 
ただ毎日、自分の周りの人や環境に責任をなすりつけて、文句を言うだけでは、なにも変わりませんよね?
 
座敷わらしという存在は、「自分を不運におとしめるなにか」を擬人化したものではないかと、わたしは思うのです。昔から人は、その心の弱さゆえに、原因を外に求めてきたということが、このお話から読み取れるのではないでしょうか。
 
静かな水面に小さい小石を落とせば、それは波紋となってまわりに広がります。

もし、あなたが今の生活のどこかに不満を抱いているのでしたら、現状を「いつものこと」とは思わずに、ひとつ解決できるよう動いてみてください。
 
ただし「予測」と「準備」はちゃんとしましょう!それさえできれば、怖いものなんてありません。座敷わらしのせいにしていないで、「コンフォートゾーン」から一歩飛び出してみましょう!(*^^*)