「河童の塗り薬」と、悩みの種は過去にあった!というお話 | 花緒no心理学ブログ

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ものの見方転換アドバイザー、心理カウンセラー花緒の、昔話分析
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こんにちは!ものの見方転換アドバイザー・花緒です!
今日もご覧くださいまして、ありがとうございます(*^^*)
 
日本にはたくさんの妖怪が住んでいますが、昔話にわりと出てくる頻度が高い妖怪の中に「カッパ」がいます。今日はその「カッパ」にまつわるお話をご紹介しましょう。
 
「河童の傷ぐすり」です。
 

ざっくりストーリー
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昔、馬に乗った侍が川を渡ろうとしたところ、馬が突然いなないて、前に進まなくなってしまいました。不思議に思って侍が馬から降り、馬の足元を見てみると、なんと川から一本の緑色の腕がにゅぅっと伸びて、馬の後ろ足をしっかりとつかんでいます。

驚いた侍が「もののけめ!!」と刀でその腕をスパっと切り落とすと、ぎゃあっと声が上がって、川の水に血が広がりました。

「これは珍しいものが手に入ったぞ!」侍は切り落とした腕を持っていた布地に包んで、持っていくことにしました。
 
その夜のことです。

侍が自宅で寝ていると、なにやら怪しい気配することに気づきました。
 
とっさに枕元の刀をつかんで「何者だ!!」と怒鳴ると・・・物陰からおずおずと出てきたのは、昼間腕を切り落とされた河童でした。
 
「昼間は申し訳ないことをしました。もう悪さはしませんから、どうか腕を返してください」と泣いて謝ります。侍は気の毒になり、腕を返してやることにしました。
 
でも、切り落とされた腕をどうするんだろう?

侍は不思議に思い、そう聞いてみたところ、河童は「わたしたち河童の作った傷薬はどんな傷にも効くのです」と言い、切り落とされた腕に持ってきた薬を塗りつけて傷口を合わせると・・・なんと、たちまちもとどおり腕がくっついて動くようになりました。
 
これはすごい薬だ!!侍は驚いて、河童に頼んでその薬の作り方を教えてもらいました。
 
その後侍が作る「河童の塗り薬」はよく効くと評判になり、やがて侍は薬屋を開いて、その後何代にも渡って店は繁盛したとのことです。
 
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河童(カッパ)とは、全身緑色で、背中に亀の甲羅のようなものを背負い、口はアヒルのようにとがっていて、頭の上に皿がある、日本の妖怪です。
 
実はほかにも全身を毛でおおわれたタイプの「河童」もいるらしいのですが、一番ポピュラーなのは前述の緑色の爬虫類タイプですよね。以前日本酒「黄桜」のCMで出てきたのがこの爬虫類タイプだったので、その印象が強い方もおいででしょうw
 
頭の上の皿は常に濡れており、乾くと衰弱するし割れたら死んでしまいます。沼や川に住み、通りがかった生き物の肝や男性のにゃん玉を抜いて食べるとか。男性にとっては恐怖以外の何物でもないですね(苦笑)
 
さて。
 
このお話もよくある昔話の法則が含まれています。

ひとつは「悪いことをするものは痛い目に合う」

もうひとつは「動物に情けをかけるとよいことが起きる」
 
河童は馬の肝を抜こうとしたところ、腕を切り落とされました。でもこれってよくよく考えてみれば、まだ抜いてもいないのに侍は問答無用で腕を切り落としています。ちょっと切り付けて腕を引っ込めさせるだけでいいものを、一刀両断はちょっとヒドイ。
 
河童も、馬から侍が降りてきた時点で手を引っ込めればよかったのに、けっこうトロい(苦笑) っていうか高さから言えば、馬より侍のにゃん玉のほうが手の届く高さなのにねぇ。
 
河童に関する昔話や言い伝えなどは全国各地にありますが、性格はおとなしかったり気が荒かったりいろいろなので、河童も人と同様、十人十色なのかもしれません。
 
この話に出てくる河童はどうもおとなしめで気が弱いタイプみたいですねwww
なんともかわいらしい雰囲気があって好きです。
 

心理学的にみると、「河童」というのは「不確かな何か」「人とのコミュニケーション不足」を暗示します。
 
「腕」は他人との関わり合いを指しますが、侍はその腕を「切り落とし」ていることから、侍はあまり人とのかかわりが上手なタイプではなさそうです。
 
わたしは、この「河童」というのは、侍から見た、周囲の人間に対する「見方」だと思います。
 
侍は周囲の、自分に関わる人たちを、妖怪のように思っていた。自分とはまったく違う生き物であり、コミュニケーションなど取れない相手。
自分は望んでいないのに、相手はなにかにつけこちらに「手を伸ばし」、なにか関わってこようとする。馬の足をつかまれたときも、相手が自分に何か悪いことをしようとしていると思ったから、腕を切り落とした。
 
この侍は、統合失調症だったのではないかと思います。
 
侍という仕事柄、もしかすると過去に強いストレスをもたらす経験があって、それが引き金となって精神を患っていたのではないでしょうか。たとえば人と切りあいになるなどして、「死」に対して強い恐怖を覚えたりしたのかもしれません。
 
そうなると河童は、途中から深くなる川を馬で渡ろうとしている侍を見かけた船頭が、注意を促そうと馬を引き留めただけだったのかもしれません。だとしたら・・・(怖)
 

この地球に住む生き物は、すべて極めて精巧なつくりをしています。

中でも人間は神業なつくりになっており、運動機能だけではなく精神的にも、想像を絶するほど複雑で完璧な造形をしています。体と心は密接につながっており、複雑であるがゆえに、なにかひとつ、どこかが破損すると、違ったところに影響が出てしまいます。
 
破損するきっかけのひとつに、「ストレス」があります。
 
例えば事件に遭遇したときのように、大きいストレスが一気にかかることもあれば、学校や会社でイジメにあうように、少しずつ少しずつストレスが積み重なっていって、ある日限界に達することもあるでしょう。
 
外見上は大きな変化は見られませんし、自分でもそこまでとは自覚しないことも多く、気づいた時には重症化してしまっていた、ということも少なくありません。
 
内面の精神的なケガがじわじわ広がって、言動がおかしくなってくるまで、気づけない。
 
これって実は、結構怖いことなんです。
 

わたしは定期的に、カウンセラー仲間とお互いにカウンセリングの練習をしています。

はじめは自分には人に相談するほどの悩みなんてない、と思っていましたが、練習するために題材を探すうち、自分って実は悩みがかなり多かったんだ!ということに気づかされました。
 
例えば、わたしはとても心配症です。子育てや、仕事など全般的になのですが、普通みんなこんなもんだと思っていました。ところがカウンセリング練習で「その不安な気持ちがどこから来るのか」を探っていったところ・・・
 
思いがけないところに行きつきました。
 
わたしが幼稚園から小学校低学年ぐらいの、子供のころの記憶でした。
 
当時うちでは店を営んでおり、父と母は常に家にいました。学校から帰れば常に父と母、姉、祖母もいて、ひとりぼっちになるということは皆無でしたから、わたしは寂しいなんて思ったことがない・・・・・と思っていました。
 
ところがです。
 
カウンセリングで導かれ、思い出したそのころの自分。虐待などは一切ありませんでしたが、母は仕事と家事全般をきっちりやる几帳面な人でしたので、朝早くから夜遅くまで、休んでいるのを見た記憶がほとんどありません。
 
子供の自分が母になにか一生懸命話しかけても、母はお風呂を洗っていたり料理していたり、仕事していたりととにかく忙しく・・・ 今思えば、自分と真正面に向き合ってわたしの話を聞いてくれている記憶は、一度もありません。
 
いつも忙しい、大好きな母。

母の迷惑にならないように、わたしはひとりでお絵かきをしたり、テレビをみて過ごしていました。「おりこうさん」にしていれば、母がほめてくれました。
 
普通の子供のように、わがままをいったり、遊んで遊んでと騒ぐことは、できなかったんです。子供の自分ではダメだ、自分はひとりでおとなしくできなくては。
 
その思いが、「一人でなんでもきちんとしなくては、母の迷惑になる」→「きちんとできないとダメ」→「予測不可能なことは(きちんとできない可能性があるから)不安」・・というルートをたどって、今現在の「不安症」になっていたのです。
 
これに気づいたとき、わたしははじめて「そこまで心配しなくても大丈夫なんだ、自分はダメなんかじゃないんだ」と思うことができたんです。
 

人の心って、本当に複雑。

悩むというほどでなかった「心配性」ですら、この深さですwww
興味深いと思いませんか?(*^^*)

現代の心理カウンセリングは、「河童の塗り薬」に匹敵する特効薬になる場合もあるとわたしは思います。

何気ない「いやなこと」「嫌いなもの」には、子供のころのあなたの記憶が隠されているかもしれません。原因がわかると、笑っちゃうぐらいスッキリしますよ!ぜひ一度ご体験あれ(*^^*)