明日この世を去るとしても | 花やっこ

花やっこ

ブログの説明を入力します。

明日この世を去るとしても
今日の花に水をあげなさい。

 

樋口興夫氏の本から です

 

いままでどんな生き方をしてきたかはどうでもいい

命は自分の所有物ではなく、与えられたもの

日本の法律では、安楽死はみとめられていません。私たちの命は天から与えられたものであり、自分の所有物ではありません。
 自分のものだったら、所有者の好きにしていいでしょう。しかし、命は誰かの所有物ではありません。この世を去るときには、そっと返さねばなりません。
 積極的に延命治療を求めない尊厳死は認められるべきでしょう。
 与えられた命の扱いは自然に任せるべきでしょう。

 子供も同じです。子供の命は親の所有物ではありません。時期が来たら、親は説教的に子供を放棄せねばなりません。

 私たちは年代ごとに役割があります。
 20代、30代は、人に言われたことを黙々とがむしゃらにやります。
 40代は、自分のやりたいこと、好きなことに専念します。
 50代になったら、積極的に人の面倒を見ます。
 60代になって、自分のことしか考えていなかったら、恥と思え、です。

 高齢になったら、人の面倒など見られなくなります。それどころ人に面倒を見てもらう立場になることが多いでしょう。
 そのときは、人のことを思うだけよい。それがあなたに与えられた役割です。

 聖書にこんな言葉があります。
「若者は幻(ビジョン)を見る。老人は夢(ドリーム)を見る」
 ビジョンとは、一人ひとりが一生かけて成し遂げる目標や目的のことです。
 老人は、自分の人生だけでは到底果たしえないような大きな夢を思い描くのです。ドリームとは、ビジョンよりもスケールの大きな構想のことです。

私見;
   ドリームとは、実現不可能な「見果てぬ夢」「至高の理想」ですね。
   ドンキホーテを題材にした、ミュージカルの中の歌「見果てぬ夢」  
   からです。

正しきを救うために
如何に望み薄く 遥かなりとも
やがて いつの日か光満ちて
永遠の眠りに就く時来らん
たとえ傷つくとも
力ふり絞りて
我は歩み続けん

あの星の許へ