古事記は、国内向け
日本書紀は海外向けに編纂
された神話であり歴史書。
神武天皇は、九州の日向か
ら、東征し、熊野から宇陀
大和の国に入ったとされて
いる。
45歳の時に日向を出発し
宇佐で1年、安芸(広島)
で7年、吉備(岡山)で8年
滞在し、難波、河内、紀伊か
ラ大和に入り、紀元前660
年2月11日に天皇になった
とされている。
127歳まで生き、その後
の天皇も100歳以上生きた
が、それは春秋年の数え方で
1年を2年として数えるからだ。
出発したのが47歳とあるか
ら現代風に言うと23歳頃か。
この地図を見て不思議に思う
のは、古事記で2番目に作っ
た四国には一歩も足を踏み入
れていないこと。
瀬戸内海は潮流が早く、船の
難所で、当時の船では軍団で
進軍するのは無理。
神武天皇は天照大神のひ孫で
あるが、阿波・徳島の伝承で
は、天照大神=卑弥呼で、
卑弥呼は、魏志倭人伝などに
よるとAC170年から248
年まで生きた。
祖母より、孫が800年も先
に生まれるってことは ない。
私は神武東征は、四国から目
をそむける為の創作だと思っ
ている。
建国がBC660年って言うの
も気になっている。
ユダヤ王国が滅び、アークと
ともに歴史から消えたのが、
その年代。
もう一つ。
日本武尊が討伐に行ったの
は、九州、中国、東海、東
北で、伊吹山で病気で死亡
しているが、四国には一切
足を踏み入れていない。
つまり、四国は征伐する必
要がなく、本拠地だったか
らだ。