しっかり、生きろ

 

僕には娘がいる。

大切な仲間もいる。

人生、それで十分じゃないか。

何が不満なんだ。

しっかり、生きろ。

 

何もかもが嫌になり、愚痴をこぼしたくなったとき、亡き妻のブログ「思うことありけり」(2007年5月28日)を読み返し、自分にカツを入れている。

 

親子3人で描いた家族の絵。家族の絆は永遠(2007年10月3日)

 

 

思うことありけり(2007年5月28日)

 

今日怒りをぶつけたかった方は、お友達ではありません。知り合いでもありません。

 

例えるならば、歩いていたら肩と肩がちょっとぶつかった、スーパーですれ違った。

ネットサーフィンしていたら、たまたま私のブログにぶつかった、そういう方です。

 

でも、もし、まだここを読んでくださっているならば、私がその方のことを嫌っているとか、怒っているとかいう、単なる好き嫌いというとらえ方ではなく。エールだと思ってほしい。

 

しっかり地に足をつけて、生きてほしいのです。

 

今日、野党から追及を受けていた政治家が、自ら命を絶ちました。

 

死んでも、何も解決しないのに。

 

自殺は一番罰の多い死に方だと、小さい頃から言われて育ちました。

どんな理由であれ、自ら命を絶ってはいけない、と。

 

今日亡くなられた政治家の方は、死んだ後も、この世以上に永遠に苦しまれることだと思います。

 

残された家族や周囲も、苦しみます。

 

政治家さんの話は、さておき。

 

 

もしかしたら、その方は、薬による副作用で、今、マイナス思考しかできなくなっているのかもしれない。

 

人のことをうらやましがることで、何かを解決しようとされているのかもしれない。

 

でも経験上、マイナス思考からの解決は、絶対にありませんから。

 

がんになって、つらいのは、十分にわかります。

 

がんになっただけでも十分につらいのに、つらいことはその後の方が多いし、つらい時間も長い。

 

でも、がんは治療の選択肢がたくさんある病です。

これから認可される薬も多々あります。

 

再発予防をする努力はいくらでもできますし、それは今すぐにでも始めることができます。

 

そうして、どんなに厳しい状況であろうとも、前向きに治療に取り組み、夢を捨てず、必死にがんばっている方もたくさんいるのです。

 

治療薬のない難病で苦しんでいる方は、大勢いらっしゃるのですから。

 

がんは、治癒の可能性がある病です(何をもって治癒というのかというところあたりは、今回はパスです)。

 

がんになった後、いろんな人の悩みを聞いていたら、私のがん云々の悩みなど「はなくそ」程度でしかないと思えてきます。

 

どうか、しっかりと、生きてください。

 

「人間誰だって、先のことはわからへん。

でも、生きてさえいれば、何とかなるんや。

前に進むことができるんやで~」

 

ジャズシンガーの綾戸智絵さんが、随分前に、コンサートでそう言っていました。

※2007年9月、本名の綾戸智恵に改名

 

のほほんと生きている私に、カツを入れる意味でも、今日はこんなことを思うことができてよかったのかもしれない。

 

その方に、感謝しつつ。

 

でも、もし、目の前にいて、そんなことを聞かされていたならば、きっと、ぐーで殴っていたかもしれない。

 

東城百合子先生ならば、間違いなく、こう言ってる。

「あらそう、じゃあ、死ねば」と。

 

怒っているんじゃない。

愛を込めた、カツだ。

 

五体満足で生まれたんだ。

何が不満なんだ。

目を覚ませ、と。

 

しっかり、前を向いて、生きろ、私。

 

しっかり、生きろ。