悲しみに寛容な場を

 

2008年7月、僕は妻を病で亡くした。人生の土台が揺らぐほどのショックを受け、深い絶望の淵に投げ込まれてしまったような感覚。呼吸ができなくなるほどの苦しみが続いた。

 

初七日を終え、仕事に復帰して間もないころだった。癒やしの家「森のイスキア」(青森県)を運営する佐藤初女さんのことを、ふと思い出した。「初女さんのおむすびを食べれば、元気になるかもしれない」。そう思った僕は、森のイスキアに宿泊の問い合わせをした。事務局の女性に意向を伝えると、「3年待ちです」という答えが返ってきた。

 

あれから18年。結局、初女さんに会うことはできなかったが、妻が遺した音楽イベント「いのちのうた」を毎年継続することで、僕は「元気なころの自分」を取り戻すことができた。ロック歌手の三宅伸治さんをはじめ、多くの音楽仲間たちが寄り添ってくれた。

 

コンサート会場には、僕たち親子と似たような境遇の人もいた。数日前に夫を亡くした人。がんを患っている人。演奏を聴きながら、みんなで泣いたり、笑ったり、飛び跳ねたり。

 

僕たちは「一瞬の家族」になった。

 

妻の命日に東京で開催した「いのちのうた」(2026年7月11日)撮影:富武健一

 

 

佐賀県の山奥に住む夫婦の家にも通い続けた。夫が陶芸家。亡き妻が彼の作品と人柄の大ファンだった。夫婦はいつも庭で火を起こし、僕と娘を待ってくれていた。質問や助言は一切なし。「うん、うん」と相槌を打ちながら、僕の泣き言に耳を傾けてくれた。炭火で焼いた魚や肉、山で採れた野菜、翌朝のご飯とみそ汁に涙が出た。そこは、森のイスキアを擬似体験できるような場所だった。

 

 

グリーフ(悲嘆)は死別だけではない。さまざまな喪失に伴うグリーフがある。人は生きている限り、グリーフを避けては通れない。僕の場合、妻が遺した音楽や食、人との縁で、「生きる幸せ」を感じられるまでになったが、他の人は、グリーフとどう向き合い、どのように生きているのだろう。

 

 

世間では、人前でグリーフをつぶやこうものなら、こう返ってくる。「悲しいのは、あなただけじゃない」「そのくらいのことで」「時間が解決してくれるよ」。相手に悪意はない。だが、「分かったふう」な助言をされると、その都度、傷つく。「こんな気持ちになるくらいなら、言わなきゃ良かった」と後悔することもある。だから、多くの人はグリーフを表に出さず、我慢しているのではないだろうか。

 

 

10年ほど前、ある女性から僕に講演依頼があった。長男を自死で亡くした母親だった。

彼女は、東京都港区でNPO法人「暮らしのグリーフサポートみなと」を運営。そこには、悲しみや生きづらさを抱えている人が安心して語れる場「グリーフカフェ」があった。

 

グリーフカフェには、「いのちのうた」や佐賀の夫婦がもてなしてくれた場と共通する寛容な空気があった。カフェのあり方に共感する一方、世の中に疑問を感じた。誰もが安心できる環境下に集まり、グリーフを分かち合う場が、なぜ、身近な地域にないのだろうか。なぜ、僕たちは、個人的な縁を頼りに、そのような場を自力で探したり、作り出さなければならないのだろうか、と。

 

死別を経験した人だけではなく、もしかしたら、熊本地震の被災地でも、こうした分かち合いの場を必要としている人がいるかもしれない。いや、人が生きている以上、社会になくてはならない場であることは間違いない。

 

多死社会が間近に迫る中、そのことに早く気づいたほうがいい。そんな思いから、今、「グリーフ」をテーマにドキュメンタリー映画(タイトルは未定)を製作している。

 

グリーフに寛容な場。どんなあなたでも受け止める場。

ボランティアに頼らず、分かち合いの場が全国に広がる仕組みを地域に根付かせたい。

そうした社会の実現に向けた道しるべになるような映画をつくりたい。

 

ドキュメンタリー映画は来秋、完成予定。

1人でも多くの人が、僕たち製作チームの“伴走者”になってくれたらうれしいです。