診察室から退出を命じられた
亡き妻千恵が、最初に入院した北九州市内の病院の主治医は「無愛想な医師」だった。全国的にも有名な医師で、とてつもなく多くの患者を診ていた。
乳がんの手術を終えたばかりの千恵が、大学ノートに手書きでつづっていた日記がある。それを読み返すと、その医師の言葉や態度に、時々、腹立たしさを覚えることもあったようだ。しかし、ストレスはがん細胞を喜ばせる、と感じたのだろう。日記では、医師の名前をユニークな愛称で書くなど怒りを笑いに変換している。
抗がん剤治療中の千恵。母が病院に届けてくれた宮若市の巨峰を喜んで食べた(2000年8月)
当時、千恵と交際中だった僕も「無愛想な医師」から「君は家族じゃないだろう。(診察室から)出て行きなさい」と言われたことがあった。2004年1月、千恵は九州がんセンター(福岡市)に転院。以来、その医師と会うことは、もうないだろうと思っていた。
ところが、2019年10月26日、北九州市の乳がん患者会「あすかの会」主催の講演会で講師を務めた際、来賓として呼ばれていたその医師と再会。千恵が他界して11年が経過していた。医師は年をとったせいか、あの頃より穏やかで、ひと回り小さくなったように見えた。
講演を終えた僕は、最前列に座っていた医師に歩み寄り、お辞儀をした。
医師は「いつか、はなちゃんに会わせてください」と言ってくれた。
前回↑の続き↓
以下、妻のブログ。
おっぱいとの別れまでの道のり(2007年5月19日)
そうして紹介状を持ち、私は総合病院の乳腺外来へ行った。
7月の頭だった。
先生は、全国の乳がん学会のトップに君臨するような先生だった。
しかし、本当に、見事なまでに無愛想(がん患者を怒鳴るような人だった。・・・医者の仕事が多忙を極めるのは重々承知している。でも、脳転移した患者さんにも平気で怒鳴っていた。怒鳴られた患者さんは、泣いていた。いくら腕が良くてもこれでは、人間としてどうなのだろうか?)。
診察室に入るなり、「上、脱いで」。
無愛想極まりない。
脱いで、一目見ただけで、納得したような表情。
触診(触って)して、「間違いないな」とつぶやく。
ひと言だけで、診察は終了。
私の顔も、ろくに見てくれなかった。
それ以外は、カルテを書いているばかりの先生だった。
私の告知は、こんな形であっさりと終わったのだった。
この日、「あなたは乳がんです」とは、ひと言も言われなかった。
でも、彼の対応と行動で、全く知識のない私でも、もう十分に理解できたのだ。
診察室を出てから、看護士さんが「先生は、無愛想だけれど腕はいいから安心して」と、フォローしてくれたが、若い私には、何の慰めにもならなかった。
普通は、その日に行ってすぐに受けられることのないマンモグラフィー検査もエコー検査も、この直後に「緊急の患者」として、無理矢理ねじ込んでもらって終了。
*マンモグラフィー検査
乳房のエックス線検査のこと。視・触診で診断できない小さなしこりや、微細な腫瘍を発見するのに役立つ。
これまでに受けてきたたくさんの検査の中で、「痛みトップ3」に入るくらい、痛かった検査と記憶している。
わかりやすく例えると、おっぱいを分厚いプラスチックのまな板で両側からと上下から、ムキムキのキン肉マンから、むぎゅううううううっと押さえつけられる(潰される)感じ。
おっぱいが、ゲゲゲの鬼太郎に出てくる、一反木綿みたいにうす~くペラペラになるまで潰されるので、その痛みと言ったら半端じゃなかった。しかも、検査技師は、男性ばかり。
その日会ったばかりの30代半ばくらいの男の人に、はだけた胸をまじまじと見られ、触られ、潰されるのだ。かなりみじめだった。現在は、女性技師も出てきているようだけれど、それでもまだまだ男性技師の方が多いんじゃないかな。
こういう所で、日本の医学のメンタルケアの遅れを感じたりしたものだ。
*エコー検査(超音波検査)
超音波を臓器に当てて画像にし、病巣を診断する。
これは、痛みは全くない。ジェル状の物を機械の先端につけてお腹に当て、隣にあるモニターで技師と一緒に画像を見る。まな板のコイ状態で済む検査。
2つの検査が終わると、再び診察室へ戻った。
「明後日、来られるよね?」
有無を言わさず、細胞診の日程も決まっていた。
*穿刺(せんし)吸引細胞診
おっぱいのしこりにちょっと太めの注射針を刺し、しこりの中の細胞を取る。その抜き取った細胞を調べ診断する。注射の針をしこりの部分に刺され、「カチン!」とホッチキスを打つような音がすると終了。この、「カチン!」の音の際に、細胞を抜き取っている模様。太めの針を刺すので、やはり、痛い。
良性か悪性かは、この検査結果でほぼ確定できる。
現在は、これ以外にも痛みの少ない検査が出てきている模様。6年前は、これが普通だった。
普通なら、大きな総合病院だと、検査の予約を入れるだけでも1週間後とか2週間後とか、もっと時間がかかるものだ。
短期間のスピード検査、診断、入院、手術だった理由は定かではないけれど、紹介状の力が発揮されたかもしれないのと、しこりの大きさと年齢を見ての判断だったと思う。
「自分ががんかもしれない・・・」という思いは、ここでほぼ確信に変わっていた。
そうして、それから1週間後に、両親と彼を連れて正式な告知を受けることになるのだ。
続く。
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