父親としてできること

 

娘は、アルバイトの掛け持ちと就職活動、大学の課題提出などで忙しく、最近は、夜型生活になってしまった。朝、起きられない。食欲が落ち、疲れもピークに達している。

 

「健康な人でも1日に数千個のがん細胞はできますが、普段は免疫により全て壊されます。しかし、老化や不健康な生活習慣などで免疫力が低下すると、がん細胞は壊されず、成長してしまいます」(大野城市HP「がん検診を受けましょう」)。

 

頑張り過ぎは「諸刃の剣」。娘の一生懸命な姿を見ていると、つい応援したくなるが、時々、ブレーキをかけてあげることも、親の務めだ。

娘は20歳。亡き妻の遺伝が頭をよぎる。

 

 

早寝早起き。ごはんとみそ汁。適度な運動。

娘には天寿を全うしてほしい。そのサポートがパパの役割であり、ママとの約束。乳がんにならないように、口うるさいと煙たがられようが、がん発症のリスクは、可能な限り取り除きたい。

 

朝食はみそ汁と分つき米

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心の健康を保つために音楽を楽しむことも大切。妻の追悼コンサートの打ち上げで出演者と記念撮影(2023年11月23日) 撮影:堀田光空

 

仲間たちと音楽を楽しみ、ごはんを食べる。そんな当たり前の日常がどれほど幸せなことか。千恵の闘病を通じて、そのことに気づかされた。

 

以下、本日紹介する妻のブログ「おっぱいのしこりに気がつくまで」。がんは発見が早ければ早いほど、治癒率はぐんと高まる。若い人は「まさか」と思いがちだが、放っておかず、まずは検診を。

 

 

おっぱいのしこりに気がつくまで(2007年5月18日)
 
乳房は内臓と違って外に出ている部分なので、乳がんは、自分で見つけることができる病気です。
 
かくいう私も、自分の異変に気がついたのは、25歳のちょうど今くらいの季節でした。
 
気がついたとき、それは、左の胸の奥にありました。
 
ちょうど乳首の真下奥くらいの場所に1~2センチくらいの何か堅いものがあったのです。
 
それは、触るとこりこりと堅く、動きます(一般的に、乳がんのしこりは動かないとされていますが、この時点の私には当てはまりませんでした)。
 
痛みはありませんでした。一般的に乳がんには、痛みはありません。もし痛みを伴う場合は、乳腺症を併発していることが多いです。
 
しこりの大きさと、病の進行は、ある程度比例しています。
 
数週間で大きくなってしまうことはほとんどありませんが、数カ月または、数年間も放っておいた場合、中から液体が出たり、しこりや腫瘍が悪臭を伴って皮膚を突き破って乳房の外にはみ出したりします。資料でその写真を見ましたが、すぐに本を閉じてしまいました。
 
また、そこまで放っておいた場合は、リンパ管と血管を通って、がんが肺、骨、肝臓に転移している場合が多く、命に関わります。やはり、早期発見が大事であることは間違いないですね。
 
その時と時期が重なるかどうかまでは覚えていないのですが、思い返してみると、無性に乳首が、かゆかった時期もあったような気がします。皮膚が剥がれるぐらいかきむしるほど、かゆみはありました。
 
でも、まだこの時点では、自分が「乳がん」だという自覚は一切ありませんし、思いつきもしませんでした。年齢から言ってもそうでしたし、身内にがんの患者はひとりもいなかったからです。
 
中高の保健体育か何かの授業で、乳房の中は乳腺というこりこりとした塊がたくさん入っていると習った記憶があったので、そんなものの一種だろうと思い、仕事も忙しいし、放ったらかしにしていました。
 
しかし、当時付き合っていた彼(現在の旦那)も、その頃、その異変に気がついていました。
 
 乳がんは自分で見つける人が多い病ですが、次に見つける人はパートナーです。
 
「おかしい。右にはない。でも、まさかねえ・・・」
 
彼も、この時点では、病との結びつきという考えは一切ありませんでした。
 
そうして、ひと月半かふた月ほどたったでしょうか。
 
左の胸の奥底にあったその不気味なしこりは、触ると倍くらいの大きさになっていました。
 
しかも、左の胸の左上方の表面も3~4センチ四方ほど、まるで硬式野球のボールのように堅くなっていたのです。つまむと堅く、あまり動きません。
 
この時、6月。
 
病院嫌いの楽観主義者である私も「これは、ちょっと、おかしいかもしれない・・・」と、ようやく思い始めました。
 
でも、どこに行ったらいいのか、全くわからない。
 
その時期偶然、とても信頼している人と一緒に夕飯を食べる機会がありました。その方のご主人は、医師でした。
 
聞くつもりはなかったのですけれど、会話の合間でチャンスがあったので、それとなく伝えました。
 
「左の胸に、何かしこりみたいなものがあるんですよね~。ははは」
 
私は冗談っぽく明るく言いましたが、その方の目は笑っていませんでした。
 
「すぐに、病院に行きなさい」
 
その方は、1年前に卵巣がんで妹さんを亡くされたばかりでした。
 
でも、この時点でも、「まさかねえ・・・」という思いがあるものですから、ろくに調べもせずに、乳がんは乳腺外科に行かなければいけないということも知らずに、その週末、とりあえず、自分の住んでいたアパートから徒歩5分で行ける産婦人科へ行きました。
 
産婦人科ですから、乳房を調べる機械はありません。
 
でも、エコーがありました。
 
まず、触診(触ること)。
 
「うーーん。確かに堅いねえ・・・。でも君、25歳だしねえ・・・乳がんってことはないと思うよ。心配しなさんな。とりあえず、エコーだけとっとこうかね」
 
胸のエコー開始。
 
ジェル状の物を手のひらサイズの機械の先端につけ、胸を調べます。
 
画像で見ると、黒い影が映っていました。
 
でも、そこでも、産婦人科医のコメントは、
 
「うーーん。なんだろうねえ。堅いねえ。大きいねえ。心配ないと思うけど、念のため、大きな病院を紹介してあげるから、近いうちに行って検査受けてきなさいね。安心だろうから」
 
そうして、総合病院の乳腺外科を紹介されたのです。
 
調べたからといって、胸のしこりがなくなるわけではなかったのですが。
 
産婦人科医の「乳がんではないと思うよ」の言葉に、私は安堵を覚えていました。
 
長くなるので、明日以降に続く・・・