最高気温が32℃。

 

 




経口補水液を作って飲む。

 

 




緑の中、朝散歩をして、

 

 




無料モニター個人セッションをして、

 



 


ブランチを食べて

 

 




サイクリングをして

 

 




直感に従って行動をして

 

 




未来の自分が行きたい場所に行ってシュミレーションをして、

 

 




やり尽くした感じがある。

 

 




私は、素晴らしい。

 

 




そして、すれ違うすべての人々に感謝と祝福の思いだけを贈ることもできた。

 

 




私は素晴らしい。

 



 


帰宅後は、バレエダンサーの動画を見る。

 



 


最近の私の波動調整は、このバレエダンサーの動画。

 











サイクリングした先で一休みをしていたとき、

 

 




となりに、とてもネガティブな話をしている人たち(男子高校生)が来た。

 

 




移動しようか心の声に訊いたら「感謝をして」と返ってきたので、

 

 




感謝をすることにした。ついでに祝福も贈ると決めた。

 

 




その感謝と祝福を贈ることが、私の意識のクッションとなり、ずっといい気分でいられた。

 

 




感謝と祝福を贈ることは、私の意識を守ってくれる。

 

 




そして、そのネガティブな話をする人たちを横にニュートラルな意識でいられて、

 

 




本心を感じ取れた。

 

 




「自分の存在に対する不安」

 

 




自分は理解されないかもしれない、自分は受け入れてもらえないかもしれない、

 

 




その不安を抱えている。

 

 




ならば、私が与えられるだけの感謝と祝福を贈ろうと決めて贈った。心の中で思いを贈った。

 

 




そうしたら、ネガティブな話が段々と少なくなってきて、静まった。

 

 




安心感を与えられたのかな。

 

 




空間を共有している間は、存在が完璧であることを心の中で伝えたいと思った。

 

 




思いを贈ると伝わる。

 

 




そして、使う言葉の影響力の大きさを感じる。

 

 




使う言葉によって、思考も感情もつくられる。

 



 


だから、言葉をより愛や優しさや信頼や尊敬や感謝の思いを込めて使うことが、

 



 


自分の存在への安心感をつくる。

 

 




そして、使う言葉が自分の人生をもつくる。

 

 




1日6〜7万回の自己対話の言葉も同じく。

 

 




子どもの頃から美しい言葉だけに触れ合いながら成長できる人は、多くはない気がする。

 

 




だからみな同じ。

 

 




大人になってから、自分の意思で触れ合う言葉を厳選するしかない。

 

 




ほとんどの人々の課題である。

 

 




美しい言葉がどこにあるのかがまず分からない。

 

 




美しい言葉に出会っても興味が持てないかもしれない。

 

 




人生がとことん行き詰まってから気づくのかもしれない。

 

 




それでいい。それが神さまの導きだから。

 

 




私は、すれ違う人々の問題解決能力や失望のマネジメント能力をその人たち以上に信じる。

 

 

 



その思いを贈る。

 

 




ほんの1時間、すれ違うのもご縁だから。

 

 

 

 


 







今日の外出にすばらしい成果があったことに、先に感謝をして家を出た。

 

 



その通りになった。いや、それ以上かもしれない。

 



 


私の愛を出し尽くせた気がする。

 

 




幸せ。

 

 




ありがとう。

 


 


 

 







あなたの今日のご気分はいかがでしょうか。

 

 




今日は何か嬉しいことはありましたか?

 

 




あなたが嬉しいと私も嬉しいです。

 

 




あなたが生きているだけで、私は喜びを感じます。

 

 




あなたが幸せを感じていたら、神さまに感謝をします。

 

 




美味しくごはんを食べて、健康でいてくださいね。

 

 




大好きなあなたへ

 

 




愛と感謝を込めて。




image