こんにちは。今回のブログは伊奈と藤田が担当します。
最初に、伊奈が二つの英字新聞の議論についてまとめます。
一つ目の英字新聞は、アメリカにおける警察官に、非武装や非暴力的になるトレーニングを行うことについてでした。警官による黒人への暴力が続く中での対策として取られる可能性のあるこれらトレーニングについて議論を行いました。
一つ目の質問は、「このような対応は警官による特に黒人への暴力や殺人を防止できると思うか」です。これについては、効果的かもしれないが警官の安全が守られないことやジョージ・フロイトさんなどの件においては銃でない暴力が行われていたため偏見をなくすことの方が重要であるという意見がでました。
二つ目の質問は、「ジョージ・フロイトさんのような事件をなくすためにはどのようなトレーニングを導入するべきか」というものでした。ここでの意見では、偏見をなくすことは不可能に近いが、警官が自分の行動に責任を持つためにも裁判などにおける免責等を取り除くことが有効ではないかというものがありました。
二つ目の英字新聞は、オーストリアにおけるワクチン非接種者へのロックダウンに関するものでした。オーストリアではワクチンを打っていない人は家にとどまる必要があり、違反すると罰金が科されるということでした。
一つ目の質問は、「この対応は行き過ぎと思うか、効果的であるか」でした。ワクチンを接種するしないは個人の自由であり、接種をしない人は宗教上、健康上の理由であったり、リスクを考慮していたりなど様々な理由があるのだからとこの対応について疑問を持つ人が多かったです。
二つ目の質問は、「ワクチン接種の有無で人々への対応を分けてもよいか」というものでした。オーストリアだけでなくラトビアなど複数の国々でワクチン接種の有無によって行動の制限などを行っています。ここではそのようなことが許容されうるのかという議論を行いました。一つ目の質問への意見と同じくそれぞれの理由があると答えたり、何かが起きた場合に国が責任を取るのかという意見が出る一方、公衆衛生という観点から許容されうるという意見もありました。
ここからは藤田が担当いたします。
授業の後半では、テキストであるマイケル・サンデルの「これからの正義の話をしよう」の第8章について議論をしました。
第8章は誰が何に値するのかを問うアリストテレスの正義論がテーマであり、彼は社会的営みの“目的”を決めるにより正しさや正義を定義することができ、さらに、ある営みの目的について考えることは、その営みが称賛し報いを与える美徳とは何かを考え、論じることあることとしました。
そのことから、前章のテーマであるアファーマティヴ・アクションについて考える際には、大学の目的因について考え、それにより入試方法を決める必要があるとわかりました。
私たちが所属している南山大学では“人間の尊厳のために”というテーマを定めており、それはカトリックの教えを学ぶ大学ならではであると感じています。では、“人間の尊厳のために”を目標として掲げる南山大学にふさわしい学生とはどのような人物か?また、そのような学生を選ぶためにはどのような入試方法がふさわしいのか、ということが今回の問いでした。学生からは、勉強をする場所が大学なのだからやはり統一の学力試験を行うべきであるという意見や、カトリックの高校から生徒を推薦で取るというのは一理あるという意見などが出ました。
また、アリストテレスは一本の笛があり、それを受け取るべきなのは誰か?という問いに「笛を最も上手に吹ける人」と考えたように、その人に進退は“自然や神が導くのである”としています。この考えは、リバタリアニズムと比べると運命論的であり、選択の余地がないことから不自由さを感じます。だけれども、自由と引き換えにより良い人生を歩むという可能性もあるのだと学びました。
授業の最後に、アリストテレスの正義論に賛成か反対か問われると、半数が賛成、残りの半数は賛成しかねるという意見でした。いつものことながら、同じゼミで学んでいても意見がさまざまであることが興味深く、ゼミ生の意見はいつも勉強になります。
今週からぐっと気温が寒くなりなしたが風邪をひかないよう体に気をつけて、学期末のレポートに取り組もうと思います。