Hanaind -34ページ目

【第7話】拭えない過去の過ち


先輩方のBlogを拝見させて頂いて、

本当にすごいなぁと言いますか、、

かっこいいなぁと思う今日この頃です。


同じ日本人で、このような人生の先輩の存在だけで、なんだか誇らしくなってしまいます・・・。

こんな私のような若造にも、しっかり向き合ってくださいます。

ありがたいことです。



久々の「ラーマーヤナ」のお話です。

前回 は、ラーマの追放が決まり、それに妻と弟がお供する!という内容でした。




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Hanaind



今までの豪華な身なりを捨てた三人。

ただ、ラーマの心はこんなときでもたくましくありました。


「時が経てば、必ず国に戻ります。国のみんなにはどうか心配しないでくれと伝えておくれ。

我が血筋がどんなに強いものなのか、試してきます!」




一方で、、、

そんな大事態になってしまったことに悔やんでも悔やみきれない国王は、

床に伏してしまいました。

看病をしてくれていた、カウサルヤー妃(ラーマの母)にこう告げました・・・。



「私はもう長くない・・・。

今まで人生で行ってきたことが、走馬灯のように頭をよぎっている。

私は若い頃に大きな罪を犯していたのだよ・・・。」




それはジャングルに狩に出た夜のことだった。

動物の姿はなく、辺りは静まりかえり、いつもと少し様子が違っていた。

すると黒豹の足音が聞こえた。

逃すわけにはいかないと矢を射った。


その時、いきなり人の叫び声が聞こえた!

急いで歩み寄るとそこに倒れていたのは一人の男だった。



苦しそうにもがきながら男は言った。

「水を汲みにここにやってきた。

だが私は、盲目の両親を置いて死ぬわけにはいかない・・・。」

そう言ってその男は息を引き取ってしまった。



亡骸を担いでその男の両親の住む家に向かった。

目の見えない二人は、息子が無事に戻ったと思い話しかけた。


「私はあなたたちの息子ではないのです。。。大変申し訳ないことをした・・・。」



その時にその男の父親にかけられた呪い。

「お前も同じように息子を失くしてしまうがいい・・・。

どれほどの苦しみか、、、思い知るがいい・・・。」



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そのまま国王は死んでしまいます。

そして、ラーマーヤナに書かれていた文章がこちら↓


〝人間がひとたび行ったことは何であっても、
生涯その人にまといつくものなのです〟

たとえそれが良い行いであっても、悪い行いであっても・・・。


ふと思い出すのが、「レ・ミゼラブル」。

主人公は、たった一度の過ちにより、長い間追いかけ苦しめられます。

いくら拭い去ろうと、いい人間に生まれ変わろうと、決して消えることのない罪。

それでも必死に、もがきながらもその罪と向き合う主人公の姿が描かれています。



そして「もののけ姫」。

アシタカの犯した罪を、神は許しませんでした。

銃弾の傷は癒しても、腕のあざはとってくれません。


あたかも、その苦しみと共に、それでも生きろ!と教えられるかのように・・・。




人は誰しも犯してしまった過ちがあるのではないでしょうか。。

若かったとは言え、消せない過去。


だけど、それがあるからこそ謙虚でいられるような気がしますし、

自分にやれることはとにかくやろうという気にもなります。


与えられたお役目にもっと専念できるようにも思います。



〝感〟を自分のものにする


新年あけましておめでとうございます!

去年に引き続き、また更なる精進を日々心がけたいと思っております。

何卒よろしくお願いいたします。


Hanaind




最後に寺院に行ったときのパティジの様子を考慮して、

あの後こういう風に聞いてみていたんです。


「あれからどう?もうクリシュナ寺院に行きたくないとか感じてる?」

「全然っ!」

ところがまったくもって、イヤな気持ちを感じていない様子の彼。




イギリスの大晦日の地下鉄はすごい人込みになることも見越して、

年が明ける前に行って戻ることにしました。



部屋に入ると丁度カーテンも開いていて、

みなさんで歌をうたってらっしゃる最中でした。



今日はどの神様も手編みのような水色のニットを着せてもらっていました。

(いつも来るたびに御召し物が違うんです。本当にここの寺院の神様たちは、大事に大事に可愛がってもらっているんだなぁとつくずく。。。)



私はいつものグッと来る想いとは違って、終始笑顔が止まりませんでした。

なんだかスカッとする気持ちでした。




そんな私の行動が淡々としていたようにパティジの目に映った様で、

彼が私に言いました。

「ハナの目的はただここに来るだけなの?」



私は言いました。

「行きたいか行きたくないか、億劫か億劫じゃないか、行って何をするかしないか、

そういうことはあまり考えてないよ。

ただ、行って挨拶するだけ。

親戚付き合いと似てるところがあるかも。

考えたりしない。ただやるだけやん?」



そうすると彼は、なるほど~と言って、前向きな様子で頷いていました。



どうやら、私が寺院に行って、歌を歌ったり、何かレクチャーを聞いたりすることに意味を持たせていると思っていたようです。

時間があったり、タイミング合えばそれもいいと思います。

でもそうじゃないときでも、少し顔を出すだけでも構わないと思っています。


今の私たちにとっては、これを習慣化させていくことの方が先決。

最初は欲張らずに、これくらいが丁度いいようにも思います。



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早速、「バガヴァッドギーター」より。


良いも悪いも問わず、

結果を動機とせず、

ただ自分の役割を果たすという、知性を確立させること。

そして、その知性を養うには、最高神に専念することとありました。



そこでアルジュナがクリシュナに聞きます。

「それではそのような知性を確立した人とはどんな人なのですか?」



アルジュナよ、

意(こころ)にあるすべての欲望を捨て、〝真実の自己〟においてのみ満足するとき、

その人は智慧(ちえ)が確立したと言われる。


不幸において悩まず、幸福を切望することなく、愛執(愛するものへの執着)、恐怖、怒りを離れた人は、

智慧が確立した聖者と言われる。


すべてのものに愛着なく、種々の善悪のものを捨て、喜びも苦しみもしない人、

その人の智慧は確立している。


亀が頭や手足をすべて収めるように、感官の対象から感官をすべて収めるとき、

その人の智慧は確立している。





自己の確立により、他のものに対して執着がなくなるのは実際に感じることでもあります。

過去記事にもありましたように、

〝追求はしても執着はするな〟という言葉がまさにそうです。


確かに〝愛着〟という言葉を調べてみても、ただ単に好きというだけでなく、「心が引かれている状態」とあります。




インドで有名な、喜びを追求する「カーマ・スートラ」という文献もあるくらいですから、

感じることはは至って結構なのでしょう。


ただ、その感覚に踊らされることなかれ、という意味かと思います。


感じる想いをしっかりと自分のものにしたいです。

そこが自分以外の周囲に流されると、必要のないような「欲」や「執着」が生まれるのだと思います。





学びとは、非常に面白いものですね。


読者様へご挨拶



Hanaind




日本はあと数時間で新年を迎えるということですので、

今年、最後のご挨拶をさせて頂きます。



インドについて全く無知だった自分ではまずいだろうということで、

今年の5月ごろから始めたこのインドBlog。


みるみるうちに入り込むほどに面白い世界がそこにはありました。


この場で支えてくださり、応援してくださる読者の皆様のおかげで、

少しずつ自信をもって、学ぶ喜びを知ることができました。




『愛に勝るものはなし』


実生活はもちろんのこと、

Blog記事の内容にしても、読者様とのお付き合いにしても、

どんな形であれ、この言葉に尽きると深く感じております。




皆様にとって、来年2010年が素晴らしき実りのある一年でありますことを、

心よりお祈り申し上げます。



英苗