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夫婦インド旅 ~女神に逢いに~ ③


崖っぷちの山道・・・

正味1時間ほどのフライトは、わずかな瞬きで終わった。もう少し眠っていたい気持ちに勝る目覚めた好奇心。早く降りたい!降りたい!

そこは今まで見たこともないような小さな空港。預けていた荷物を持っていざ外へ。
いきなり現れたこの山!これがヒマラヤ山脈なのかー!

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インドにはそこで何をしてるんですか?という人が多い。大体くっちゃべって特に何もしていなかったりする。

〝歩いて行こう!〟やる気満々のパトニジ。
そんなバカな!という顔のパティジ。



誰がタクシーを手配してくれる人かもわからない。タクシーが来るのかな?とりあえず少し待ってみた。気持ちが高ぶって待ってられない。手当たり次第に聞いて回った。

大体こういうときに動くのはパトニジの方。人怖じしない。
右の方に少し歩くと、これまた人の集まりが。どうやら待機しているタクシーの数々、と、ドライバーたち。こんなすぐ近くにいたのか!

タクシーの受付らしきカウンターがあった。地図を見せて、長く続くパールヴァティー川の地図で一番右っ側のタクルカーンとかいうところを適当に選んで、ここに行きたい!と伝えた。

インドなら英語が通じる人が多い中、なぜか日本語を話すパトニジ。

〝タクルカーンに行きたいんやけどっ!いい?〟気持ちがいっぱいで言葉なんか選んでる暇がなくて、自然と出て来るのはやはり日本語だった。


それにしてもテーブルいっぱいの巨大な料金表だ。それをあれやこれやと沢山の人が一斉に話す。
そこで料金を払い早速車に乗り込む。とりあえずどこでもいいから行ってみよう!



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すぐにガソリンスタンドでエネルギー補給。何か撮りたい撮りたいの気持ちで、とりあえず撮った写真。

インドの車って、中に必ずといっていいほど神様の絵などが置かれている。それをチェックするのが好きだ。
最初に迎えてくれたのはシヴァの小さな写真だったっけか。

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うちら夫婦を乗せた車はどんどん山を登っていく。

そして大きな川が見えた!これ?これ?これがパールヴァティー川???
胸は踊り、いてもたってもいられず、気持ちだけ川目掛けてダイブ!

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山の麓の町からどんどん離れて行く。
目の前に広がるごっつい自然を見ていると、ここがどこかさえ分からなくなる。

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段々とパールヴァティー川が遠く離れて行く。どんどん、どんどん上へ登る。
まさにここが、渓谷!と言わんばかりに、山の斜面を一本突き抜けるパールヴァティー川。

川の流れはどこか荒々しく勢いがあり、力強いパールヴァティー自身のようにも見えた。

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インドの車はしょっちゅうクラクションを鳴らす。日本でもUKでも考えられないくらい。
最初は苛立たしいイメージを持つが、よく観察していると〝ここにいるよ!〟という合図のようだ。無駄に鳴らしているようでそうではない。

加えて早いっ!
このハイスピードに、この高さ!

だってこれ、崖っぷちやん!ガードレール代わりの巨大な岩が間隔をあけて並んでいる。車のスピードが早すぎてうまく写真が撮れない。

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迫力満点の景色に呆気にとられる・・・。車は登ったり、下ったりしながら川の上流を目指すように進んでいった。


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最初の寺院・・・

途中右手に見えた小さな寺院。大木の周りを赤い紐でグルッと囲み、根元にはおびただしいトリシューラ(三叉戟・さんさげき)がこれでもか!と突き刺さっている。だからすぐに車を止めてもらうようドライバーさんに頼んだ。

その寺院の道路を渡ったところには、壊れかけた小屋のようなものの中に、いくつかの像が何体か見える。見た感じではどの神様なのかはわからなかった。それからメインの大木の寺院へ。

靴を脱いで裸足であがる。壁や屋根があるわけでもなく、むき出したまま。大木をそのまま祀っている。木の周りを右へグルッと周った。この礼拝方法は一年前に初めてカルカッタを訪れた際にママー(叔父)に習っていた。



床にはいくつかの血痕が残っていた。恐らくこの辺りでも生贄をやっているんだろうな。冷たい風が吹き、日差しは当たらない。確かにちょっと不気味な雰囲気。夜なら怖くて来れないかも。

パティジもシヴァに挨拶をした。最初は気づかなかったが、帰り際に小さくて薄暗い小屋があるのに気づいた。中にはサドゥのような男の人が一人。〝ありがとうございます!〟という感じで会釈をした。あ、今思えばお布施置いてくるのを忘れちゃったな・・・。

基本的に私は、訪れた先の寺院や神々の写真は撮らない主義で・・・。理由は・・・よくわからない。ただ、写真に収めておこうという気にならなくて、代わりにグッと記憶とか、臭く言うとハートに収める感じ。そっちの方がしっくりくる。



とにかく最初にシヴァが出迎えてくれたことが、とてつもなく嬉しかった。



パールヴァティーが奥さんとして最初に私たちを出迎え、
奥へ進むと主であるシヴァが待っていた。

そんな感じがしたんよなぁ。


つづく



夫婦インド旅 ~女神に逢いに~ ②


初デリー・・・

夜中なのに暑い・・・。そして空港の外も人がウヨウヨしていた。

インドに降り立っての大きな波は多少なりと落ち着いていた。時々パトニジは感情を溢れ出したりする。大人気ない・・・。映画館でもヒクヒク大泣きしてしまったり、嫌なときもイヤと言わずにおれない性格・・・。困ったものだ・・・。

ただこんなパトニジに辛抱強く付き合ってくれるのがパティジである。元々穏やかな性格のパティジ。喧嘩を売ってこようとするときは〝喧嘩したいんだねぇ♪〟と笑って対応してくれ、子供のように素直?に泣きじゃくるときは、それはそれで、〝いいんだよぉ・・・〟と受け止めてくれる。

ただ、このパターンばかりではないのが夫婦の面白いところ。
イギリスに行って7年が経った。彼と出会ったばかりの頃の私というと、まあまさにそんな感じ↑だったかもしれないれど、時が経ってここ1,2年の間で何気に?成長もしている。自分でも分かるくらいにだいぶとしっかりしてきた。


だから地元での昔っからの私を知ってる人は、今の私の落ち着きようにまず驚く!
こないだ、小学校の頃の友人と久々に電話したときもそう。〝ハナエの口からそんな言葉が出てくるとは・・・!〟
うちの家族だってそう。私は家事の一切やらが苦手と思われていたり、とにかく怠け者のイメージしかない。それは家を出る18歳までの話でしょ!一体私はどんだけ甘ったれ人間だったか!?そんな昔の話はもう忘れました。

私の情けない顔ばかりがクローズアップされてシャクなので、後からまあ書き足すことにして、デリーの話を続ける。



空港にはお義姉さん、そしてお義兄さんの専属ドライバーが迎えに来てくれていた。
とにかく人が多いぞ。こんなところで見つかるのか?

すぐに見つかった。

荷物も全部運んでくれる。手伝おうとすると止められる。いつものことだった。


駐車場代を払うとき料金表を見てみた。インドの駐車場にしては高くない?そうか、ここは〝ドライバー〟を雇える人たちなんかが来る場所だ。パティジがイギリスにいたときによく言っていた。

パトニジ:〝私はサーバント(住み込みのお手伝いさん)制度はどうも好きになれん!〟

パティジ:〝サーバントの仕事があるだけでもいいんだよ。特にヘテッシュ(今義理の両親宅で働いている)はインドにいた頃に比べて給料は4倍にもなってるよ。〟





クッルーへ向かう朝・・・

この辺からやっと写真がある。もっといい写真はもう一つのカメラの方に。残念ながらそっちのカメラはパティジがUKへ持ち帰ったので残っているものだけでも・・・。サイズ調整していないのでクリックで拡大可。

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朝の5時半くらいの国内線の空港。インドでは画期的なこのきれいさ!パティジが感動していた。
空港まではジアジ(お義兄さん)も一緒だった。昨日乗った車じゃなかった。シートが前面レザーのBMWだ。インドでも超金持ちクラスということがこれで一目瞭然なのだとか。デリーでは、こうして分かり易くいることが大事だとジアジは教えてくれていた。グッチだなんだと、大袈裟にブランドの名前が出ているものをあえて選ぶのがポイント。


そんなジアジが連れてきてくれたのがここ↓

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空港の奥の方にひっそり佇むアメックス ホルダー専用のブースだった。壁があり外からは中は一切見えないようになっている。そこで朝食を食べようと、ジアジ。

ジアジに会うと人の持つエネルギーに気がつく。それくらいエネルギーに満ち溢れている人。生命エネルギーって感じ。3月の私たち夫婦のパーティーのときも、彼のおかげでグッと力が入ったというか、安心するというか・・・。

ジアジは私の体調を気遣って、生野菜やフルーツ、その他なんとかかんとかは避けるように言った。内心規制があるとつまらないと思った。だけど、一回目のインドから帰った後、二週間の下痢に見舞われていた経験もあるので、時間と共になれていこうかとも思いつつ、

今回は外の屋台のチャイを絶対飲むんだ!と心に誓ってもいた。



仕事で出張のジアジのフライトはうちらのより早かった。
それを追うようにしてパティジが外へ。トイレだ・・・。毎度のこと、旅のときはお腹の調子が狂いやすい。彼の体調管理はもちろんパトニジの役目♪ほらきたと言わんばかりに、○○薬を用意しては彼の希望があれば飲んでいただいている。


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窓の外は薄暗い・・・。
朝早いからだけのせいじゃない、なんだか異様な空が広がっていた。


ウエイトレスの女性が、うちらのフライトの最終アナウンスが流れたと言ってきた。時計とボーディングパスを持ってなかった私は焦って外に出ようとした。だってあれだけゴタゴタしてたにも関わらず、デリーに来てしまえば運よくクッルー行きの飛行機が取れていたから。この機会を逃すわけにはいかないのだ!



男子トイレの入り口から中に向かって叫んだ。

〝ラーーーージッ!もう時間だよ~~~!!〟

中まで入って探し出しそうな勢いだった。


慌てて出てきたパティジ。
急いでゲートまで行く・・・

〝んもう!ハナ!まだやん・・・。〟

やっぱりね、というような苦笑いのパティジに対し、テヘ顔のパトニジ。





クッルー行きのミニ飛行機・・・

これがクッルー行きの飛行機。ちっちゃくて可愛い。キングフィッシャーという航空会社だったかな。
撮影しないで~!と係りの人に叱られるパティジ ⇒ 写真駄目だよ!とパティジに叱られるパトニジ。

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こちらはフライトの中にて。
これは特別のお揃いのバングルで・・・と言いたいところだが、虫除け用のゴムの腕輪。
〝絶対刺されませんように・・・〟と誓い、は冗談で、これからどんな景色を見ることになるのか、ワクワクして旅立つとき。

ただ、昨日2時ごろに寝ての5時起きなもんでフライト中は二人ともZzz。


つづく




夫婦インド旅 ~女神に逢いに~ ①


話は一旦数ヶ月前にさかのぼり、


日本へ帰る前のイギリスでのこと・・・


「次に日本に帰るのはインドに行ってから!」結婚後の私の口癖だった。


結婚以来夫婦でインドへ行けていなかった。


親戚まわりというほどできた嫁じゃなくて、インドの神にお礼を言いに行きたかった。



そんな願いとは裏腹にビザ申請で5ヶ月間近くパスポートを手放すことになった。やっと戻ってきたかと思ってもビザ取り失敗。だけどなんだか自由になった気がした。その勢いでふるさとへ帰りたくなった。


地元に帰ったはいいが、家系図、お仏壇、お墓やらと実家のことにかかりっきりになった。
今まで知らなかったことでもあるし、いい機会だと思って割り切ってインドの心をひとまず置いておくことにした。


それがまずかった。どこにいてもどんな状況でも忘れちゃいけないのがインドの精神。それは、パティジと私を結びつけてくれた神への感謝そのものだった。


ハッとした。

インドに、、、行かないとっ・・・。



今回の旅は、そんなパタパタ新米妻とそれを支えてくれる夫⇒0年生夫婦!のよちよち旅?のようでもあった・・・。夫婦になって初めての未知なる冒険。



ただ、そんなに簡単じゃないのがインド!

近そうでとても遠いのがインド!





第一関門はこんな・・・


〝そもそもなんで、日本に来てるのにわざわざインドへ行くの???〟


パティジを説得するのにかなりのパワーをつかった。



だって、、、誰が考えたってそりゃそうだ!わざわざ来た道戻ってインド?日本は三年ぶりなのにも関わらず。うちのパトニジ(奥様)は頭がおかしくなったんじゃないか?


だけど私としては・・・

行くしかなかった。今は今しかない、という理由・・・。


とにかく必死にUKにいるパティジに自分の想いを伝えた。

途中は喧嘩にもなったし、最初は全然わかってもらえなかった。

内心、無茶させてごめんねと思った・・・。

最終的にこんなハチャメチャなパトニジを信じてくれたパティジには感謝の思いでいっぱいだった。





そして第二関門は出発前夜にきた・・・

その前に一回目のインドのときの関門はこうだった↓


大体インドに行こうとすれば妨害( ´艸`)が入る。


一度目のインドは義母さんの故郷であるコルカタへ行こうとした。その際にもパティジ(当時はまだ結婚前)を説得する必要があったし、それより何より反対派!ってのが出てくる。


お義父さんだった。

すごい剣幕で反対された。


「お前達二人だけでは絶対に行っちゃいけないっ!(Must Not!を使われたのには驚いた)」


普段穏やかなお義父さんがここまで強く反対をするのは珍しかった。当時の私は結婚を目前に迷っていて、気持ちが遠く離れていこうとしていた。インドに行って心を洗いたかった。



だけど義理の両親の面子ってものもある。インドに行くとなればしっかり計画的に時間も余裕をもって挨拶周りに徹することが礼儀だ。パティジの仕事の都合がつくのはわずか3日間だった。




捨てる神あれば、拾う神あり?


そんなときに背中を押してくれたのはお義母さんだった。

「ハナエの行きたいという気持ちが一番大事。いってきなさい!」


そしてインドへ行く前夜になって、予約していたはずの航空券がとれていないという問題が起こったり、普段ありえないことが起こったが、これもまた妨害の一つとわかっていたので気持ちは行けると信じきっていた。


 




そして今回のお相手は・・・?


インド行き前夜、デリー在住のお義姉さんからの電話。



今回目指した場所はクッルーという、ヒマラヤ山脈のふもとあたり?にある町だった。実際クッルーがどのような場所かは想像すらできなかった。なぜそこへ行きたいかはまた後ほど。。


デリーから約15時間の夜行バスというのはガイドブックで知っていた。お義姉さんに言われそうなことはわかっていたが、親戚からのお膳立て満載の旅行じゃなくて、〝夫婦旅〟がしたかった。


〝飛行機のチケットが取れないの。でもバスで行って山から落ちて死んだ人が親戚のうちにいるから、そんな危険な旅は絶対させられない!!〟



死?

本音を言うと心の中で私も一瞬びびった・・・。


だけどこれもまたいつもの妨害の一つに過ぎないとわかっていたから、あえて強気で言い張った!


〝とにかく行く!バスだってなんだって使って行く!〟


この後また夫婦喧嘩が勃発したことは言うまでもない・・・。







5月のインド?暑さMax?・・・


ひとまず、私の今回選んだ目的地、クッルー辺りのご紹介をしておこう。


インド初心者の私でも5月のインドが最悪な天候のことくらいもう知っている。5月にインドに行くと言えば親戚に笑われた。そう、一度目のインドも確か同じ時期だったっけか。。


だけど、そんなイメージを吹き飛ばすかのようなガイドブックの情報!〝ヒマーチャル・プラデーシュ州。4~6月はベストシーズン。天候は涼しく過ごしやすい。〟不思議な気がして何度も読み返したくらい。


その昔、州の北部はチベット人によって征服されていたらしい。

そして現在首都のシムラーという町は、1900年代初めにイギリスの夏の間の首都とされていた。

ちょうどインドがまだイギリスの領土だった時代だ。



目的地に近いマナーリは標高2000mくらい。(あまりピンとくるものではないが、唯一登ったことのある富士山を思い出してみたり・・・)

なんと!地図で見るとあのヒマラヤ山脈が連なっているではないか!(〝ヒマラヤ〟とは〝雪の棲家〟という意味があるのだとか。)


そして私がヒマラヤに興奮する理由は別にあった・・・

シヴァの愛する妻と言えば、そう!パールヴァティー。





パールヴァティーに逢いたい・・・


それはずうっとずうっと昔のお話・・・


シヴァには愛するサティという娘がおりました。

サティも同じようにシヴァを愛していました。


ですがサティの父親は修行僧のような野蛮なシヴァをひどく嫌いました。二人の結婚したい願いも届かず、父親の心無い言葉にサティは深く傷つき、燃え盛る炎に身投げし自らの命を絶ちました。


シヴァは空っぽになった心と共に、愛するサティの亡骸を両腕に抱え、さまよい続けます。そこに飛んできたのがヴィシュヌのチャクラ。


サティの体はバラバラになり、インドの至るところに散らばりました。〝シヴァよ、目を覚ましなさい!〟愛する人を亡くし悲しみに暮れていたシヴァはハッと我に返りました。


一度目のインドの旅でコルカタにあるカーリー寺院を訪れた際に、たまたま従妹が寺院の人に聞いた話にゾクッとした。檻の中の巨大な玉のようなドゥルガーの姿は異様な空気を醸し出していた・・・。


インド一発目の寺院がこれだった。


至る所に生贄の血の跡。忘れもしない、グルッとカーリーの後ろを回って左側の壁に、怪しい南京錠の掛かった鉄格子。その中はなんとカーリーの指が入っているそう。だけどこれを見た者は一生視力を失うことになると言い伝えられているため、そうして鍵が掛けられている。

サティのバラバラになった体は、それぞれの地域で大事に供養され、それが寺院になっているとも言われている。特にコルカタの義母さんのご実家はドゥルガーが至る所に祭られていた。


さてこのサティ、カーリー、ドゥルガーの共通点は・・・?


インドの神話をご存知の方ならお分かりだろうが、この御三人は同一人(神)物。

順番としては、サティの生まれ変わりがパールヴァティーで、ここから戦いの女神のドゥルガーになり、さらにパワーアップしたのがカーリーとなる。


そしてやっとここでヒマラヤに話を戻すと、パールヴァティーは〝ヒマラヤの娘〟である。そこで出てくるのがクッルーという町。ここには私の行きたいパールヴァティー渓谷がある。




旅の達人・・・


インドに行くとなればアドバイスをくれる頼もしいお方がいる!

不安と興奮が入り混じった気持ちを抱えてしばじーに電話。


 

約2年前のこと・・・

 


シヴァのことさえ知らなかった私に、親切にインドのことを教えてくれたのがしばじー。当時からインドの旅を考えていた。旅と言えるほど旅は知らない。だけどその頃はインドのことも神話のことも何も知らなかった。

 


それからしばらく空白があり、また去年からご縁を頂いた。そこからはスルスルと何かをたぐるように、しばじーとは仲良くなれた(と、自分では思っている)。


 

しばじーはすごく昔に会った記憶がある。これもまたとてつもない昔になるから、事実かどうかは不明。でも昔に会った人は感触でわかる。とにかく気持ちの持ちようが違うというか、、特別だったりするから。説明はつかないけれど・・・。


 

前にパールヴァティー渓谷があると教えてくれていたのも彼。相変わらず落ち着いたしばじーの声を聞くと気持ちが穏やかになった。さあ、行くぞっ!

 

 

 

 

 




いざ出発!・・・

 


クッルーに行けるか行けないかはわからないまま、姉に送られて日本を発ちデリーへ向かう。その前に韓国で7時間待つ羽目に・・・。

 


スムーズに行けるフライトが取れなかった。最近インドは人気らしく、しかも福岡発ということで週に二回しかインド行きがない。仕方ない・・・。日本に着いてまもないパティジに申し訳ない気持ちをもちながら・・・

 


空港のベンチでグーグー寝たのは・・・

 

 

 

 




パトニジのほうでした・・・・。

 

 

 

 



合計20時間近くかかってデリーに着いた。

デリー時間で24時過ぎ。飛行機の外に出たとたんに独特のにおいが鼻を刺す。こんな時間にも関わらず人がわんさかしてる。

 


預けた荷物が流れてくるのを待っている間、とてつもなくドロドロした気持ちがドボドボと流れ出してきた。

 

なんでこんなときに?


せっかくインドに着いたというのに・・・。

 

 

 


人目を気にせず大泣きをしてしまった。


イヤでイヤで仕方なかった。それまで自分の中でゴタゴタしていた親戚のことがどさっとのしかかってきた。

 

同時に、そんな想いをなんで今ここで感じてるのか、、わけがわからない自分もいた。

 

 

 



つづく