(00.03.09@Portland, OR___Internet Time* @306, 03/10/00)

ちょうど11ヶ月前、このPortland, ORに着いて数泊した後、見知らぬ街Seattleに向かいました。学校が始まる数日前に、ひと足先にSeattleに入り、ひとり街を探索し、それから始まる新しい生活に備えたのでした。そのSeattleには当然のことながら、誰ひとりとしてぼくの名前を呼ぶ人はおらず、誰ひとりとしてぼくが名前を呼べる人はいませんでした。そして1月の始めにそこを離れるまでの約8ヶ月、緑鮮やかで水のきらめく、そして表情豊かな空を楽しむ春から夏にかけての美しい季節を過ごし、冬に向かう静かな秋を通り過ぎ、霧雨と鉛色の雲で始まる冬を迎えるまでをそこで過ごしました。そして、その季節の中でぼくの名前を呼んでくれる人々と出会ったのでした。

英語というかひとつの言葉を学ぶのはとても難しいことです。しかし、英語という言葉の技術がいくら上手くなっても、そこに話したいことがなければ何も生まれないことを実感として知ることができました。お互い不自由な英語ながら、それでも相手の事を理解し、共感したい気持ちが友情を育むことを知りました。当たり前のことです、日本語が話せるからと言って、全ての日本人と友人になれるわけではないのと同じことです。ぼくにとって英語の勉強はやっと始まったところです。

そう、ぼくがそこに着いたとき、まだぼくはどこに向かうのかを知りませんでした。 Seattleで美しい季節を過ごしながら、教室で、カフェで、緑の芝生の上で、カウチの上で友人達と話をする中で、自分が自分ひとりで生きているわけではないことを実感し、そして知らずにちゃんと自分が前に向かって歩いていることに気付かされました。

今日の昼過ぎに、日本に向かうDELTA51便に乗り、日本に向かいます。しかし、自分の気持ちの上では、帰国というよりは場所替えのような気分です。同じ場所に立っても、きっとそれは違う場所に感じることでしょう。SeattleからInternshipのためにPortlandに移り住んだように、日本は、今のぼくにとって次の目的地です。どんな季節がやって来るのでしょうか。
●新着情報(00.03.08@Portland, OR___Internet Time* @306, 03/09/00)

-最後のお別れを言うためにSeattleに行ってきました。ELSで一緒で勉強会を続けたToshi、去年の4月に同じタイミングで勉強を始めたTakashi、間もなく帰国するKaori。WALで一緒だったとても大切な友人Sihemと彼女のフィアンセStephan。ふたりのアパートメントには二晩もお世話になりました。そして同じくWALで一緒だったAcoと Sarah。Acoは一回りも歳が違うけど不思議に話が会うし、Sarahは同じ世代で自然に話ができる友人。WALでInternshipを始めお世話になったStudent AdviserのSherry、Debbieにも会いました。また、Seattleだけでなく、NYでも一緒だったNaomi、Yuko、Ryuko、 Miori、Emi達にも。日本人の面倒をよく見てくれるTaiwaneseのLi-ying、Seattleを語らせたらこの人しかいないという Junglecity.comのTakumiさんにも。SUの学生でマーケティングの知識を深めるためにいろいろ手伝ってくれたDanと卒業後結婚する予定のAna Maria。そして、ハウスメイトとしてSeattleの魅力をたくさん教えてくれた、MatとSaori、Reina。Reinaはぼくの英語の先生でもありました。まだまだ会いたい人たちもいたのですが、4日間の滞在ではこれが精いっぱいでした。続きはいつか次の季節、Seattleか世界のどこかで。
先日New YorkからPortlandに戻る機中で手にした新聞"INTERNATIONAL HERALD TRIBUNE"の紙面に、"This is a massage from Austria to all International Herald Tribune readers!" の見出しで、1ページに渡る意見広告が掲載されていました。そこには、数週間前に右翼政党と連立を組んだ政府に対して、多くの国民がそのことを認めているわけではないこと、反対運動を進めていること、しかし、多くの国際世論が必要であることなどが、一面ぎっしりのメッセージで埋め尽くされていました。特に強調されていたのが、ありとあらゆる分野で、オーストラリア政府に対してボイコットなどの抗議をしてほしいというものでした。

これを読みながら気付いたのは、彼らは世界の中の一部に自分たちがいて、自分たちのことは自分たちだけの問題でなく、みんなで解決していこうとする姿勢でした。クラスのことはできるだけクラスで解決しよう。でもそれは、他のクラスにも関わることだし、みんなの協力を得よう。なぜならひとつの学校の中にいるのだから。といった論理でしょうか。当たり前のことだといえばその通りですが、果たして日本人のどのくらいの人々が、自分や自分たちの問題を世界の中に位置づけながら見たり、感じたり、そして論じたりできるでしょうか。もうひとつの視点を僕らは必要としているような気もします。

いきなり、少し硬めの話で始めてしまいましたが、みなさんお元気ですか?まだまだ雨の冬の雨の季節が続いていますが、昼の長さが、みるみる長くなってきていてまもなく春がやって来ることを日ごとに感じます。日本はどうでしょうか?もう梅の便りが聞こえているころでしょうか。

渡米直後から始めた、このメールも今回が最後になります。昨日語学学校のセッションも終わり、米国での語学学校生活も幕を閉じました。数えてみると、4月 19日から始めて、途中の約1ヶ月のバケーションを挟んで、計39週間の授業を受けたことになります。何を学んだかと聞かれると、答えるのに難しいものがありますが、ぼくの場合は全く基礎がない状態で渡米したので、英語を使うための基礎は十分に学ぶことはできました。しかし、言葉を学ぶことは、基礎を学ぶだけではないことをみなさんご存知のようにここからの道程はとても険しいものがあります。読めても聞けても、自分の感覚にそのフレーズや単語が馴染んでこないと実際には使えません。そして、会話や話の状況を理解できないと、どの言葉なら適切で、どの言葉は適切でないかを判断することができません。日本語でさえ使いこなすのは難しいのに、英語に関しては、やっと言葉を覚えたての子供のような状況です。

しかし、英語をこうやって米国で勉強しはじめて面白いなと思ったのは、英語を話すとき、もうひとりの人格のようなものが自分なかにでき上がっていくことです。たとえば、日本語を話している自分は、まあそれなりに年相応の振る舞いをするし、そう扱われるのも当たり前だと思っているのですが、語学学校のクラスに行けば、たとえば14歳のTaiwaneseや18歳のSwiss、20歳の日本人と一緒に席を並べているわけです。時には、彼らはぼくより英語が堪能で、上手く喋るれたりもします。同時にみんな英語を話すという点では、アメリカ人の小学生程度なわけです。つまり、教室は小学校の授業と同じように展開されることもあり、そこではぼくもみんなと同じ視点で一緒になって遊んだり、話したりしているというわけです。たぶん、きっとこれは日本語を話す環境ではできないことでしょう。でも、英語を話す場合には、その状況を何の違和感もなく受け入れています。つまり自分の中にもうひとり英語を話す人格ができ上がっていくわけです。そしてそうすることによって、英語が少しずつ自分のものになっていくような気もします。たぶん、この部分は米国で英語を学ぶ一番の有利なポイントでしょう。

まあ、しかしその環境も昨日で終ったわけです。今は日本でどうやって続けていくかを思案中です。

もうひとつ昨日で終わったのがインターンシップです。以前のメールでもお知らせしましたように、Portlandに本社を置くTKAI Inc.でインターンシップを2ヶ月間行いました。TKAIは米国のオンライン系の企業の日本市場進出に際して、コンサルテーション、マーケティングサポート、プロモーションのコントロール、などを行っているマーケティング会社です。

いくつかの仕事が動いている中で、ぼくは今は主にWebstakes.comという米国でのプロモーションポータルサイトのポジションを取りつつあるオンライン企業の日本でのサービス開始を手伝っています。New Yorkへは、そのためのミーティングでTimなどと一緒に付いていき、慣れない英語に閉口しながら、それぞれのセクションの担当者に取材したり、日本でのビジネスの展開方法やサービスの内容などを議論したりと非常にためになる体験をさせてもらいました。すでに、彼らは次の展開を考えていて、その内容はここではお話できないのですがなかなかユニークなものでした。

今回初めてベンチャー企業で、ぞくにインターネット企業と呼ばれる企業を始めて見てきたのですが、驚くことばかりでした。一般に米国の企業といえば、マーケティングオリエンテッドで調査などをベースにしてビジネスの展開を図っていくというイメージが強いのですが、ことインターネット企業に関しては、そんなもの何もありませんでした。面白いと思うもの、誰もやってないものを何のデータの背景もなしに(少し大げさかも知れませんが、そのくらいです)「行け行け、どんどん!」って調子でやっているのです。しかも事務所はいつまでも借りオフィスのままです。来月引っ越し予定とか、その引っ越し先もいつまで居るかわからないとかで、オフィスの中は段ボールや梱包材料で一杯で、働いている社員も西海岸のようにだれ一人としてスーツなど着ている人たちがいません。New Yorkでありながらスノッブな匂いがない、まるでカリフォルニアでした。そして、今週、来週と、業務内容やサービス、株価、彼らを取り巻く環境、全ての状況がどんどん変わっていく早さに対応していることが何より驚きでした。まさに、作りながら壊し、また作って改良していくといった感じでした。

この仕事は、3月一杯は帰国をまたいで個人的に続けて手伝っていく予定です。

少し長くなってしまったので、このぐらいでやめにしたいと思いますが、2月の始めにカナダはyellowknifeという街までオーロラを見に行ってきました。その時の写真などをWeb上に上げているので、時間に余裕のあるときにでも見てみてください。

渡米につきご迷惑をかけたり、励まされたりと長らくお世話になりました。どのような気持ちで再び日本の地を踏むか、今でも想像できませんが、なにより懐かしいみなさんの顔を見れることを楽しみにしています。また、帰国後も個人のweb Siteを続ける予定です。お楽しみにしていてください。長い間お世話になりました。そして改めてよろしくお願いいたします。
●新着情報(00.02.26@Portland, OR___Internet Time* @044, 02/27/00)

-TKAIでのインターンシップも同じく終了しました。引き続き仕事は続けますが、3月一杯はとりあえずフリーランスの立場でバックアップします。

- 語学学校International Houseの8weeksのセッションが終了しました。これをもって4月からはじめた語学学校の過程が全て終了しました。ELSからはじめて計39週間の授業を受けたことになります。これでやっと英語を学ぶ入り口に立てたようなものです。帰国してからどう続けるかが次の課題です。

-NY からPortlandに戻る機内で広げた新聞International herald Tribuneに全面を使ったオーストリアの意見広告を発見。これを読みながら気付いたのは、彼らは世界の中の一部に自分たちがいて、自分たちのことは自分たちだけの問題でなくみんなで解決していこうとする姿勢でした。果たして、僕たちはそんな思考回路で物事を捕らえているでしょうか?かよい経験でした。
●新着情報(00.02.21@Portland, OR___Internet Time* @908, 02/21/00)

-NY滞在中、Guggenheimで開催中の" The World of NAM JUNE PAIK"展に出かけてきました。6階までの吹き抜けを使ったインスタレーションを始め、過去の作品も展示する大掛かりなものでした。ただ個人的にはあまりコンセプチュアルな感じを受けず、かえって古ささえ感じてしまうないようでした。

-2/13 から2/20まで一週間再びNYへ行ってきました。今度は観光でなく、インターン先のTKAIの仕事で出張扱いです。3件のミーティングはそれぞれ実り多いもので、たくさんの次に進めるための情報を交換してくるとともに、新しい進展情報も得てきました。ミーティングでの英語はさすがに歯が立ちませんでしたが、それでもなかなかよい経験でした。