「とばっちり」と罪悪感 | 自由に、自分らしく、幸せに生きよう 光花のブログ

自由に、自分らしく、幸せに生きよう 光花のブログ

自分を取り戻すためにやっていることや、自分を使って実験した結果、日々の生活の記録など、思い付くままに書いています。

自分らしく光を放つみなさんへ

こんにちは。光花です。




と、「とばっちり問題」について連日考えてまいりました。


すると。


うっすらと罪悪感というワードが浮かび上がってきました。



「とばっちり」と一言でいっていますが、


さまざまななパターンのとばっちりがありますニヤニヤ


車でプラスチックのゴミを踏んでしまったというような、

本当に偶発的な「とばっちり」笑い泣き


ちなみに、タイヤは無事でした爆笑キラキラグッ



子どものころにおっちょこちょいな姉のお供を命じられ、

夜道を学校まで忘れ物を取りに行かされた「とばっちり」のように、


誰かに命令されて受ける「とばっちり」ゲロー


ざっくり分けると、この2パターンになると思います。



どちらにも共通しているのは、


私は特に何の問題も起こさず、いたって普通に

平和にいつも通りに生活していたのに


私以外の誰かのある行いにより、

私がなんらかの被害を被る。


ということになるでしょうか。


偶発的な「とばっちり」に関しては、

キーっとムキーなりますが、


昔やらかした私の不始末を、

時空を越えて解消しているのかもしれない

もしくはスキルアップ・チャーンスグー!!

とでも思ってあきらめるよりほかにありません笑い泣き汗汗



で、

そちらのほうではなく、

誰かに命令されて受ける「とばっちり」のほうに、

罪悪感が絡んでいるなと思ったのです。


子どものころに姉のお供をさせられた件で、


「夜だし暗いから悪い人にさらわれると悪いから、一緒に行ってこい」

というようなことを母は私に言いました。

幼く健気だった私は笑い泣き


本当は行きたくない。

私が忘れ物したわけじゃないし、私は何も困っていない。


でもな。。。チーン


お姉ちゃんが悪い人にさらわれたらイヤだ。

暗い中を一人で歩いていくのは怖いだろうな。

かわいそうだな。



それに本当にさらわれたら、

私、なんで一緒に行かなかったんだろうって

絶対に後悔する。


自分を責めて許せなくなる。


母からもお前のせいだって言われる。。ゲローゲロー


そんなのは嫌だ。


それなら、イヤだけどしょうがないから一緒に行こう。



と、こんなふうに葛藤し、小さな胸を痛めていたわけです。


そのほかにも、


誰かに「家に来て」と言って、来てもらって、帰りにその人が事故にあったら

お前が呼んだせいでこんな目にあったって言われるんだ


とか、


とにかく、自分のせいで誰かがひどい目にあったら、


どう責任をとるんだというようなことを


何度も言われ、いつしかもう、誰にも何も頼めなくなっていきました。


植え付けられた、必要のない罪悪感。

背負う必要のない責任感。


これらが私に

「とばっちり」と感じさせる出来ごとを

多発させている原因のひとつなのではないか。



子どもがプリントを提出日ギリギリのタイミングで出してきて、

焦ってあたふたするのだって、


期日に間に合わなかったら先生に迷惑がかかる。


息子も怒られるかもしれない。


私が急いでなんとか間に合わせなければ、困る人がでてくる。

困ったらかわいそうだし、申し訳ない。

私がここでなんとかしなければ滝汗滝汗



そんな切迫感にとらわれ

眉間にシワをよせつつグワーっと対処する羽目になる。



でも、


冷静に考えたら、どう考えても

早くプリントを出さなかった人が悪いわけで、

怒られるのは自業自得というもの。



それを、私の責任のようにとらえて、

なんとか事態を収拾しようとする。


うまく収拾できなかったら、


ああすればよかった、もっとこうすればよかったと、また自分を責める。



そんなことを繰り返してきたんだなと思いました笑い泣き笑い泣き笑い泣き



まとめると

自信のなさから、問題が発生して困ったという認識をしやすい。


刷り込まれた罪悪感や、無駄な責任感から

本当は嫌なのに、やらざるを得ないと思い、問題をスルーできなくなる。



こういったことが、

私の「とばっちり問題」を引き起こしているのではないか。


そんなところに落着きました。



純粋な子どもの罪悪感を刺激して

言うことを聞かせようとコントロールするのはよくないですね。


不安や心配から行動する、もしくは行動できなくなるケースが増えてしまう可能性が強まるから。




とりあえずここまでわかったので、


また今後、なんらかのとばっちり問題が起きたとき、私がどんなふうに対処していくのか。


より自由に軽やかに生きていけるのか。


そのあたりをじっくり観察しようと思います。



あなたは大切な人
今日もいいことがありますように