「とばっちりを受ける」を考える | 自由に、自分らしく、幸せに生きよう 光花のブログ

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自分を取り戻すためにやっていることや、自分を使って実験した結果、日々の生活の記録など、思い付くままに書いています。

自分らしく光を放つみなさんへ

こんにちは。光花です。


今日は「とばっちりを受ける」ことについて考えてみます。


というのも、

息子が、学校から持ってきたプリント、

それも、こちらで記入して期日まで提出しなければいけない大切なプリントを


ギリギリのタイミングで出してきて、

朝っぱらから慌てさせるあのパターンゲローゲロー


私が苦手とするあのパターンをやらかしたからです。


「夜のうちにテーブルに置いてたプリント見た?」

と、まさにもう家を出ないとバスに間に合わないよあせるという

ギリギリのタイミングで息子が言うわけです。


私はプリントなんぞ一枚も見ていません。

あわてふためいて

「誰かプリント見てない?」

と聞くと、

どうやら、旦那さんが汚れるといけないからと、私が帰宅する前に


テーブルから棚の上に移動したようでした。


私はそんなことは一切知らないわけで、


朝のクソ忙しい時に、

ふって湧いたようなプリントうんぬんで、

ブチキレゲロー鬼の形相でムキー


もう間に合わないよムキー


というと、

「今週中で大丈夫。インフルエンザで休みが多かったから、期限伸びたからバイバイ


と、サラリと言って、息子は玄関を出ていきました。


チーンチーンチーンしばし脱力汗汗汗


そういうことなら、朝、出掛けに言うなムキー

そして、旦那さんも、旦那さんだ。

夜のうちにプリントのことをなぜ私に言わないムキー


二人とも、余裕のある夜のうちに、なぜ言わないムキー



あー、めっちゃ焦った笑い泣きあせるあせる

とんだとばっちりじゃないかゲローゲロー

という一件があり、

そういえば、私、なーんにも悪くないのに、とばっちりを受けること、

けっこうあったな、と思ったので、


そのことについて、考えてみようと思います。




思い返せば、子どものころの出来ごとに思い当たるフシがゲロー


私の姉が、すんごいおっちょこちょいだったんです。

学校にランドセルを忘れて、手ぶらで家に帰るような

お前はのび太かとつっこみたくなるような


そんな姉でした。。。滝汗


当然のことながら、毎日何かしら忘れ物をするわけです笑い泣き


当事、私の母は、のび太のお母さんがうらやましいなと思うほどの、

強烈な鬼母だったので、


夜、まっ暗い中を、学校まで忘れ物を取りに行け!!と命ずるのです。


さすがにまだか弱い少女を一人で夜道に放り出すわけにもいかなかったのか、


なんにも悪くない私に、

悪い人にさらわれるといけないから姉のお供をしろと母は言うのでした。


寒いし、暗いし、テレビも見たいゲロー

でも、一人で行かせたらお姉ちゃんが危ない。

心配だし、一人じゃかわいそう汗汗



それで毎回一緒に行く羽目になっていました。


そんなことを思い出しました。


健気だったなあ、私笑い泣き




私の中に、なにも悪くないのにとばっちりを受けるという思い込みがきっとある。

その思い込みがあるために、

そういう現実を引き起こしている。


これも手放すべき思い込みだ。


観念を変えよう!!


私はもうとばっちりを受けない

私がとばっちりを受けなくても、誰も困らない

私がとばっちりを受けなくても、誰もかわいそうな目に合わない

私が他の人の尻ぬぐいをする必要はない。

私が引き起こしたものでなければ、何かやってあげなくても、私の責任ではない。


私は他の人の責任まで背負いこんでるところがあった。

例え自分の子どもでも、もう18歳を越えている。

自分の責任は自分で取る!!

それでこそ大人になれるというものだ。


今までの私は

大切な人が困らないように、私ができることはなにがなんでもなんとかしなきゃ!!


と思っていたようです。


それも時と場合によりますよね。


困ってもしょうがない。

そこから何かを学び、掴みとれ!!


君ならできる!!筋肉


くらいの暑苦しい気合いで、放っておこうっと。


あなたは大切な人
今日もいいことがありますように