蝉から猫に生まれ変わった日 | いろんなものの鎮め方

いろんなものの鎮め方

物忘れがひどくなったので、メモ代わりに・・

月末の仕事

わかっていたが

考えても仕方がないので

ギリギリまで

無きこと にしていた


案の定

忙殺された・・ここ1週間

あとはお裁きを待つばかり


水曜日

朝 野良仕事

(生き物のお世話だけはしてた)


野良朝顔の種収穫    ニンニクを埋没


落花生の突如出現!    金魚は息災なり

できてたんだ〜


(忙殺中も 気分転換に少しだけしてた)


ねこ刺繍

ほっぺ やり直し


相変わらず

感性のおもむくままの 食事


残り物と梨      

ぶりの漬け・根菜きんぴら・胡瓜の鰹節ゆかり


もやしと豚バラの混ぜそば

餃子は

プランター栽培のニラ入り


細々としていた猫刺繍

8日目の成果


左耳が大きすぎかな

目が難しそう〜

それにしても

なんだか 落ち着かない日だったなぁ・・就寝



木曜日


久方ぶりで・・丑三つ読書

(本!読みたかった〜)


大澤真幸

『「正義」を考える

   生きづらさと向き合う社会学』




さわりの第1章を読む


初めて読む大澤真幸さんだが

かなり 独特な思考展開だ


冒頭

角田光代さんの小説『八日目の蝉』を

『蝉の八日目』

(ー蝉は八日目で死んでしまうからー)として


生まれてすぐに誘拐された子どもが

実の親のもとに帰ってからの人生を

「物語のない(意味のない)人生」

つまり八日目の蝉と解釈するところから

始まる・・



そうなった

直接的原因(誘拐されたこと)と

そうなった

間接的原因(実の親との生活)の

逆転の構図(実の親との心地よくない関係→誘拐した親を責める気持ち)

のお話しが

読み手にウケたのではないかと・・


結局

氏が言いたかったのは


"  物語とは、「価値ある終結へと関連づけられている出来事の連なり " 

だそうで


人生は

なんらかの「物語」を持って生きる(べきで)

(👆これは大澤さんの考えですョ)


(ここからは私の推測だけど・・

大澤さんの論調では


"  しかし! 昨今!

物語(生きる価値)を持たない生き方をする人が

実に多いのではないか💢

人はなんのために生きてるのか!?

正義とはなんぞや!?  "


・・ということになるのか

どうだか

わかんないけど)


他にも


ケータイ小説ついても触れてはって


ケータイ小説は

"出来事の羅列と「(想像を絶するほど刺激的な?)現実」への逃避"が特徴で・・と分析 


 (へえ そうなんだ  ほとんど読んだことないからなぁ)


もしそうだとするなら

・・あり得ない設定の羅列

(韓流ドラマもそんな感じがするけど・・)


そんで

結局言いたいことは

(大澤さんがですよ)


あり得ない設定の羅列の人生に

物語性を求めるのは難しい・・


そんでもって

物語を語り合えない(物語を持っていないもの)と)

理解し合えない・・😿


となるみたいだ



とにかく

思考展開が乱暴すぎる気がする

(わたしの理解が浅いのかな・・)


一応

最後まで読まないで

判断するわけにはいかない

ので・・読むけど


氏はこの本のイントロとして

・学問にとっての徳は「真理」

・社会構想にとっての徳は「正義」

・「ある自己」と「する自己」

というキーワードをバーンと

出してきはったところで


第1章を読み終え

とりあえず 寝た


・・

仕事の修羅場

面々同席の

打ち合わせの渦中

煮詰まったところで足元を見ると

綺麗な鳥(キジの子どもかな?すこしスレンダー)

がこちらに近づいてくる


逃げるかなぁ〜と思いながら

手を差し出すとすんなり乗ってきて

腕のなかで猫のように丸まった

(かわいい〜)  名前は"空"というらしく

・・保護するには・・というところで

目が覚めた👀

  夢だったんだぁ


木曜日


思えばこの1週間まるで蝉

8日目で蝉から人に生まれ変わったみたい・・


なので


昨日 

羽化(足化)したばかりの人間としては

(仕事からの)開放感とは程遠く

(仕事をしてない生活が板につかず)

落ち着かない・・


遊び部屋で

鳥のさえずりをききながら





読書の続きを・・


その前に

思考実験をしてみた


「物語」がない人生は意味がないのかー




正念場を向かえた仕事をしてるとする

物語の最終回のつもりだ

・・・

でも

「物語性」をもつか持たないかは

自分で決めればいいことだ

(思考実験の前提を外れる ハハハ)


そもそも

「物語性」を持って生きてしまうから


正念場とか

正義とか

後悔とか

切腹とか?

出てくるのではないかなぁ


若い頃なら

それに 

四苦八苦しても・・

成長(生きるためのフル装備にするという意味で)にはなる



ある程度年をとれば

「物語」は要らないと思う


もういいんじゃないかなぁ

「物語」がなくても

人生には"後陣に道を譲る"という

意味がある・・


では

「物語性」がない生き方とは


😼猫には

生きることに

「物語性」があるとは思えない


でも その存在は魅力的だ




猫が好きな人は

猫に自己願望や自身を

投影しているのかもしれない・・


優しくしてほしい

自由を謳歌したい

わがままを許してほしい

誇りを失ってなんかない

自立したい

しなやかであったかくて・・


何かの「物語性」を

猫に・・断りもなく🙀



収拾がつかなくなってきたけど


なんだか

大澤真幸さんの本が

反面教師になって

思考実験できて


気持ちが急激に楽になった


>>猫みたいに生きよう<<


お昼ご飯は

チキンラーメンアレンジ

相方はともかく

私は卵の代わりに納豆のせ・・


午後からは

ねこ刺繍の

モデルさんを探す


のーすだこた君みたいな感じでどうかなぁ

ひげも・・寝てる

いっそのこと この写真みたいに・・

手もつけちゃおかな〜



猫刺繍

9日目の成果


晩御飯は

鯖の水煮缶サラダと小鍋

ひじき&まつたけのお吸い物の炊き込みご飯



妙な夢から始まり

久しぶりに

蝉から人間に戻ったと思ったら

猫にまでなってしまった今日

おもしろかったな



だから 猫はやめられない