鴨方往来を歩く 四日目(里庄~大門) 2019/05/04 後半の続きから終点福山までを歩きます。この日が鴨方往来歩きの最終日です。
大門駅から街道筋に向かいます。09:35:56
街道に復帰して西に進み、大門八幡神社の手前で右に分岐し、坂を上って行きます。09:46:49
坂道を登っていくと銀河学院があります。こりゃまた壮大な学校名ですなあ。09:52:39
正門横のフェンスの中に「此処に大津野分校」と刻んだ石碑があります。統廃合されたかつての中学校。09:53:16
福山市の仕切弁マンホール蓋。09:54:03
左手に四つ堂があります。09:56:15
左前方に、大きな常夜燈。常夜燈の土台手前に小さな道標「右 さくみち」」左 ふちうみち」。09:56:41
道標にしたがって左へ。坂を下ります。09:57:50
下がりきったところで、交差点を左折して、ヒシヤ踏切を渡ります。10:02:18
その先国道2号線に突き当たります。向こうに旧道の続きが見えていますが、ここは渡れないので大きく迂回して左に曲がり、国道沿いに大門町津之下信号まで周り、そこでわたって、もとの位置の向かいまで行きます。10:05:03
下を見れば福山市の空気弁マンホール蓋。10:05:45
ぐるっと回って向かい側にやってきました。10:15:07
自動車屋の裏側の道を進み、日和峠に向かいます。こういう道のほうが街道歩きの風情がありますね。10:17:49
あそこが日和峠の頂上のようです。10:22:43
日和峠の石地蔵尊が鎮座されています。10:25:00
頂上から坂を下ります。10:26:08
降り始めてすぐ右側やや高くなっているところに、「南無阿弥陀仏」と刻んだ六字名号塔、地神塔などがあります。「平成十七年一月移転 竹之内下組講中」という新しい石柱もあります。さらにその先に新しい祠があります。10:29:17
10:29:37
道なりに下っていった先の突き当たりは右に曲がります。10:33:21
交差点を新幹線の高架に向かう方向に渡ります。10:38:55
高架下の山陽本線手前を左に曲がります。10:39:15
細道を行きます。10:40:29
山陽線の古いガードを渡ります。10:43:18
続いて新幹線の高架をくぐります。10:44:50
進んで行くと正面に公園があり、その角で道は二つに分岐します。分岐点に常夜灯があります。右に行きます。。10:50:50
その先、右手に天神社があります。10:58:07
入口の常夜燈の上に逆立ちする狛犬。珍しいですね。10:59:01
常夜燈と地神。11:08:28
住宅地で街道は分断。迂回して左折。コンビニの前を通って、引野2丁目交差点で右に折れ、 交差点から20メートルほど先で、右に斜めに入る道に進みます。
11:19:21
そのまま道なりに西に進み引野町一丁目の交差点そのまま直進、しばらく進むと右側に小さな土肥神社があります。この近くの住宅に「土肥」の表札があったので土肥一族の氏神かもしれませんね。屋敷神みたいなもんかな。11:30:26
引野町一丁目交差点から少し進んだ最初の交差点は斜め右に行きます。11:32:38
曲がってすぐ右側に常夜燈と「土神」塔があります。11:34:15
曲がると正面にまた二叉がありここは右側を行きます。。11:34:45
食料品店の前の分岐で左へ行きます。11:36:32
少し進むと橋の手前に大きな常夜燈。文化13年。11:41:03
ひたすら西に進みます。この建物は仏具店。派手ですなあ。儲かってますなあ。12:06:42
地蔵祠。12:13:44
ここは右折します。12:14:08
少し進むと道標「右 かさ岡」「左 ふく山」。この辺りは丘で、毛利元康が王子山城主だった頃、米蔵があったので米座という地名がついたそうです。道標にしたがって左折して西に向かいます。12:17:32
光明院。12:20:02
長尾寺。大同年間に弘法大師が開基したと伝わる名刹。ここに明治五年、広島県初の小学校である啓蒙所が開かれたそうです。12:20:29
この辺りは切通です。左に小さく見える常夜燈の辺りが往時の道が通っていた高さでしょう。12:27:19
右側の壁面に六十六部塔と石仏。12:28:45
お地蔵さま。12:30:26
道路開削記念碑と地神。12:32:33
新幹線の高架により旧道はいったん消失。迂回します。12:34:10
迂回して高架をくぐり進んで行くと左側に薬師寺。12:39:26
ここを右に曲がって西に進みます。12:40:11
薬師川に架かる三枚橋を渡ります。12:49:07
渡った先に親柱。12:50:46
道標「右 てしろみち」「左 かさおかみち」12:51:09
進んで行くと右側に標柱「史跡 元三吉陣屋 大井戸」。三吉陣屋は福山藩水野家断絶後元禄11年から元禄13年まで幕府の代官所だったところです。13:00:15
寺町通りを抜けて行きます。新しい建物のお寺が多いですね。金持ってますなあ。13:14:35
寺町から御船町に入るところに道標があります。西面「右 上方道」「かさをか 二里 玉志ま 八里 をか山 十五里」、南面「左 九州道」「尾のみち 五里 三ハラ 八里 とも港 三里」。上方道は、旧山陽道から岡山城下で別れて今まで歩いてきた鴨方往来の道筋、九州道は尾道の手前で旧山陽道に合流して下関に向かう道です。ここで鴨方往来踏破とします。13:21:17
この付近の道筋はかなり変化があったようですね。
久しぶりに福山城を見て、福山駅から帰路につきました。
―鴨方往来終わり―