昨年歩いた牛窓往来(⇒コチラ)に続き、今回は鴨方往来を歩くことにしました。


鴨方往来は、岡山城下から庭瀬、倉敷、金光、鴨方、笠岡などを経由して、広島県福山に至る道で、岡山藩六官道の一つです。

 

出発点に向かう途中、岡山駅前の路面電車の停留所にチャギントンが止まっていました。人気です。9:41:58

 

表町(旧栄町)まで歩いて、千阿弥橋跡から歩き始めます。江戸五街道は日本橋が起点ですが岡山藩六官道の起点は千阿弥橋です。時計台に向かって南に進みます。10:09:01

 

時計台の角を右折。西大寺商店街のアーケードを西に進みます。ここを東に進むのが旧山陽道です。10:11:07

 

西大寺商店街 10:11:50

 

アーケードを出て電車通り(53号線)を横断して西に進みます。10:15:26

 

ここを左折 10:18:16

 

旧国道2号線に合流します。広い旧2号線の北側が鴨方往来の道筋です。10:23:14

 

旧浜田町の説明板 10:23:36

 

北側歩道の左側に旧瓦町の町名碑があります。かって瓦師が多く住んでいて、後には畳表を扱う町になったそうです。10:26:51

 

瓦橋交差点で西川を渡ります。ここに元は石橋がありました。10:29:45

 

大供交差点を西に進みます。10:36:24

 

岡山トヨタの前で左折 10:40:45

 

そのまま細い道を進むと左手に式内社石門別(いわとわけ)神社があります。かつては戸隠宮とされ、大供村の産土神でした。10:48:04

 

境内に「日月奉星風」と彫られた石板や鳥の石像などがあります。10:49:36

 

「かなみつ」というお店の前の二股を右に進みます。10:51:58

 

庄屋で宿屋もしていたと伝わる小山家。かつては旅館「谷清」を経営していたそうです。10:54:30

 

右手に石塀に囲まれた題目石と地水神があります。真ん中の題目碑には「南無妙法蓮華経」、「天保二年歳正月吉日 五百五十遠忌奉謝馬」、「宗門繁栄並村中牛馬安全」と刻んでいるそうです。題目石の左右に大正時代の題目碑と地水神碑があります。左の題目碑の背面に「大供表町信者 大正十四年七月十二日 建立」とあります。10:56:25

 

ここは直進し、向こうに見える細道を進みます。11:01:30

 

宇野線の高架下を通って西之町に入ります。11:07:38

 

小橋鮮魚店は、商人宿だった店だそうです。11:16:01

 

「末広商店」のところが鴨方往来と金比羅往来の分岐です。左に行くのが金毘羅往来。
直進するのが鴨方往来。庭瀬を経由して鴨方に向かいます。11:18:28

 

向こうに道が続いているのが見えますが、ここは渡れないので迂回します。11:23:09

 

往来に戻って西に進みます。11:26:19

 

右手に低い塀に囲まれていくつかの石造物が並んでいます。
真ん中に「南無妙法蓮華経」と髭文字で彫られた題目石があり、左手は石造りの小さな祠。
右手には「地水二神」と彫られています。11:35:34

 

常夜燈 11:36:26

 

大野辻の交差点に出ると道筋が拡幅により途絶えているので迂回します。11:43:40

 

往来の道筋に復帰して進むと、また道筋が消失しているので右に迂回します。12:12:18

 

笹ヶ瀬川川に沿って西に進みます。12:19:39

 

白石橋が見えてきます。12:21:59

 

白石橋の東詰めで旧2号線を横断します。12:22:50

 

細い久米通学橋があります。昭和13年まで白石橋はこの辺にありましたが後に石橋となったそうです。東詰には茶屋があったそうです。ここを渡ります。12:28:23

 

久米通学橋を渡ると久米(旧久米村)になります。中世以来の開墾地です。階段を下りて右(北)の方に「おそっさま」(後祖師様)と呼ばれる大覚大僧正碑と題目石があります。真ん中に常夜燈を挟んで、左に天保三年の大覚大僧正碑、題目碑は宝暦11年。もともと木造の白石橋の袂に建立されたそうです。12:31:10

 

川下の道を進みます。12:32:01

 

正面に小さな石の祠があり、分岐の左角に常夜燈があります。ここは右に行きます。12:38:43

 

左の道に少し入ったところには久米集会所があります。12:39:08

 

民家と久米集会所のあいだに、それぞれ「南妙法蓮華経」、「何妙法蓮華経法界」と刻まれた二基の石碑があります。右に「牛神」左に「中久米法界さま」があります。12:39:42

 

用水沿いの右の道を西に向かって進みます。12:41:50

 

石柱「久米村の国境石」があり、「従是東備前國久米村分」と彫られています。この碑の立っている川は、その名も「境目川」12:50:59

 

説明板があり、「元禄15(1702)年から宝永5(1708)年にかけて備前久米村・今保村と備中延友村との境界争いの結果、13カ所26本の杭が立てられた…云々」とあります。12:51:32

 

-後半に続く⇒コチラ

 

 

 

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