牛窓往来を歩く 二日目(2018/05/10) 1/3の続きです。

 

旧道である狩野千手坂を上る前に弘法寺山門を見ていきます。県指定重文です。 12:24:51

 

 

 

この奥、古い石段上に弘法寺がありますが、昭和42年の火災で本堂・普賢堂・鐘楼・多宝塔などが焼失し、今も再建されないまま荒れて寂れています。明治初年までは18もの塔頭があったそうです。今回は寄らずに行きます。


狩野千手坂を上ります。

 

狩野千手坂から見えるのは、常行堂、御影堂などだと思われます。12:36:18

 

坂は下りになります12:45:42 

 

下って県道28号に出て、牛窓町の中心部へ入って行きます。 12:50:56

 

疫神社です。江戸時代に疫病が流行したとき牛窓神社の境内に牛頭天王の祠を祀り悪疫退散を祈願したのが疫神社の起こりです。その後、また疫病に襲われた紺浦では、牛窓神社境内から当地に移し、「オヤクジンサマ」と呼ばれています。13:25:53

 

 

瀬戸内市のマンホール蓋  13:44:20

 

御霊宮、通称「オゴリョウサマ」 13:54:17

 

 

旧道を進みます。 14:11:28

 

 

 

本蓮寺山門。市指定重文。  14:19:24

 

 

本蓮寺境内に入ります。境内は、朝鮮通信使遺跡として国指定史跡になっています。 14:20:00

 

 

本蓮寺本堂。明応元年の再建。国指定重文。 14:22:58

 

 

三重塔。元禄三年。県指定重文。 14:25:02

 

 

 

海遊文化館(旧牛窓警察署)です。国登録有形文化財。背後に本蓮寺の三重塔があります。 14:36:29

 

 

 

「しおまち唐琴通り」の家並みです。「唐琴の瀬戸」と呼ばれる海峡部に沿って関町から東町(関町・西町・本町・東町)にかけて続いています。左が旧牛窓郵便局です。 14:39:32

 

港町として栄えた江戸時代から昭和30年頃の面影を残しているとのことです。

 

全体はこんな感じ。

 

長屋門です。 14:44:10

 

振り返ったところ。 14:45:31

 

牛窓天神社です。14:52:11

 

菅原道真が詠んだ歌に「唐琴の瀬(迫)戸」が出てきます。

 

社殿の背後は全長約85mの前方後円墳の牛窓天神山古墳です。

 

境内からの眺めです。大宰府へ配流される途中の菅原道真が、若きに日に国司として赴任したことのある讃岐国方向を眺め涙したそうです。14:56:39

 

上の画像と照らし合わせてみてください。


関町ミニ公園にある説明板。牛窓往来の起点の道路元標があったところです。ということは、ここで牛窓往来としては踏破ということになるのでしょうか。時間があるので、さらに牛窓の街を歩きます。15:11:36

 

牛窓往来を歩く 二日目(2018/05/10) 3/3 完に続く

 

 

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