前日の終点、千田川河口水門に戻ってきました。この日はここから出発しました。 08:57:19

(前日の様子は⇒牛窓往来を歩く 一日目(2018/05/09) 2/2

 

渡場橋の先の細道を進んでいきます。 09:04:38

 

石鉄山大権現塔と供養塔があります。この左側の道を進みます。09:08:00

 

正面の小高いところが乙子(おとご)城跡です。稀代の大悪人、宇喜多直家は初陣の戦功により乙子城主となり、これをきっかけとして、謀略、策略、悪辣非道の限りを尽くして備前を統一しました。その子秀家は豊臣政権の五大老となり栄華を極めましたが関ヶ原で敗れ八丈島に流されてしまいました。因果応報、盛者必衰、奢れるもの久しからず。記念すべき場所です。 09:24:34

 

 

乙子神社です。 09:38:30

 

乙子橋を渡ったところの電柱の下に道標「右 幸西 左 うしまど」があります。この手前を千町西川に沿って少し北に進みます。 09:39:37


大師堂です。右端が花崗岩の大師像で台座に明和5年(1768)とあります。09:47:00

 

神前神社の鳥居。天保3年(1832)。石灯籠は寛政11年。09:59:35

 

石橋です。寛政12年(1800)

 

神前神社には今年2月に来たばかりなので今日は寄らずにすぎます(⇒本日の梅(神崎緑地公園)2018/02/27)。画像はその時のもの。

 

 

 

先に進みます。 

 

神崎分水樋門です。貞享4年(1687)、岡山藩郡代津田永忠が木造樋門から改築した石造樋門です。まったく津田永忠という人は偉い人です。羽生結弦よりも偉いと思うけどね。10:08:40

 

 

 

水門の左脇に石碑。

 

神崎バス停の脇に道標「左大宮鹿忍牛窓」があります。牛窓往来の旧道は一本南側の道を行きます。 10:11:40

 

いい感じの旧道を進みます。10:16:27

 

太伯小学校の前を通ります。  10:26:18

 

天理教の分流の新宗教団体「ほんぶしん」があります。デカい。金持ってますなあ。10:28:41

 

 

紅岸寺城跡案内板です。宇喜多五郎左衛門を城主とした城跡と伝えられています。城郭の痕跡はなく、宇喜多氏の寝小屋あるいは館などの日常生活拠点として利用された寺がそのように伝えられたようです。10:49:17

 

松江伊津岐神社です。かつての一の宮、安仁神社(注)の末社で、吉備穴海の波打ち際に船を留めた五瀬命は、地元住民たちの手厚い饗応を受け、去る際に自身が用いた松材の箸を砂浜に刺しました。それが根付いた松が後に信仰の対象になったと伝えられています。10:58:04

 

(注)『延喜式神名帳』では備前国の名神大社として安仁神社が記載されていますが、一宮制が確立し名神大社制が消えると、備前国一宮は吉備津彦神社となりました。これは藤原純友の乱の際、安仁神社が純友に味方したのに対し、吉備津彦神社は、朝廷による藤原純友の乱平定の祈願の御神意著しかったと評価されたためで、それに伴い安仁神社は一宮としての地位を失い、備前の吉備津彦神社にその地位を譲る事となったと言われています。

 

宿毛交差点です。旧道は県道28号から斜め左に入って行きます。右側に指差し道標「牛窓道」があります。大正7年建立。道標にある一宮とは、備前国旧一宮の安仁神社(前述)のことです。 11:10:22

 

 

 

大師堂です。ここが岡山県孤児院発祥の地だそうです。 11:54:44

 

 

 

隣の空き地に石井十次顕彰碑が立っています。 11:56:26

 

 

右手に大池。 12:09:45

 

瀬戸内市に入ります 12:14:01

 

瀬戸内市の歓迎看板。左が旧道の狩野千手坂です。 12:15:08

 

日本のエーゲ海牛窓のヨットの帆をかたどっています。 12:15:54

 

日本のエーゲ海、牛窓のマンホール蓋12:16:34

 

トイレ 12:22:34

 

今回はここまでとし、この日の続きは2/3へ。

 

 

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