前半からの続きです。(前半の様子は⇒浜街道(絹の道)を歩く 一日目 八王子~町田 2017/02/11 1/2



柚木街道を渡って、 板木谷戸道に入ります。10:12:58



沿道右手に茅葺入母屋造りの小泉家屋敷があります。明治11年。田の字型4間取りで多摩南西部丘陵地帯に旧来から見られる民家建築の様式の典型だそうです。東京都有形民族文化財。この屋敷はまだ現役で、ここに住んでいらっしゃるようです。 10:15:20





遣水中学に沿って坂を上がり穂成田歩道橋を渡ります。 10:23:27



奥の鑓水小山給水所あたりが浜見場と呼ばれたところだそうです。10:33:24



給水塔の脇を通って八王子市から町田市に入ります。町田街道に向って田端坂を下りていきます。 10:35:50



坂を下って町田街道手前を左折していく道が旧道です。 10:44:33



入ってすぐ左へ行くと田端遺跡があります。環状積石遺構で、縄文後期から晩期にかけての代表的な祭祀遺跡だそうです。 10:52:35



京王相模原線の高架をくぐり、片所バス停手前で、町田街道に合流します。ここから南東に進む町田街道は浜街道の道筋をほぼ踏襲しているとのことです。 11:14:43



小山駐在所先を左斜めに入り、広い道を渡ると、すぐ先に四つ辻があり、右角に慶応元年の大きな石燈籠が立っています。左角には供養塔、太子塔が立っています。 11:37:40



四つ辻を進んで行き、左奥の階段を上ったところに長泉寺があります。 11:43:31



脇道は小山郵便局前あたりで、町田街道と合流します。11:51:45



街道の右手に中村地蔵尊の石仏群があります。宝暦6年(1756)の創立だそうです。11:53:27



中村地蔵尊の石仏群の傍らには庚申塔や道祖神などが並んでいます。 11:55:20



地蔵尊から常磐バス停まで町田街道を進み、バス停手前からまた右斜めに続く旧道を行きます。12:18:38



町田市のマンホール蓋。市の木ケヤキのデザイン、中央に市章。12:22:08



町田市のマンホール蓋。中央に市章、周りに市の花サルビアの花を放射状に配したデザイン。



中常磐で町田街道と合流します。 12:26:00



常磐駐在所北信号で右手へ大きく曲って行くと、両側に桜美林大学が広がっています。 12:42:43







上宿バス停から一旦町田街道と別れ、右折して行きます。この区間は浜街道の道筋を最もよく残しているそうです。 13:25:15





しばらくいくと右手に秋葉神社があります。貞亨2年(1685)遠州秋葉山三尺坊より勧請したそうです。13:33:03  (⇒神社にお参りする人々(11)[秋葉信仰]



隣に福昌寺の山門が建っています。家康の遺骸が駿河久能山から日光へ移送されたときに休息所となったそうです。 13:34:53



旧道を歩いていくと四つ辻へ出ます。ここで交差する道はかっての矢倉沢往還で、奥州古道とも呼ばれ、奥州へ通じる大道です。家康の遺骸もこの道筋を進んでいるそうです。13:45:27



四つ辻を右折して30mほどの右手に木曽一里塚跡が残っています。家康の遺骸がここを通過した際大久保長安により造られたと伝わっています。 13:47:20



四つ辻には覚円坊というお堂があり木曽の観音様として古くから親しまれてきたそうです。 13:54:52





旧木曽宿の道筋は木曽交番のあたりで町田街道と合流します 14:03:31



木曽を過ぎ、滝の沢信号で現在の町田街道は左へ分かれていきます。右へ行くのが往時の浜街道のあとをとどめる道だそうです。14:20:03



森野交差点で、現代の鎌倉街道と交差します。鎌倉時代の街道ではありません。  14:33:57



鎌倉街道を過ぎて町田駅方向へ直進、小田急線の踏切を渡ります。踏切を渡ると町田駅前の小広場があり、ここに昭和58年、石碑「絹乃道」が立てられています。 14:54:34

(⇒春の町田を歩く(2015/03/22)



石碑左側面には「此の方よこはま」 14:56:00



石碑右側面には「此の方はちおゝじ」 14:57:10



裏面に「原町田誕生四百年記念」。このあたりから成瀬街道が分岐する三塚辺りまでが明治初期には原町田村でした。14:58:16



本日はここまで。 15:04:14




二日目に続く⇒浜街道(絹の道)を歩く 二日目 町田~横浜 2017/02/12 1/2


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