前回の続きです。

(前回の様子は⇒北国西街道(善光寺西街道)を歩く 二日目 (西条~松本)(2016/05/29) 3/4



岡田伊深の一里塚跡碑があります。 14:05:02




ここは旅人の無縁墓地で、蓮台場、俗称を「でんで」と言うそうです。 14:14:17




突当りの桝形を右に辿ります。道標「右 江戸海道 左 せんく王うし道」があります。枡形には岡田口番所があったそうです。「せんく王うし道」とは善光寺道のことですが、あて字もここまでくると見事というほかないですね。「うし」を使いたかったのでしょうか。14:20:09




枡形を抜けると岡田宿です。刈谷原と松本の間が長いため、松本藩が近在の農家を集めて新設した宿場です。江戸海道(保福寺道)と北国脇往還(善光寺道)の分岐点にあり賑わったそうです。 14:23:19



この立派なお家は旧家だと思います。 14:26:40



ここが問屋兼本陣跡です。 14:28:38



地蔵尊の所が宿の南口で、木戸があったそうです。14:31:06




岡田神社の旧参道口に大ケヤキがあります。松本市天然記念物です。14:42:22




旧反目村を過ぎ、国道143号西街道線を斜めに横断して旧中原村に入ります。 14:59:49



信州大学教育学部附属幼稚園前の通りに合流、しばらく進み、信濃屋海苔店、トケイメガネの天賞堂のある十字路を左折します。15:21:49



寶榮寺手前の国道143号西街道線のT字路突当りを右折します。15:24:58



城東(旧東町)に入ります。往時は木賃宿や旅籠が軒を連ねていたそうです。 15:33:50



城東二丁目交差点手前に捨堀の土塁跡解説があるというので探し回りましたが見つかりませんでした。捨堀の土塁とは、石川数正の子康長が松本城惣堀の東に堀を巡らす工事を起こしたが徳川に知られ改易の一因になり、堀は打ち捨てられたというお話。15:45:16



重厚な造りのヒカリヤがあります。 15:51:14



女鳥羽川に架かる大橋を渡ります。 15:52:46



これは松本信用金庫。15:55:01



右折して中町通りに入ります。電線が地中化されています。きれいな街並みです。 15:56:55



仲町通りには車も入ります。この通りには車を入れるべきではないように思います。 15:58:26



はかり資料館です。 15:59:32



中町蔵の会館です。 16:01:49



漆器伊原です。 16:02:56



松本のマンホール蓋。カラー。16:07:19



T字路に突当りを左折、一本道を進みます。深志二丁目交差点から松本駅に向かいます。 16:10:05



この日の街道歩きはここで終了です。16:23:49



電車内で駅弁食べて寝て帰りました。 16:28:11




次週に続く ⇒ 北国西街道(善光寺西街道)を歩く 三日目 (松本~洗馬)(2016/06/04) 1/2




人気ブログランキング

にほんブログ村