『ILOVE YOU』 〜尾崎豊〜
久々に尾崎豊さんの曲をYouTubeで聴いていた。
何度聴いてもやはり素晴らしい。
私は尾崎さんの事を中学一年生の時に知り、それ以来、ずっと聴き入った。
その頃の私と言えば、サッカーに明け暮れており、勉学など二の次であった。
それから数年が経ち、私はいつの間にか『優等生』となっていた。
生徒会の役員になっていたり、学級委員長になっていたり、成績は学年で1、2を争っていた。
それでも尾崎さんの曲はずっと聴き続けていた。
その頃の私は何を追いかけていたのだろうか?
少なくとも優等生ではなかったはずだ。
進学校に進む事など微塵も考えてはいなかった。
私は何をしていたのだろうか。
それから私は地元の進学校へ進み、見事に入学2ヶ月目にしてドロップアウトした。
学校へは行かず、毎日のように喫茶店やビリヤード、ボーリング、カラオケ、ゲーセンへ通った。
(当時の喫茶店のマスターには本当にお世話になった)
当時、私が通っていた高校は『ボンボン』などと呼ばれており、医者や経営者などの息子や娘が多く通っていた。
私もゲーセンなどで他校の生徒と出会った際には、『おう、ボンボン!勉強しなくていいのか?』と散々バカにされたものだ。
そして相手と乱闘になった。
(ちなみに私は空手を習っていた事もあり、喧嘩に負けた事はなかった)
そんなこんなで、私の高校時代はメチャクチャであった。(今の時代なら間違いなく卒業できていないだろう)
だが、私は時代の潮流に流され、一流大学を目指す為に上京した。(予備校ネ)
若者はいつだって浅はかなものである。
一流大学に入れば希望する会社に就職できると思い込んでいた。(私は当時、広告代理店に入りたかった)
しかしながら、私は志望校に落ち、滑り止めで受かった大学に入るしか無かった。
モチベーションなど無く、私はほぼ釣りをしていた。(伊豆は特にいいネ)
案の定、留年した。
あの頃の私は、何を目指していいのかも分からず、何の為に生きているのかさえ分からなかった。
ただ毎日釣りをし、夜中にパチンコ屋の清掃バイトに明け暮れ、朝になってから眠るような毎日だった。
そんな日々を送っていた時に、ある時彼女が出来た。
まだ21歳そこらの当時の私には、彼女が抱えていた病気や家族との関係性を背負う事など出来なかった。(彼女の父親は当時一流企業の役員であり、厳格な家庭であった為、私との交際についても父親には内緒であった)
私はあの時、【無力感】というものを知ったのである。
私は彼女に対して何も出来なかった。
ましてや、希望など与えてあげる事など…
🎵 何もかも許された恋じゃないから
2人はまるで捨て猫みたい
この部屋は落ち葉に埋もれた空き箱みたい
だからおまえは子猫のような鳴き声で…
(尾崎豊「ILOVE YOU」の歌詞より)
彼女はその後、職場でイジメに遭い、うつ病になった。
私は彼女の自宅に通い続けたが、彼女が元気になる事は無かった。
私は精神的に疲れ果て、彼女の元を去った。
その事が後に私をカウンセラーとした。
せめてもの償いであった。
★個別に応じて心身の健康を保つ為に尽力します。
★全ての問題や悩みに対して真理的な気づきが得られると思います。