花だより -4ページ目

暑い!やる気なし!



今年の猛暑に伸びたペロちゃん。
これで良いのか?
しっかりしてよね~!

ラインスタンプ

LINEスタンプを描き始めて4本目が認証されました。

昨年から試行錯誤を繰り返し

何とか4本認証していただきました。


何をどうやっていいのかもわからない作業の中での試行錯誤。

ようやくデーターをラインに上げても

リジェクト(認証されない)されてやり直し・・・

などと言う事もありましたので、

制作から、半年近くかかった事になります。


しかも

販売認証していただき、スタンプがネットに上がっても

自分で宣伝しなければ、ただただ宙に浮いているだけ。


一番苦手な作業です。

でも頑張りますので、応援よろしくお願い致します




こちらはライン生まれの猫です。

名前はまだありません。


4月の26日

ラインにアップしていただきましたが、

宣伝もアメプロだけ、プログもサボってましたので

まだ宙に浮いてるだけの状態です。

どうぞごひいきにお願い致します。


ライン猫

https://store.line.me/stickershop/product/1102048/ja



2本目・桃色ハート

桃色ハート

https://store.line.me/stickershop/product/1121920/ja

おみくじ

どうせ初詣に行くなら、

今年は行った事のない所へ行ってみよう!


水道橋の駅から、5分。

神田明神 に行きました。



*:.。.:*・☆はなだより☆・゜・*:.。.:*-お茶の水

表門を見た瞬間・・・絶望感に・・・!!!
この人混みで,おまいりは出来るんだろうか~ぁあ~!!!
少し後悔・・・・!
見える範囲、人で埋まっていました・
*:.。.:*・☆はなだより☆・゜・*:.。.:*-神田
並んで少しずつ進む行列について
何とかおまいりを済ませ
問題のおみくじを買いました。


迎えるべき道はさすがにあるものを
知り顔にして行く事も無き

???
これはどんな意味・・・?

井の中の蛙大海を知らず。
たとえ人より優れた事があったにしても
決して自慢してはならない。
神を敬い、人を敬い、
温和な心で過ごせば渦を巻く事も無く
明るい暮らしが約束される。

知り顔にして進まないで
やさしく温和に進みなさいと言う事よね!
(何時も温和なんですけどね・・・)

*:.。.:*・☆はなだより☆・゜・*:.。.:*-おみくじ
と言う事で
ここには結ばないで持って帰りました~あ!!!

その他に
願望:意外に早く叶う

と言うのもありましたから!

*:.。.:*・☆はなだより☆・゜・*:.。.:*-絵馬
ここより
神田明神で見かけた絵馬を数点


*:.。.:*・☆はなだより☆・゜・*:.。.:*-絵馬


*:.。.:*・☆はなだより☆・゜・*:.。.:*-絵馬


*:.。.:*・☆はなだより☆・゜・*:.。.:*-絵馬

都心に出たついでだからと
明治神宮にも足を伸ばしてみました
そしてメチャメチャ後悔しました。

行列の長い事・・・・!
10歩ほど歩いて、ずっと待機
永遠に続く~続く~!!!
*:.。.:*・☆はなだより☆・゜・*:.。.:*-明治神宮
はるかかなたの本殿に行き着くまでに
足は棒のようになりました


*:.。.:*・☆はなだより☆・゜・*:.。.:*-明治神宮
神様ぁ~!仏様ぁ~!
この行列をなんとかしてくださぁ~い!

それにしても・・・
日本人は辛抱強い~~~!!!
いえいえ他国の方もチラホラと!


*:.。.:*・☆はなだより☆・゜・*:.。.:*-明治神宮

本殿の手前に見える白く長いものが
お賽銭箱です。

はい。ここでもおみくじを

明治天皇の’大御心(おおみごころ)
と言うものだそうです。

ならび行く人にはよしやおくるとも
ただしき道を踏みなたがへそ

成功を急いで、方法を選ばず、」終わりには大きな失敗を
招いた実例は沢山あります。
急がば回れと言うたとえのように、
最初の信念を貫いて、正しい道を着実に歩みましょう。

慎重に歩みなさいと言う事ですよね
これは3箇所共通の教えだったような気がします。

初詣の感想ですが
やはり浅草の浅草寺が楽しいですね。
長い行列も、仲店の商店街を見ながら
並んでいると時の経つのも忘れます。
お饅頭などを買ってほおばりながらの
行列は苦になりません。

おっとぉ~!
こんな事言うから
知り顔にして行く事も無き
おみくじ様に馬鹿にされるんかも・・・!

反省汗2
 


今年一番の仕事

あけましておめでとうございます。


2013年今年もよろしく御願い致します。

*:.。.:*・☆はなだより☆・゜・*:.。.:*-年賀  


皆様は初詣には行かれましたか?


私は近所の天神様にお参りました。


おみくじを引きました。


良いおみくじではなかったので、


木の枝に結び開運のお願いをしました。



小吉で

運勢が向いていないので、今は行動しないで

時を待つと運が向いてくる。と言うおみくじでした。



今年は年明け早々から、行動しようと思っていたので

このおみくじは、私の意に沿わないと思いました。


なので・・・・

明日から開運おみくじが出るまで、初詣をしょうと思います。


おみくじなんて気にしてても始まらないのですが

なんだか出足を削がれたようで気に入らない・・・・。





今年一番最初のお仕事がおみくじ・・・・!!!!

家の子

その方にお年をうかがうと、戦時中に生まれています。

80歳が見えてきましたとおっしゃいます。

お生まれになったのは、多分昭和10年から20年位の間だと思います。


大きな糸問屋?か織物問屋のお嬢さんだったそうです。

(お話に聞きほれて、詳しい事を伺うのも忘れていました。)


広いお屋敷に、小さな川のある野原。

毎日仕入れに訪れる商人の方に囲まれて育ったそうです。


何時も訪れる商人の方は、野原を眺めながら

長火鉢にあたり、お茶を飲み煙管の火をポンポン長火鉢の中へ叩き落す。そんな光景が今でも懐かしい思い出だそうです。


商売でありながら、ゆったりした時間が流れていたのですね。


私の生家も商家でした。

街中にありましたので、小川や野原は無かったのですが

長火鉢の傍で、お茶を飲み、キセルで煙草をくゆらすお年寄り方が何人もいらっしゃった事を覚えています。


戦後間もない頃。

敗戦から立ち上がろうとしていた日本がありました。

敗戦の中で日本を立て直して行った人々の中には

戦争で夫を失い、子供を失い、職業婦人となり家庭を支えてきた

婦人も多かったのではないでしょうか?

私の家には、仕入れた反物を背中にしょって、商売をしていらしたご婦人も大勢いたように思います。


何時頃までそんな時代が続いたのか、記憶は乏しいのですが、

車もほとんど無い時代、重い荷物を背負い遠くまで商売に出かける。

そんな人たちが戦後の復興を担って来た様に思います。


話を元に戻します。

その方の家の広い座敷には、ニシキヘビが住んでいたそうです。

直径20センチもあるような大きなニシキヘビだったそうです。

床の間を住処として、とぐろを巻いていたそうです。

彼女のおばあさまはそのニシキヘビは、我が家の守り神と言って

とても大切にしていたそうです。

そしてその子を家の子と呼んでいらしたそうです。

職業柄、糊などを大量に使うので、ネズミなどを食べてくれるからだったんじゃないかと思うんだけど・・・と彼女は言っていました。


時には天井の梁(はり)などに絡み付いて、そのニシキヘビは

彼女の生家に住み着いていたそうですが、


足を持たない長い体や毒をもつこと、[[脱皮]]をすることから「死と再生」を連想させること、長い間餌を食べなくても生きている生命力などにより、古来より「神の使い」などとして各地でヘビを崇める風習が発生した。最近でもヘビの抜け殻(脱皮したあとの殻)が「お金が貯まる」として財布に入れるなどの風習がある。また、[[漢方医学]]や[[民間療法]]の薬としてもよく使われる。日本でも白ヘビは幸運の象徴とされ特に[[岩国のシロヘビ]]は有名である。
また、赤城山の赤城大明神も大蛇神であり有名であるといえる。

ウィキペディアフリー百科事典


確かに古来より蛇は神とあがめられ、守り神とされてきたようです。

蛇と共存して行く社会が何とも珍しく、その時代背景は厳しい時代ではありましたが人々の心はとても優しく、神秘に満ちてとても優雅に思えるのでした。


しばらくして彼女の家を建て替えた時、家の子はどうなってしまったかと云うと

ちゃんと物置の中に居たそうです。

その後その蛇はどうなったのか・・・?

今度お会いしたら続きをうかがいたいと思っています。




放射能さえ無かったら・・・・

福島県へ行ってまいりました。

福島駅に立つと、何事もなかったようなどこの都市とも変わらない

日常生活がありました。

駅ビルの商店街も平日のお昼なのでそこそこの人出。

道路には車も行きかい、よく見る都市の風景です。


福島駅からバスに乗り、2時間余り・・・南相馬の海沿いの町へ。

津波の被害の大きかったところです。

原の町駅に着くと、そこからは交通手段がありませんので

タクシーに乗りました。



*:.。.:*・☆はなだより☆・゜・*:.。.:*-福島
広大な町や野原や田んぼや畑だったのでしょうか?
瓦礫の処理が進んでいました。


*:.。.:*・☆はなだより☆・゜・*:.。.:*-福島
タクシーの運転手さんお勧めの場所
原町火力発電所付近の海岸は
毎年サーファー達でにぎわっていた場所だとか・・・・・。
今はだれも来ない・・・。

海の水はこんなに青いのに・・・。


原町火力発電所3月末再開へ 復旧急ぎ工程前倒し

 東北電力は28日、東日本大震災で甚大な被害を受け、現在復旧中の原町火力発電所(南相馬市、定格出力1・2号機、計200万キロワット)の試運転を年内に始め、来年3月末から営業運転を再開すると発表した。同日、仙台市で開かれた記者会見で海輪誠社長が明らかにした。同社は当初、13年夏前までの営業運転再開を予定していたが、作業員の増員などで復旧を急ぎ、工程を前倒しした。
 主力火力発電所の運転再開により、本県を含む同社管内の電力安定供給がより進むことになる。
 同社によると、2号機は11月下旬、1号機は12月下旬に試運転による発電を再開する。営業運転の再開は、2号機が来年3月末、1号機が同4月末を予定。
(2012年9月29日 福島民友ニュース)



*:.。.:*・☆はなだより☆・゜・*:.。.:*-福島
向こうに見えるのが火力発電所。


*:.。.:*・☆はなだより☆・゜・*:.。.:*-福島

タクシーの中から・・・壊れた車の集積場所。


*:.。.:*・☆はなだより☆・゜・*:.。.:*-福島
そして小高区に入る・・・・。
小高区は警戒区域及び避難指示区域から
避難指示解除準備区域に変更されました。
立入りは自由にできますが、宿泊は禁止の地帯です。
時折住民の方の姿や、車も見かけます。
倒壊した家屋もありますが、壊れていない建物も多く見られました。
(家の中までは分かりませんが・・・)

平成24年3月30日付けで、国の原子力災害対策本部において、東京電力福島第一原子力発電所事故に伴い設定された警戒区域及び避難指示区域(計画的避難区域含む)の見直しを行うことが決定されました。
 今回の見直しについては、住民の安全・安心の確保を最優先にした年間積算線量の区分に応じて、年間20ミリシーベルト以下の「避難指示解除準備区域」、年間20ミリシ-ベルト超50ミリシーベルト以下の「居住制限区域」、年間50ミリシーベルト超の「帰還困難区域」の3つの区域に再編されるものです。
 なお、今回の見直しに伴い、4月16日(月)から区域への出入り等が一部緩和されるようになりますが、引き続き避難指示が継続されることになります。
(南相馬市のホームページより)

*:.。.:*・☆はなだより☆・゜・*:.。.:*-福島

一年半以上経過しても長い間、警戒区域及び避難指示区域だったため
倒壊したままの家屋も多く見られました。


*:.。.:*・☆はなだより☆・゜・*:.。.:*-福島
人気のない小高駅
今は人影もありません。

タクシーの運転手さんは、原発の爆発も知らされず
仕事をしていたそうです。
しばらくして東京の兄弟の処に避難しました。
長い避難生活はいくら兄弟とは言え
居辛くて、福島に戻ったそうです。

小高区では地震で壊れなかった家屋も多いようでした。
放射能さえ無かったら、
今はもう復旧していたと思われる地域です。

今は不自由な仮設住宅で暮らされているのでしょうか?
長い仮設住宅の暮らしで、精神を病んでいく人も多いと聞きました。
この町に戻り暮らせるようになったとしても
地震の後の家屋の手入れ、生活の復旧には
長い年月がかかるだろうと思います。

そして
原発に近いと言う精神的な恐怖が付きまとうのです。

放射能さえ無かったら・・・・・。
タクシーの運転手さんがぼそっと呟いた声が
今も耳の奥でこだましています。



午時花


ごじか(午時花)

あおぎり科。熱帯アジア原産。
 ゴジカは漢字で「午時花」と書き、
午の刻(午前11時~午後1時の2時間)に
花が開くところから付けられました。
別名にキンセンカ(金銭花)、ヤラクキンセン(夜落金銭)などがあります

*:.。.:*・☆はなだより☆・゜・*:.。.:*-午時花  


時は知らぬ間に流れていた

あまりに多くの世のざわめきの中に

花の咲く季節も忘れ

私はいた


*:.。.:*・☆はなだより☆・゜・*:.。.:*-午時花  

毎年

お前に会いに来るよね

情熱を燃やすような赤い花が好き


*:.。.:*・☆はなだより☆・゜・*:.。.:*-午時花  

午後に咲き

夜には花を散らす

その潔さが好き



*:.。.:*・☆はなだより☆・゜・*:.。.:*-午時花  

めくるめくそのひと時

記憶の中で燃え続ける

赤い花



大震災以後、うつ病が増えているといいます。
その中で最も多いのは
自分の好きな事しか出来なくなった病だそうです。

度が過ぎれば、社会に馴染めなくなりますが
自分の好きな事をして生きて行ければ
それは
理想の人生です。
最も自分らしく生きたいとの願いなのでしょう

幸多かれと祈ります。

2012年9月26日  東京都薬用植物園



命と向き合う事

その子はもう三十歳を超えているかも知れないと

しばらく連絡を取っていない友達のお子さんの事を思いました。


「二番目の子が生まれたんだけどね、ダウン症なの。」

電話があり、彼女の家に出かけました。

「ダウン症の子はね、心臓が弱いとか腸が短いとかいろんな欠陥を持って生まれてくるけど、この子は腸が短くて今は人口肛門にする手術をしたの。見る?」


記憶が確かではありませんが、多分生まれて数ヶ月・・・・

幼い赤子のお腹に巻かれた包帯の下に痛々しい穴が開けられておりました。しばらくしたら肛門に繋げる手術をするんだと、その様にいっていた記憶があります。


それから何年かして電話をかけると、その子は元気に育って

とても音楽が好きだとかで、

「私が音楽や絵を描くことを学んできたのは、この子の為だったのだと実感してる。三人の子供の中で、この子が一番素直でやさしいの」


二人目の子が障害を持って生まれ、三人目の子を生むと聞いたとき、彼女の偉さを思いました。

その障害を何事もなく、とても自然に受け入れておりました。


人が誕生する時、ダウン症は何パーセントかの確立で必ず発生する。その子供達はその確立を引き受けてくれたのだと、もう何十年も前ラジオで園綾子さんが話していた事が記憶に蘇ります。


障害の確立を引き受けてくれた子供たち。

もしその子供を自分が授かった時。

彼女の様に自然に屈託がなく受け入れる事が出来ただろうか?

悩んで、悩んでくたびれるかも知れない。


昨日、ある方の記事を読ませていただき

なんとなく何十年も年賀状だけの交流になっていた彼女の事を思い出し、

今日は電話をしてみたいと思っています。


命の尊さとは別に

障害を持って生まれた子を育てるのは大変な事でもあります。


五人の子供の末の子がダウン症だった義父は、数学者で思い切り学者タイプの人でしたが、

「僕がねなかなか死なないのは、ふくちゃん(そのこをそう呼んでいました)がいるからですよ」

数学の事以外は何も頭に入らないそんな義父でしたが、

いつもその様に言っていました。

戦後間もない頃、障害者の施設も何もなかった頃、当時山だった場所を開拓し、校外に父兄の力で施設を建設しました。

そして

大学のある都心の家と、施設の傍の家を一ヶ月半分ずつ過ごすのでした。

(私たちはその送り迎えで、大変だったんですけどね・・・・)


計り知れない苦悩と、労力を掛け子供の障害と向き合った事は

学問だけに生涯をかけたった義父の、計らずして成しえた偉業だったとも言えます。


予期せぬ出来事と否応なく向き会わざるを得ない時、

人間はすごい力を出します。


お仕事で出会った方です。

当時保育園に入ってたはるちゃんのお父様がそうでした。

奥様を癌で亡くし、小児麻痺で体に障害を持ったはるちゃんの為に

お仕事を辞め、子育てに従事しておりました。

でも彼の悩みは

お母様方はさらっと子育てをしてる。

それがうらやましいと言われていました。

にわか子育てのそれも男性の身、それまでは仕事いちずに来たそうですので

戸惑いは大きかったかも知れません。


普通の状態のお子さんでも、育児には神経を注ぎます。

はるちゃんは、家の中でもハイハイをしなければならないほどで

トイレも手助けが要るほど体に障害が残っていました。

そんな状態のはるちゃんを、普通の児童と一緒に教育を受けさせたいと

彼は奔走し、その権利を勝ち取りました。


人は通常から事なると、より多くの物事を考えます。

何もなく平穏に暮らした人より、

広い範囲の試行をめぐらし、思慮深くなると思います。

そして

何事にも負けない強さを持つのだと

はるちゃんのお父様を見ていて感じました。


あれから10数年。

はるちゃんはもう高校生くらいになっているかも知れません。

一度お伺いしたいと思っているのですが、まだ当時の処にお住まいかしら?




10円

連日猛暑が続きます。

何が何でも暑い・・・・

一日でもっとも気温の上がるお昼頃の事でした。


多摩センターの駅の道路の端っこに、

ホームレス?の人が座っていました。

「生活費10円めぐんでください」

その前のコンクリートに、封筒位の紙に書いたものが貼り付けられていました。


10円かぁ・・・・・

お財布を見ると50円玉が入っています。

彼の望みより若干多い・・・・

という事で50円を置いてきました。


夕方

家に帰り思いました。

今時50円で、パンの一個も、おにぎりの一個も買えやしない・・・・。

ならばせめても100円を置いてくるべきだった。

と連れ合いに言いますと、それなら105円だよと言われました。


10円と表示されると50円でも多いように感じる。

100円と表示されると多いと感じるのは500円になるのかな?

ならば彼はアピールの方法でずいぶん損をしてるな・・・・。

今度出会った時には、105円か?500円か?


3週間ほど経過して、もう一度彼を見ました。

この前と同じように、猛暑日でした。

ほんの少しの日陰の中に

「生活費10円めぐんでください」その紙の前に座っていました。

ボロボロの大きなバック。

疲れ果てた表情が目に付きました。


私は

105円置いてきたと思いますか?

500円置いてきたと思いますか?

いいえ

1円も置いてくる気にはなれませんでした。


なぜならその時彼はタバコを吸っていたからです。

めぐんでください

そう書きながら、タバコをたしなむ余裕がある。

そう思うと、

何日か50円しか置いてこなかった

自分を攻めていたのが

急に馬鹿馬鹿しくなったのです。


やっぱり彼は

とてもアピールが下手な人なんでしょうね。





さようなら原発10万人集会

「さようなら原発10万人集会」

主催者発表で17万人とか~!

炎天下代々木公園には、気温に負けず、脱原発の熱い思いがありました。


福島を繰り返してはいけない。

皆の想いが流れます。



朝日新聞デジタル版

坂本龍一さん「電気のため、なぜ命を」都心で脱原発デモ

よくまとめてて書いてくださいました。


報道も少しずつ変化してきたように思います。



光の中へ(福島の子供の幸せを願う会)-さようなら原発


光の中へ(福島の子供の幸せを願う会)-さようなら原発
いろんなのぼり旗を見ますと、日本全国から駆けつけて来てくれたようです。
広島、大阪、栃木、福島・・・・・もっともっと・・・・・。


光の中へ(福島の子供の幸せを願う会)-さようなら原発
落合恵子さん


光の中へ(福島の子供の幸せを願う会)-さようなら原発
大江健三郎さん


光の中へ(福島の子供の幸せを願う会)-さようなら原発
坂本龍一さん


光の中へ(福島の子供の幸せを願う会)-さようなら原発
瀬戸内寂聴さん(90歳になられるそうです)


光の中へ(福島の子供の幸せを願う会)-さようなら原発
広瀬隆さん


光の中へ(福島の子供の幸せを願う会)-さようなら原発
福島から徒歩で放射能に汚れた土を
東電のものだからと東電まで返しに来ました。
あす東電に届けるそうです。
関久雄さん


皆様お疲れ様でした。

主催者のの皆様ありがとうございました。

ゆっくりお疲れを取ってくださいね。


皆の想いがかないますように~!