放射能さえ無かったら・・・・ | 花だより

放射能さえ無かったら・・・・

福島県へ行ってまいりました。

福島駅に立つと、何事もなかったようなどこの都市とも変わらない

日常生活がありました。

駅ビルの商店街も平日のお昼なのでそこそこの人出。

道路には車も行きかい、よく見る都市の風景です。


福島駅からバスに乗り、2時間余り・・・南相馬の海沿いの町へ。

津波の被害の大きかったところです。

原の町駅に着くと、そこからは交通手段がありませんので

タクシーに乗りました。



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広大な町や野原や田んぼや畑だったのでしょうか?
瓦礫の処理が進んでいました。


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タクシーの運転手さんお勧めの場所
原町火力発電所付近の海岸は
毎年サーファー達でにぎわっていた場所だとか・・・・・。
今はだれも来ない・・・。

海の水はこんなに青いのに・・・。


原町火力発電所3月末再開へ 復旧急ぎ工程前倒し

 東北電力は28日、東日本大震災で甚大な被害を受け、現在復旧中の原町火力発電所(南相馬市、定格出力1・2号機、計200万キロワット)の試運転を年内に始め、来年3月末から営業運転を再開すると発表した。同日、仙台市で開かれた記者会見で海輪誠社長が明らかにした。同社は当初、13年夏前までの営業運転再開を予定していたが、作業員の増員などで復旧を急ぎ、工程を前倒しした。
 主力火力発電所の運転再開により、本県を含む同社管内の電力安定供給がより進むことになる。
 同社によると、2号機は11月下旬、1号機は12月下旬に試運転による発電を再開する。営業運転の再開は、2号機が来年3月末、1号機が同4月末を予定。
(2012年9月29日 福島民友ニュース)



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向こうに見えるのが火力発電所。


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タクシーの中から・・・壊れた車の集積場所。


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そして小高区に入る・・・・。
小高区は警戒区域及び避難指示区域から
避難指示解除準備区域に変更されました。
立入りは自由にできますが、宿泊は禁止の地帯です。
時折住民の方の姿や、車も見かけます。
倒壊した家屋もありますが、壊れていない建物も多く見られました。
(家の中までは分かりませんが・・・)

平成24年3月30日付けで、国の原子力災害対策本部において、東京電力福島第一原子力発電所事故に伴い設定された警戒区域及び避難指示区域(計画的避難区域含む)の見直しを行うことが決定されました。
 今回の見直しについては、住民の安全・安心の確保を最優先にした年間積算線量の区分に応じて、年間20ミリシーベルト以下の「避難指示解除準備区域」、年間20ミリシ-ベルト超50ミリシーベルト以下の「居住制限区域」、年間50ミリシーベルト超の「帰還困難区域」の3つの区域に再編されるものです。
 なお、今回の見直しに伴い、4月16日(月)から区域への出入り等が一部緩和されるようになりますが、引き続き避難指示が継続されることになります。
(南相馬市のホームページより)

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一年半以上経過しても長い間、警戒区域及び避難指示区域だったため
倒壊したままの家屋も多く見られました。


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人気のない小高駅
今は人影もありません。

タクシーの運転手さんは、原発の爆発も知らされず
仕事をしていたそうです。
しばらくして東京の兄弟の処に避難しました。
長い避難生活はいくら兄弟とは言え
居辛くて、福島に戻ったそうです。

小高区では地震で壊れなかった家屋も多いようでした。
放射能さえ無かったら、
今はもう復旧していたと思われる地域です。

今は不自由な仮設住宅で暮らされているのでしょうか?
長い仮設住宅の暮らしで、精神を病んでいく人も多いと聞きました。
この町に戻り暮らせるようになったとしても
地震の後の家屋の手入れ、生活の復旧には
長い年月がかかるだろうと思います。

そして
原発に近いと言う精神的な恐怖が付きまとうのです。

放射能さえ無かったら・・・・・。
タクシーの運転手さんがぼそっと呟いた声が
今も耳の奥でこだましています。