【リードを放してしまうその心理~二重錯誤~】 | JRTハナのあらえっさ日記~犬と子供と時々株式投資~

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ジャックラッセルテリア愛犬ハナの日常を綴ります。
2018年3月、CMで女優犬デビューしました(^○^)
2018年に生まれた娘と微妙なライバル関係です。

おはようございます。

 

ハナと運動していたり、公園などを歩いていると

 

愛犬のリードを手から放してしまう飼い主

 

をさいたま市でもたまに見かける事がある。

 

過去ログ【マナー、世間体、支配下に置くしつけ…思う事(前編)】でも述べましたが、私は飼い主が責任の範疇を理解し、それを負う覚悟があればオフリード(リードを手に持っていない)という状態だけを取り上げて、具体的にどうこう思わないようにしている。(現実にそれに出くわしても、実害がなければ流す)

 

通りすがりで見るそうした飼い主の犬は大概、…なるほど、基本的に自ら能動的に何かをするタイプではないというのはすぐ分かる。

 

それと、飼い主の元から大きく離れる事も何の外部刺激もなければ、差し迫って心配なさそうなタイプというのも分かる。

 

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ある朝、4歳のオスのビーグルを連れた70代くらいの年配女性がグラウンドを通ったのだが、そのビーグル君はハナの運動の様子を見てその場で踏ん張って動かず、チョロQの様に駆け寄ろうとする。

 

犬同士の挨拶は出来て、初歩はクリアしました。

 

その時、女性はこうおっしゃっていた。

 

「自分もあなた(おくれ)程、動ければいいんだけど…」

 

「自分が甘やかしているから太っちゃって…」

 

と言いながら時折リードを放し、その犬が突っ走る様子を「追いかけて走れていいわね~」と他人事にも思える内容だった。

 

ハナが彼の自分勝手な所作に対し怒りを示したら、それに反応して犬は回避行動を取った。

 

「気安く追いかけてくんな、このスカタン!」という主張をハナは行っていましたニヤニヤ

 

ハナが本気で走る速さは

自転車の全力漕ぎに相当する。

 

 

惜しい…この子は対外的振る舞いに不馴れさはあるものの理性は充分働いている…つまり学習出来る素地はあるのです。

 

飼い主がトレーニングを行えさえすれば、それ次第で見違えるだろうに…と思えて。

 

本当に惜しい

 

そして、この年配女性の

 

何も分かっていないし、何の自覚もない

 

のが悲しい。

 

連れている犬の能力や心理状態を見て、私は飼い主の持ち合わせているエネルギーと比較して、埋まらないギャップがあると感じると、もうどうでも良くてあけすけになってしまう。特に年配者には。

 

・ハナの3倍くらいの運動量が必要で、(だいぶ若い男の)私でも満足させるには30分以上はかかると思いますよ?

 

・飼い主が完全に付き合う必要はないけど、ある程度ついていけるくらい動けないと…ねぇ?

 

・自分で走れないなら、自転車での並走など出来れば良いんでしょうけど…ねぇ?

 

犬を満足させてやる事が日常的に充分出来てない

 

という事にもっと危機感や責任感を持って頂きたいものです。

 

将来、不幸な犬にならない様にするためにも。

 

 

例えば5年後、ママさんは今以上にエネルギーを保てる?今現在そのご様子で?

 

その努力を心掛けられる?ご自分の健康やコンディションキープを心掛けられる?

 

ちょっと…無理じゃないですか?現実的でないのでは?

 

年齢的にそれが難しい人ややろうとしない人に期待しても通りすがりの立場でもあり仕方ありませんし、結果、根本的な解決には至るかどうかも定かではない。

 

前向きな気持ちでこの犬を手放せるなら、訓練を専門家に依頼した上で早くされた方が、犬の状態を見ればベターに思うが…それ程、飼い主とのエネルギーギャップが大きいのです。

 

10kgオーバーの若いオスのビーグルのエネルギー

 

犬をナメてはいかんグー

 

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話が横道に逸れてしまいましたが、このビーグル君もある種そうだったのですが、自分から何かしでかす様子がなかったり、飼い主の元から大きく離れる事も差し迫って心配ないのは

 

芯は臆病な事と経験不足で様々な外部刺激に不馴れだから

 

と思えている。言うなれば、それらが心理的なストッパーの役割を果たしているということ。

 

”不馴れで不安”という足枷があるだけなのに、それを錯誤してしまい、リードを放してもうちのは心配ないと思っている。

 

それがひとつめの誤認識。

 

ではその足枷が外れたら、次は飼い主との関係性の質が求められる…果たして大丈夫かどうか?それがふたつめの誤認識。

 

 

例えば、ビビリな小柄なトイプードルで、他の犬を見ても分かり易く逃げはしないけど、そそくさとした「私は空気です」的態度だとすれば、リードを放したとしても目に見える心配はないかもしれない。

 

でもこれは自分で「大丈夫」と判断して平然としているのではなく、回避行動に終始しているに過ぎない。

 

もし、こうした犬が

 

その臆病を何かのきっかけで克服したら

 

不馴れ→馴れへと大きく変化したら

 

今度は飼い主はコントロール出来ずに安穏としていられなくなる。でも、その方が犬としては自然な振る舞いです。

 

個人的にはテンションが高くなって嬉しくって駆け寄ってしまう犬の方が、ひとつめの誤認識がないので、常に回避行動を取り気味の犬よりは健常な精神の持ち主に思えてならない。

 

「ウチの子は大人しいから大丈夫」

 

と判断し、リードを手放す飼い主さんに是非問うてみたい。

 

それは、自分の意思を示すのを遠慮して出来ず、回避行動しか取る事が出来ず、心理不安だから飼い主から離れられないだけ…ではないか?

 

・自由にさせてあげたいという、人目線の贖罪意識が含む

 

・”大人しいから大丈夫”に、客観的根拠が薄い

 

・愛犬の身の安全へ危機意識の希薄さ

 

繋いだ手を離す事は、そんなに甘美なものなのだろうか?

 

 

ではこのへんでバイバイ

 

 

 

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