こんにちは。尼崎で心と体のトータルケアをしている『はな整体院』のはなです。
あるクライアントさんは、「かわいそう」と言う言葉をよく口にされます。
「父がかわいそう」
「母がかわいそう」
「かわいそう」という思いは、もちろん愛情から来ているものですが、かわいそうで終わっていては、自分の心も対象となる相手の心も悲しいままで、救われませんよね。
そもそも、かわいそうとは・・・
理不尽、無慈悲、被害者、仕打ちのようなイメージがありますよね。
しかし、どんな関係も必要があって縁が結ばれている、意味が合って試練が訪れていると思うのです。
それは世間の常識や、見えている部分を見ているだけでは説明がつかない。
今世だけの問題ではなく、前世や来世なども絡んでいるかもしれないし、そうなった理由は必ずあるはずです。
例えば、
学びのため
徳を積む
自分の思念・行為の結果
カルマ解消
人間理解、幅を広げる
それらの視点から見ていくと、「かわいそう」という人生は一つたりともありません。
この世の視点から見ると、神も仏もない無慈悲に感じる人生だとしても、あの世の視点から見ると拍手喝采、奇跡のような人生かもしれない。
闇が深ければ深いほど、光の干渉もそれ以上に多いはず。
つまり、「かわいそう」で止まっていては、闇どまり。
救いがないということになってしまう。
だからと言って、不運や試練をプラスに捉えることは簡単なことではないはずです。
そこまでできなくても、かわいそうと感じる相手・自分を癒してあげることはできます。
相手(自分)をイメージして、光を送ってあげる。
「希望」「勇気」「未来は明るい」「乗り越えられると信じている」
言霊を送ってあげる。
神仏に祈ってあげる。
かわいそうと思った相手、かわいそうと思った自分の心もそうやって救っていくのです。
「かわいそう」をかわいそうのままにしないこと
「かわいそう」を救っていくこと
かわいそうと思う(念を送る)ことよりも大事だと思いませんか?
かわいそうな人生なんてひとつもない。
辛い経験から得るものは大きい。
その分、魂は光輝く。
私は「かわいそう」よりも、尊敬、感動、勇気を感じます。
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