今日も佳き日を… 35歳からの肺腺がん(HER2)ステージⅣ ライフ -25ページ目

今日も佳き日を… 35歳からの肺腺がん(HER2)ステージⅣ ライフ

現在43歳 9歳と12歳の男の子のお父さんです。肺腺がんステージⅣの治療や生活をつづります‼

手術を終え
ようやく投稿できるようになりましたっ

今回の胸骨正中切開の手術について
書き残しておきます。

生々しい表現や痛々しい表現が
途中出てくると思いますので
人によっては気分を悪くされる方も
いらっしゃるかもしれないので
読まないか、途中でやめていただいて
かまいません。

事実にそって、手術で
私に起こったこと、感じたことを
お伝えしておきます。

手術は人によって痛み方や感じ方も違い
あくまで私の場合のことになりますので
ご了承ください。


それでは
どうぞ



8:30
手術用の服を着て
弾性ストッキングをはき
手術用の帽子を持って
病室を出た

エレベーターで付添人の両親とは
しばしお別れ

10室ほどずらりと並ぶ手術室ッ

これだけの数の部屋で
人が手術を受けているんだと思うと
考え深いものがあります


部屋の前で改めて
名前や血液型等の確認
手術内容の確認をし
手術の部屋に入り、手術台へ寝そべる

まずは心電図や酸素計などをつけ
手に点滴をうち
背中に硬膜外麻酔をした

この麻酔がキツかった

というか担当した麻酔科の医師が
よろしくなかった

私、患者の方ではなく
医師が緊張しているのが分かるし
点滴をやっても何やらモタモタ

硬膜外麻酔も背骨を何度も何度も触り
なかなか針を刺さない

これは何かやばいかも
そんな不安になりながらも


刺したッ

と思ったら

ものすごい激痛ッ

痛すぎて絶叫したり
声にならず震えて歯を食い縛る私

刺しては抜いて休憩を繰り返し
7回ぐらいだっただろうか

悶絶というか失神しそうで
情けないけど痛すぎて涙も出てたな

温厚な私も
さすがに腹が立っていた

見かねた看護師さんが電話をし
他の医師にヘルプで内線をかけてくれた

駆けつけた先生によって程なく
一発ですんなり麻酔が出来た!

何だったんだ あの痛みッ

麻酔科の医師も人によって
これほどまでに違うのかと
初めて知った

ちなみに後から担当してもらっている
サブの先生に聞いたが
この麻酔の処置によって
外科手術の開始時間も一時間強
遅れたとのことを聞いた

一時間近くも痛みによく耐えたなぁ
我が体 いやはや


その後、すぐに全身麻酔を
酸素マスクから吸引し
2、3回呼吸して私の記憶はなくなった…








聞こえますかぁ?

私は呼び声とともに起きた

手術室から移動し、集中治療室にいた

そこからが
さらなる
地獄の始まりだった



胸や背中をハンマーで
ガンガン叩かれるような痛み
全身が震え
汗でべちょべちょの体は
鉛のように重く、動かない

どこが痛いですか?
と聞かれても

痛すぎて声にならないし
上半身いたるところが痛すぎて
どことか言えない

覚悟してたけど
こんなに痛い世界があるなんて…

悶絶寸前

この前の心タンポナーデ発症の時の呼吸困難や
全身の痛みのある状態以上に
瞬間痛速とでもいいましょうか

人生で間違いなく
一番痛い瞬間を味わっていた

ここでも痛くて涙しながら
痛みに耐えてた

病室に戻り、麻酔の量を医師が確認したら
この手術の後でこの麻酔の量は少ないなぁ
とのことで
量を増やしたら幾分か落ち着く

はよ 気づいて やってよ

たまりません

本当に麻酔に泣かされまくった
手術だった


手術を終えた後は
痛み止めを飲んでも
どうにも痛く
夜もほぼ寝ることができない

ただただ痛みに耐えて
夜をやり過ごす

こんなに長い夜もあるんだな

そして、いつものように
朝になる

これが私の受けた
胸骨正中切開手術でした

麻酔による痛みのコントロールの
部分での話が多くなってしまいましたが
こんなこともあるんですね

別に不安や恐怖を与えたくて
伝えてるわけではなく
事実としてあまりにも痛かったこと

また、麻酔の先生は自動的に
選ばれてしまってるけど
今後は出来るだけ経験豊富な
麻酔科の先生を選んでくださいと
主治医に伝えようと思いました。
皆さんも何かあった時はご参考までに

ちなみに今回の手術の結果として
私は首周りのリンパにもがん細胞がおり
片方の声帯の神経を切らないと
除去できないとの術中判断により
片方の声帯の神経を切った為
私は声がガラガラというか声が
出しにくくなっている

どこまで回復するか
経過次第だが
今後も声が少し出しづらくなるようです

今後、私と話をする時は
ハスキーボイスかもしれませんので
ご了承ください


また、医師からの説明の中で
良かったこととして
肺には浸潤が見られなかったので
肺は部分切除もせず、そのままとのこと


しかし、良くなかったこととして
大動脈にぐるりとびっしり
がん細胞が噛んでいるとのことで
大動脈の周りのがん細胞は一部
切除出来なかったとのこと

無理矢理がん細胞を取って
大動脈が破裂したら
えらいことになってしまいますからね

その大動脈の周りの部分以外は目に見える
がん細胞は摘出できたとのこと

なので全て摘出できたわけではなく
90%ほど摘出したことになる
とのことで
今後も治療が確実に必要とのこと

今回の詳しい結果の話や
これからの治療計画などは追々
主治医と話をしていきますが
まずは、手術については
ざっくりとそんなところです

まずはリハビリをして
体を動かしながら
手術で負った傷を復活させることです


手術翌日の今朝には
もう歩かされました!

復活させる

その一心で

体はバッキバキだけど

胸の痛みはあるけど


クラクラ立った!
 


まぁ
そんなこんなで手術はひとまず
無事に完了しました
遠足前の少年のように
ワクワクした私は
朝4:30に起きたッ

東京の朝日も綺麗なもんですね

バシャッ



不安や怖さというよりも
実に晴れやかな気分

サッカーの試合前や
プレゼン前のイイ緊張感に近い感覚です

僕はプレイヤーではなく
あくまで医師がプレイヤーなんですけどね


こんな心境でいられるのも
それもこれもいろんな人からの
応援によるものだと思ってます。

この場をかりて感謝致します
本当にありがとうございます

特に本人以上に心配をしているだろう
家族においては
ありがとうと伝えておきたい

日頃面と向かって
恥ずかしくて言えないから
こういうカタチでしか言えないけど
ありがとう と


さぁ昨日の脇毛、胸毛に続いて
トレードマークの1つともいえる
髭も剃りましたよ えぇ えぇ

では、手術台という舞台に立ってきます!
いや、寝てきます zzz

いってきまぁす




ということで
そこまで
書いておきます


その後、手術に向かい
麻酔をかけられ記憶はなくなるだろう

術後の痛みやら
手術の結果の話ふまえた
今後の話やらは
続いていく

手術だけが治療じゃないし
今までのこと、これからのこと
全て治療であり
あくまで人生の一部なんですよね

そんなこんなで
復活劇は続くわけで…

欲を言えば、これからも
子どもの成長も見ていきたいし
この経験も通して家族や周りのいろんな人
社会に対して恩返しを
していきたいですからね


また、投稿できる体になったら
投稿します


皆さんにとって
今日も佳き日を…
今日は手術前日
 
さて、何するか
さほど何もすることないなぁ
 

悩んでいたら
急きょ同僚&仕事仲間がお見舞いに
来てくれるとのことで
気分転換もかねて
外にお昼ご飯を食べに出かけた
 
病院の立地上、
海鮮系のものを食べようと思い
数ある店の中からリサーチした結果
選びとったお店に入り
 
メニューの中の
バズーカ丼!を選んだ
 
バズーカでドンとがんをやっつけよう!
という浅はかな願かけを行い
食べたのがコレッ
 

うーむ
ご飯が思い切った量でしたね コレッ
 
ご飯少なめと言っておいたのに
店員が忘れていたようで
通常の量(=特盛)だったご飯は
もちろん、食べきれるわけもなく
申し訳ないながらも
ご飯大盛を残してしまいました…
 
バズーカ de ドン
 
これで明日やっつけられる
と願っておこう

さて、そんなこんなで
バズーカでドンした後は
病院に戻り
明日の開胸手術に向けて
事前に胸の除毛作業が進められたわけで…
 
男性にはあるけど
女性にはない胸の除毛作業
 
というか男性でも人によるか 
 
まぁそんなことはよくて
看護師さんに除毛をしてもらった

その神聖なる除毛の儀式は
さらに見舞いに来てくれた
幼馴染も交えて
男4人のオーディエンスのもと
病室で厳粛に執り行われた
 

ぶぅいーーん
 
「カミソリで剃ると感染したりするので
 バリカンで短くカットしますねぇ」
 
そうだったのか
 
てっきりカミソリで剃るもんだと思っていた
 
「はぁい ウデ上げてくださいねぇ」
 
えっ
と思っていたら
 
「ワキ いきますねぇ」
ぶぅいーーん
 
くすぐったい ぷぷぷぷぷ
 
「ムネだけでなく、ワキの毛も
なくしておく必要があるので…」

あっという間に
左だけなくなった私の脇毛

ぶぅいーーん
っと続き
 
そうこうしながら
バリカンは脇から次に胸に
いくか
 

思いきや

おっぱい! へ
あれえぇぇ
 

「こんなとこ剃んないですねぇ」
とポツリと看護師さん

そらそうだ
私はヒトよりも体毛が多い
 
おっぱいに毛が生えている人も少なかろう

かつて、結婚記念の写真撮影の時も
我が妻とのツーショットで出ていた
私の手の甲の毛も
フォトレタッチという
現代の素晴らしい技術でして
消されたぐらいである

毛というものは、神聖な場では
嫌われるものである

悔しいかな
 
こういう時
私のチャームポイントは
きっちり消されるのだ

そうこうしているうちに
左脇→おっぱい→胸の中央
と毛は除去されていき
私の身体は手術の準備がされていく
 
「まぁこんなもんでしょう」
と看護師さん
 
「あとはシャワーで流してくださいね」
と看護師さん
 
普段しない、おっぱいの毛の処理も
テキパキとこなしてくれて
ありがとう
看護師さん
 

そんなこんなで
私の神聖な除毛の儀式を終え
手術の準備は出来上がっていく…
 
動画や写真はオーディエンスによって
残してくれたので
欲しい人は言ってください
 
って要らないか
 

また、手術の準備物として
T字帯という名のふんどしを準備し
足全体を圧迫させ、下肢静脈の血流をよくして、
手術の際に血栓(血液の中にできる血のかたまり)が
出来るのを防ぐ目的で装着する為の
弾性ストッキングなるものを準備ッ!
 
ふんどしにストッキングに
胸毛のない私
 
手術の準備としては
うむ バッチリきまった
 
万全だッ

父、母、兄も来てくれて
家族で話もした

21時からは絶食をし
後は寝て体を整えるだけだ

さぁ、明日の朝一番で
待ちに待った
オペ
しますッ

明日6/5 朝8:30~
 
国立(がん)競技場にて
私のオペという名の試合の
キックオフのホイッスルが鳴り響く
 
ピピィ~~
 
 
予定では手術から6時間後あたりには
意識が戻るとのことなので
昼過ぎには目が覚めてるのかな

夢の中の長い試合でハットトリックでも
してきますねッ
 
 
復活試合は続く…
今日は朝からTKクリニックにて
ヒートショックプロテインなる
たんぱく質によって、
手術での回復力を高める為に
温熱療法を行い
その足でいざKGC病院へ入院っ!

今日は術前の最終検査として
レントゲンやCT、採血、
痰や尿検査を行ったり
術前や術後のことなどについて
看護士さんからの説明
そして
主治医より手術についての説明があった。

改めて今回の手術の要旨を残しておきます。
 
・前縦隔の位置にある7.4×4.2mmの
 がん細胞を摘出する。
(鎖骨のリンパにあるがん細胞も摘出予定)
=目に見えるがん細胞を摘出する。
 
・病理診断では肺腺がんだが、
 画像診断では胸腺がん
 手術で肺とがん細胞との浸潤具合も含めて
 最終判断していくとのこと
 
・以前に心嚢内播種を起こしているので
 肺がんならばステージⅣ
心嚢内播種を起こしているということは
がん細胞が散らばっている状態と言えるので
通常であれば、化学療法が適応となるが
今回はガイドラインとは異なり
私の要望や話し合いの結果
免疫細胞療法(全身治療)
→手術(局所の目に見える細胞の削除)
→免疫細胞療法(全身治療)にて治療を行う。
※今後、場合によっては
化学療法も視野に入れておく
 
・今回の手術は胸骨正中切開で
 胸を縦に10cmほど開く
 
・手術で胸を開いて肺への浸潤具合によって、
 左肺を一部切除もしくは
 左肺上葉(肺の上半分程度)を
 切除することになる
※1 肺への浸潤具合によっては、
 胸の開き方も変わり
 上葉切除の場合は縦10cm
 +横にL字型に切開することになる。
※2 ただし、今後の生活への支障や
 状況ふまえ左肺全摘出はしない方向とする。
 
・手術が3~3.5時間
 麻酔等からの回復や処置の時間が2~2.5時間
 計5~6時間の手術時間を予定
 
・術後は翌日から出来るならば痛くても
 歩いて回復力を高める
 
・早くて術後4日~5日で退院
 経過をみて退院を決めていきましょうとのこと
 
その他リスクや諸々細かい話は
割愛しておきますが
 
私から一点だけ主治医の先生には
小さなお願いをしました。
 
それは元気に回復したら
主治医の先生やサポートしてくれている先生と
「一緒にスナップ写真を撮らせて欲しい」
 
これまで、もういろいろと話をしてきたので
もはや手術に関しては、お任せして
術後は自分自身の体で回復させ
良い状況になったらば
お祝いや感謝の意味も込めて
写真を一緒に撮りませんか
 
もちろん治療において
今回の手術は通過点に過ぎないけれど
闘ったチームとして
今後の為にも笑顔で残しておきたいな
 
まぁそんなこんなで来週月曜日
朝イチから手術します!
 

ちなみに今回のお見舞い第1号は
遠くアメリカから一時帰国している
同僚がわざわざお見舞いに来てくれた
(貴重な時間ありがとう)
 
お見舞い客としては
最も遠い距離から来た同僚(男)は
恋人のように花束を
持ってきてくれたのだけど
抗がん剤治療中の患者も病院内には
いらっしゃるので
感染症や匂いの関係から
病院側から持ち込みを拒否されたそうな…
(事前にちゃんと伝えきれてなくて
本当にごめんなさい…)
 
ロッカーにしまわれた花を取り出して
撮影をしてくれた…
 
その画像で花を見るという
何とも奥ゆかしいお見舞い品を受けて
私は、それがまた嬉しかった
 
バーチャルなお花は非常に綺麗でした
ありがとう その想い
 
しかと受け取りましたっ
 

しかし
いろんな人からの応援に励まされて
前よりも元気になっているような気がする
 
本当にありがたい限りです
 
 
今の時間は21時過ぎ
 
病院は21時で消灯ッ 早いね
 
暗闇の中、ノートPCでポチポチと
感謝の想いと共に
キーボードを打ちながら
復活劇は続くのであります。

あなた 私とあの人と どっちなの?

二股疑惑をかけられた男のようなタイトル
で始めてみましたが
私は、ファーストオピニオンで縦隔型肺腺がんと
病理診断を受けたものの
セカンドオピニオンでの病理診断では
実はあやふやな状態なのであります。

そこで、組織再検査の結果について
書き残してなかったので

現地点で分かっている範囲で
記しておこうと思います。

・遺伝子レベルでの結果として
遺伝子変異の有無については
・EGFR:陰性
・ALK:陰性
他の遺伝子変異もふまえて
今の代表的な分子標的薬は
残念ながら私には適応しないそうである。

引き続き遺伝子検査の結果ふまえて
今後の治験などで適応するかどうかは
見据えていきたいと思います。

・また、PD-L1抗体の検査結果は
現在最終診断は保留中とのことで
ファーストラインとしての
免疫チェックポイント阻害薬(キイトルーダ)の
適応は見送りの状態だそうな

・あと、組織再検査の結果
私は、組織的には
やはり腺がんであり
ファーストオピニオンと同じく
肺腺がんとの診断らしい

肺が原発なのか
胸腺が原発なのかは
分からないことなど
手術で摘出して
さらに詳しい判断をするとのことで
まだ診断として
決定付けているわけではないらしい

うーむ ややこしやぁ


肺腺がん

先日、発表があった中村獅童氏と同じですね

彼は幸いにも早期発見され

初期の肺腺がんなので
進行状況は違いますが
私は癌性心膜炎を起こしたので
ステージ4

ステージ4はこれ以上にない
ステージではありますが
そのステージの中にも
進行度合いによって
進行がんなのか
末期がんなのかと違ってきます

私は、以前(2017年2月)の
PET検査で他臓器には
転移していないところが
救いかもしれません…

検査結果は以上ですが
前回の投稿の通り
目に見える原発のがん細胞の摘出を
目的とした手術を
治療のファーストラインにて行い
転移・再発リスクを抑える為
免疫細胞療法を行う
私の治療方針に変わりはない

肺腺がんステージ4とした場合
手術をするのは
通常の医療のガイドラインとは
異なるところではあるけれど
主治医と何度も話し合い
私の状況ふまえて
手術を行うことになったのだ

ガイドラインが全て正しいわけではない
何が正解かは誰も分からないが
主治医と私の出した一つの治療の答え

なので

ああしておけば良かった
とかといった
後悔はしない


手術後の私の身体の状況次第で
上記の検査結果をふまえて
化学療法の可能性も出てくるだろう

今後、手術が成功したとしても
転移した時に適応する薬は
限られてくるだろう

それもしょうがないことだけど
治療法がないわけではないので
その時の状況に合わせて
やれることをやっていきたいと思う。


私の憶測の部分もあるが
肺腺がんとすることで
肺がんは症例数が非常に多く
薬の適応範囲も広い。

また、実績やデータがあるので
医療を行う側としては、
計画や効果が読みやすく
特に化学療法においては、
治療がし易いと言える。

かたや
胸腺がんとすると
医療のガイドラインもあるが、
症例が圧倒的に少なく、
実績やデータが乏しい為
希少がんだからこそ
扱いづらいともいえるのだ。

私のがんが
肺腺がんと胸腺がんとで
医師の中で意見が分かれている所以は
そんなところにもあるように思う。

また、肺腺がんと胸腺がんとを
比較した時に、今ある情報として
5年生存率がステージ3やステージ4
どちらにしても
胸腺がんの方が数値は良く
肺腺がんは数値が良くない。

ここも勝手な私の推測もあるが
肺腺がんと胸腺がんとで比較した場合
早い段階から化学療法に入る
ガイドラインの肺腺がんの方が
数値が悪いのではないか…
とも考えたりしてしまいます。
(私の勝手な推測ですので
気分を悪くされた方がいたら
本当にゴメンナサイ)

もちろん、がんのいる場所や大きさ、
治療法など諸々のことが作用しているので
一概にそうとも言えないでしょうけど
たまたま私は、肺腺がんと胸腺がんとで
がんが特定されない期間が
普通より長いこともあり
そんなことを思ったりするわけです。

胸腺がんという非常に少ない
症例の病気において
このようなことがあること
また、考え方があることなど
今後同じような境遇の方への
役立つ情報につながればとも思う次第です。

希少がんだからこそ
少しでも症例や実績を残し
これから治療法が確立されていき
1人でも多くの方が良い方向に
向くように願うばかりだ

がんと一括りに言っても
様々ながんの種類があり
それぞれの治療法や考え方がある。

また、進行度合いや状況によっても
治療は変化していく。

今のがん治療においては
がん患者はそれぞれが
体の状態に合わせて
また、生き方や考え
心の状態にも合わせて
やれることをやっていく
しかないように思います。

がんは進行すればするほど
がんという部分的な話になりがちになりますが

がんという病気は
根本的には体全体を捉えて
生活していく中で
どう付き合っていくことが大事か
人間を試しているのではないか?

ある意味現代の生き方における
メッセンジャーなのかも

と思ったり思わなかったりして…


検査結果の話から少し話が
それてしまいましたが
検査結果ふまえて治療を続けていこう
そうしよう!

ということで
復活劇は続く…

予定通り
6/2(金)入院
6/5(月)8:30頃から手術を予定
とのこと
先ほど病院から連絡があった

告知から4ヶ月
ようやくこの日がやってきたよ

これにて手術の日程が確定だ

この数日間でよっぽどのことがない限りは
手術が実行される ううッ


また、この電話の後に
社会人になってから再びやり始めた
サッカーチームのメンバーから
素敵な贈り物が届いた

本当にありがたいなぁ

復活して一緒にサッカー
できる日も楽しみにしよう
そうしよう


今、やるべきことだけでなく
やりたいことや希望を持てること

これほどの治療薬もないかもしれない…


このような宝に気づかされる日々

絶望と希望は表裏一体のようなもの

なのかもしれない
 

有難い限りです いやホント


引き続き、まずは
手術に向けて準備をし
術後の回復に専念しよう


何故か今は

ゆりやんレトリィバァの

「落ち着いていきやぁ~」

の声がこだまする


「手術して


体が痛かったら…


とりあえず
痛み止め飲みやぁ」

っと

復活劇は続く…

告知を受けてから
いろんな人から
心強い言葉や励ましのメッセージ
有難い行動やお守り、

プレゼントなどをいただき
本当に感謝してもしきれない

昨日届いた会社の皆さんから数々の

あたたかいメッセージの書かれた色紙
入院の時に持っていって

パワーにしようと思います。

(本当にありがとうございます。)


これはもう生き続けて

恩返しするしかないッ
と思っている今日この頃


そんな中で今回書く内容は
タイトルの通り、おばあとの
手紙のやりとりについてふれたいと思う

やりとりしているのは
父方の100歳のおばあで
(おじいは既に亡くなっている)
たまに会うこともあるけど
実は大学生の頃から時折
手紙をやりとりする間柄

かつて私が小さい時は
どちらかというと実家から近い
母方のおじい&おばあとの方が
よく会っていたので
仲が良かったのだが
そのおじい&おばあが亡くなったこと

また、私が大学時代に
沖縄にいたこともあり
沖縄では、今まで育ってきた環境以上に
祖先だけでなく、おじいやおばあ
親、兄弟を大切にする雰囲気が素敵だなぁ
と思ったところもあり
おじい、おばあも大切にしないとなぁ
ということで
その時から手紙で
ちょこちょこやりとりをしていた

いつも、おばあの言葉は
それほど長くはないけど
励まされてきた

そんなこんなで、昨日届いた
ハートフルな おばあの
手紙の内容を残しておこうと思う。
(達筆というか、いつもそうだけど
読めない部分が多く、文字のカタチや
ニュアンスで解読している

ところもあるのでご了承を)

原文をそのままに残しておきます。
ちなみに( )の中は
私の心のコメントです。

どうぞッ



わざわざ御手紙を下さりありがとう。
気持ちだけで何にもしてあげられないので
ごめんなさい。
(いやいや、気持ちだけでなく
今回の治療においても
援助やお札やらもらったり
いろいろしてもらってるので、
ありがたい限りのなんの)

几帳面な貴方らしい字と文で感心しました。
それに心持ちもしっかり

していて安心しました。
人間の心は不思議なもので
病気でも何でも働きかけ方、次第です。

東京で最良の手術をされる間
頑張ってしっかりと強い心で

いってらっしゃい、みんなで待っています。
(本当にありがとう)

私なんか100才を超えたら
もう生きているのが面倒で
何時でも命をあげますからね。
(本当にありがたい。でも命をもらったら
おばあがなくなっちゃうよ!
というか生きるのが面倒なの おばあ)

目も悪くなり、指もしびれていて
体もあっちこっちに行けず
本当に命をあげますです。
(前に会った時も
「私の命を貴方にあげたいぐらい」
と言ってくれて、ホロリしましたが
本当に命を渡すぐらいに
心配してくれているんだと思うと
生き続けることが恩返しなんだと思う

うむ
でも、あげますですって言葉
どうした おばあ)

けい子様によろしく
(むむ 誰だ けい子様とは…
私の嫁の名前と私の名前が
ごっちゃになっているぞ おばあ)

乱筆でごめんネ

グッドバイ


(あちゃあ 最後に
グッドバイしたら駄目やろ おばあ
ここはシーユーアゲインとか
次につなげて欲しかったなぁ)
 

 

手紙は以上

 


とまぁ
非常にユーモア溢れるというか
天然でボケてくれるのだけど
いつも有難い言葉や心配をかけてくれていて
日頃会ってもそんなに

いっぱい話はしないけど
このように手紙で送ってくれる言葉に
励まされたりするのである。

前よりは旅行やゲートボールにも

行かなくなった おばあ
それでもいまだに普通に会話して、

歩いて、食べて…

エネルギッシュで素敵な人です。

その長生きDNAが
私にも受け継がれているはず

おばあから命をもらわずに
何とか自力で復活しながら
手紙書くよ

100歳と高齢なので、おばあも
このようにいつまで

手紙を書き続けられるか
誰も分からないけれど
私はおばあとの手紙を書き続けようと思う


そんなこんなで
私の復活劇は
続けるべきなのですます。

男には
喧嘩をしたい男と
喧嘩をしたくない男がいる

私はどちらかというと
喧嘩をしたくない男の方であり
喧嘩をしないように
局面でうまくすり抜けていたように思う

とかいう私は一度喧嘩をした

というより小学校低学年の頃
最初で最後の喧嘩で失敗した

その話からはじめましょう


私はその当時、若年性の遠視によって目が悪く
ケント デリカット氏のように
目が大きくなるメガネをかけていた。
(当時はゲームをし過ぎていたこともあってか
先天的なものもあってか目を悪くしていたが
サッカーを始めた頃から治ったので
今は目は良くなりメガネをかけていない)

当時それが少しコンプレックスでもあり
私はメガネについて
何かいじられるのが嫌であった。

そんなある日
コニシ君から(あえて固有名詞を使わせてもらいます。)
「メガネ猿ぅ」と
私にとって痛い言葉をくらった

その言葉が発せられる前後関係はよく覚えていないが
その言葉でメガネの私は、腹が立った

カッチィーン


日頃穏やかな少年も
この時ばかりは
頭にきて

なんだと このやろう
決闘だ 決闘ッ
おらおらおらおら

と鼻息フンフン イキりたった私は
喧嘩モードにスイッチON

相手もかまえて いざ喧嘩が始まるぞ
という教室

「あら、男同士の闘いかしらん」と
ギャラリーである女子も集まってきた

これは、男同士の闘い
女子諸君は入るべからず


さぁ喧嘩だ 喧嘩

私は先制攻撃を繰り広げるべく
蹴りを一発 コニシ君にオミマイだ!と思い切った

しかし、その蹴りは思い切った力とともに
大きな空振りをして、コニシ君の体ではなく
空を切っていた。

あれれれぇええ


そのまま、私は体制を崩し
後ろに大きく倒れた

ゴン

あろうことか、私は喧嘩を仕掛けて数秒後には
OHP シートを映写する機械が入った
大きな金属製のボックスに角に頭をあてて
うずくまっていた

頭が痛い

手をあてたら
ちょろっと血を流しているではないかッ!

血を見た瞬間に私は

「わあぁああああ」と泣き始め

喧嘩終了ッ


なんと情けない喧嘩

これほどまでに短い喧嘩もないだろう

かつ、相手は何もせずに終わる喧嘩も珍しいだろう

コニシ君がその時どんな顔をしていたかは
私は知らない


先生の軽自動車に乗って
病院に連れていかれる私

病院から帰ってきた私の頭には
メロンなどの果物に被さっている
メッシュのようなバンドが付いている

メロンメッシュバンドを付けた
メガネ猿の再入場である

帰ってきた私に
成り行きを知らない友達からは
大丈夫?どうしたの?と
心配をかけられ

成り行きを知っている
声をかけてくれたクラスの友達の顔は
やや半笑いだったと思う
(これは記憶にない)


その後、喧嘩相手のコニシ君とは
仲直りもせず
口もきかなかった

そうこうしているうちに
コニシ君は転校していき
学校からいなくなった

喧嘩別れというのか
何といったらいいのか分からないが
小学校高学年と時間が経ってから
少しだけ大人になった少年の私は
思い切って年賀状を出して
彼に謝ったことを覚えている

その後、中学校の間ぐらいまで
年賀状だけでの
やりとりをしていたコニシ君

お互いに成長して、いつのまにか
年賀状もやりとりせず
疎遠になってしまったけど
どうしているかな?
私の最初で最後の喧嘩相手
コニシ君


最初で最後の喧嘩によって
私は喧嘩をするべき人間ではないと

小学校低学年で考え改め
喧嘩をしない人間に育っていった

出来るなら喧嘩になりそうな局面を瞬時に察知し、
その局面で違うアイデアを提案し切り抜ける
危ない局面から逃げる

私は小さな時から喧嘩をしないように

あの時のような目にあわないようにと…


しかし
男の人生において
真っ向勝負が必要な時もあるだろう

人間相手の殴り合いの喧嘩の闘いだけでなく
仕事におけるロジカルな大人の闘いもあれば
このように病気との闘いもそうだろう

もちろん、必要な時は覚悟して私は闘う


がんにおいても
私の体の中での闘いともいえる

考え方としては
がんと闘わないで共存していく
という考え方もあるだろう

しかし、実際は
がん細胞が成長しないように
細胞レベルでの攻防は
がんを患っている人だけでなく
あらゆる人の中でも、
日々、起こっていること

なので、
私たちの体の中では
細胞同士が闘い続けている

バランスが崩れて
大きくなったり、浸潤したり
転移したり、再発したりする
がん細胞

さぁ私の免疫細胞たちよ

是非ともズッコケて
がんぼっちに半笑いされないように
頑張ろう

とにもかくにも
手術が
もうすぐそこだよ


私の闘いは続く

今日は手術が出来るかどうか判断する為
レントゲン、採血、心電図、呼吸器の検査を
KGC病院で受けてきた
 
結果 全てにおいて問題なし
とのこと
むしろ血液の状態はこれまでの数値の中で一番よく
どこにも異常がなかった
 
「この状態なら手術は受けられる」
とのことで
 
まだ今日の地点では確定ではないが
6/5(月)手術日
6/2(金)入院
の可能性が高い
とのこと
 
それもこれも
免疫細胞療法や温熱療法
食事療法、栄養補助などなど
周りのサポートによるものだと思う
ありがたや ありがたや

ただ、ちょっとだけ気がかりなのは
胸が少しだけ痛いこと
これが免疫細胞療法による好転反応の痛みなのか
はたまた心嚢水が溜まり始めている痛みなのか
分からない状態
以前に手術をまだかまだかと待っていた時に
心タンポナーデを発症した身としては
不安にもなってしまうんですな
 
大丈夫だよ えへへへと
自分の体の状況を楽観視しすぎて
我慢していて
この前、危うくなってしまったから
余計に不安にもなってしまうんですな
 
だから、この前のことを反省して
先週の金曜日に近くの病院でエコーで
水が溜まっていないか
確認しに行ったところ
「ちょっと溜まってるねぇ」とのことで
水が抜けるほどの量でもないから
経過観察だね
との判断だった… 微妙な状態だな ふむふむ
 
今日のレントゲンの結果でも
「水もほぼ溜まっていないので
気にする必要はないよ」
 
「もし、痛みが増すようなら
早めに来てくださいね」
とのこと
 
「ここは気にしないで よし子さん」
とは返答してないが
引き続き手術に向けて
むやみに不安視せず、でも我慢は禁物
 
しっかりと体の状況を客観的にもみつつ
準備をしていきたいと思うのであります。
 

手術は後に傷が残るし
術後は痛みもあったり、免疫力が落ちたり
はたまた、がん細胞が取り切れるかも
分からない部分もある
 
なので、手術を受けるのが嫌な人もいるだろう
 
しかし、私は標準治療の1stラインとして
手術することを誰よりも願っているかもしれない
 
それが私のがんの進行度合いやレベル
位置や大きさなどを考えて
出した答えだから

2月にステージ3と告知されてから
もうすぐで4ヶ月が経過するので
標準治療を始めるタイミングとしては
非常に遅いかもしれない
 
いろんな意見を聞き、悩み
途中緊急事態も発生したり
回り道もしたけど
それでも望む治療がようやく受けられる かも
 
癌性心膜炎を起こしたので
もはやステージ4ではあるけれど
希望はもちろんある
 
元気に生き続けることで
がん治療の進化やヒトの生命力を
証明していけたらとも思う。

手術による傷跡は
北斗の拳のケンシロウではないが
それも男の勲章
だと思えばいい
 
痛みは治ることへの一歩前進する証
だと思えばいい
 
がん細胞がもし取り切れなかったら
他の治療法はまだある
と思えばいい
 
手術に向けて、淡々と準備をし
まずは受けられることを祈るばかりだ

そして、手術が成功するかどうかは私の体の状態と
手術をする先生の腕にかかっている

同じような境遇の人はいっぱいいるだろう
それだけの数だけドラマがあり
オペがあるのだろう
 
どんな仕事もすごいと思うが
医療の仕事は、その中でも
人の命がかかっている分
負う責任も重い
 
医者の皆さん
ご苦労様です
 
そして、がんと闘っている皆さんも
ご苦労様です

出来れば治すことばかりに執着せず
元気に楽しく
今日という佳き日を
しっかりと過ごしていけたらと思いながら
復活劇の日々は続く…

昨日の夕方、私はK大学病院の研究棟の中にいた

何故、がん患者の私が病棟ではなく
研究棟にいたかという
そんな話を今日はしよう そうしよう

これは以前に「がんぼっち」と題した投稿の後半でも
ほんの少しだけ触れていたけど
免疫細胞の研究者のK先生に連絡をし
何か研究者と一緒になって表現することが出来ないか
ということで私から勝手にアポイントをとったのだ

そのK先生は患者会の情報から、知り得た方で
特に面識があった訳でもなく
その研究所のホームページで

掲載されている内容をみて
直感的にこの人となら何かが出来るかも
という私の思い込みもあり、連絡を入れた

あくまで、医療の相談ではなく
何か生み出せないかという
クリエイティブな話をしたいということで
想いを込めて
メールアドレスが分からなかったので
手紙を書いて送った…

その想いも叶ってか
「まずは話をしましょう」と
ご丁寧にも記載しておいたメールに連絡が届いた


足を踏み入れたことのないウィルスや
再生医学を扱う研究棟に入った

ちょっとクリーンな印象の建物の奥に入り
ドキドキ

K先生とは廊下でバッタリと会い
部屋に入って、話をした

そのK先生の最近の研究内容の一つは
「iPS細胞技術を用いて再生したT細胞でがんを治す」
という私にとって、

初めはチンプンカンプンな内容だったが
詳しく聞くと実に興味深く

また希望を持てる内容だった。

私自身も今の地点で行える免疫細胞療法を
している(していく)身でもあるので
余計に興味深い。

今は臨床試験に入る手前のようで
すぐに実用されることではないらしい
なので、治療にすぐ直結話ではない

その他にも免疫に関わる話をしたり
私からは、研究内容を表現することについて
恐れ多くも話をさせてもらった

そのK先生は、少し変な先生と言うと怒られるが
自分でイラストを書いたり、詩を書いたり
話をしていて分かったのだが
研究者や知り合い達と趣味で音楽活動を行い
自分達でCDを出している等
免疫学の研究と言う枠だけに捉われない

柔軟性というか非常に多才な人である。

そこに魅力に感じ
私が一緒に何かしたいと思った所以でもある


すぐに何かが生まれるわけではない

でも、

「研究者として研究だけでなく

表現することにおいて
今まで考えていない部分もあったから
機会をみて、やりとりしながら
話をしていきましょう」

とのことで
時折連絡をとったり

話をしたりしていこう
と約束して

二人で記念撮影までして
3冊の免疫学の本をいただき
更には自分たちでオリジナル曲を
作成したというCDまで
私は手にして
その部屋を後にした…

1時間近くの話し合いだったが
面白いもんである
そして、有難いもんである


私は私でもちろん治療をして

元気になることが先決である

しかし、このように
先に何かが出来るかもしれないという希望は
私の意欲につながり
また、私の為だけでなく、

同じような境遇の人にとって
役に立つことになるかもしれない


私はがんを経験して感じたこと

考えたこともふまえて
新しいアイデアや表現を

出来ないかいう想いも持ちながら
復活劇は続けていきたい

そう思いながら
日が落ちていく中
車で家に帰った