さほど何もすることないなぁ
悩んでいたら
急きょ同僚&仕事仲間がお見舞いに
来てくれるとのことで
気分転換もかねて
外にお昼ご飯を食べに出かけた
海鮮系のものを食べようと思い
数ある店の中からリサーチした結果
選びとったお店に入り
バズーカ丼!を選んだ
うーむ
ご飯が思い切った量でしたね コレッ
店員が忘れていたようで
通常の量(=特盛)だったご飯は
もちろん、食べきれるわけもなく
申し訳ないながらも
ご飯大盛を残してしまいました…
と願っておこう
さて、そんなこんなで
バズーカでドンした後は
明日の開胸手術に向けて
事前に胸の除毛作業が進められたわけで…
その神聖なる除毛の儀式は
さらに見舞いに来てくれた
幼馴染も交えて
男4人のオーディエンスのもと
病室で厳粛に執り行われた
ぶぅいーーん
バリカンで短くカットしますねぇ」
なくしておく必要があるので…」
あっという間に
左だけなくなった私の脇毛
ぶぅいーーん
っと続き
バリカンは脇から次に胸に
思いきや
おっぱい! へ
「こんなとこ剃んないですねぇ」
とポツリと看護師さん
そらそうだ
かつて、結婚記念の写真撮影の時も
我が妻とのツーショットで出ていた
私の手の甲の毛も
フォトレタッチという
現代の素晴らしい技術でして
消されたぐらいである
毛というものは、神聖な場では
嫌われるものである
悔しいかな
私のチャームポイントは
きっちり消されるのだ
そうこうしているうちに
左脇→おっぱい→胸の中央
と毛は除去されていき
私の身体は手術の準備がされていく
と看護師さん
と看護師さん
テキパキとこなしてくれて
ありがとう
看護師さん
そんなこんなで
私の神聖な除毛の儀式を終え
手術の準備は出来上がっていく…
残してくれたので
欲しい人は言ってください
また、手術の準備物として
T字帯という名のふんどしを準備し
足全体を圧迫させ、下肢静脈の血流をよくして、
手術の際に血栓(血液の中にできる血のかたまり)が
出来るのを防ぐ目的で装着する為の
弾性ストッキングなるものを準備ッ!
胸毛のない私
うむ バッチリきまった
後は寝て体を整えるだけだ
さぁ、明日の朝一番で
待ちに待った
オペ
しますッ
明日6/5 朝8:30~
キックオフのホイッスルが鳴り響く
ヒートショックプロテインなる
たんぱく質によって、
手術での回復力を高める為に
温熱療法を行い
今日は術前の最終検査として
レントゲンやCT、採血、
痰や尿検査を行ったり
術前や術後のことなどについて
看護士さんからの説明
そして
主治医より手術についての説明があった。
改めて今回の手術の要旨を残しておきます。
がん細胞を摘出する。
(鎖骨のリンパにあるがん細胞も摘出予定)
=目に見えるがん細胞を摘出する。
画像診断では胸腺がん
手術で肺とがん細胞との浸潤具合も含めて
最終判断していくとのこと
肺がんならばステージⅣ
がん細胞が散らばっている状態と言えるので
通常であれば、化学療法が適応となるが
今回はガイドラインとは異なり
私の要望や話し合いの結果
免疫細胞療法(全身治療)
→手術(局所の目に見える細胞の削除)
→免疫細胞療法(全身治療)にて治療を行う。
※今後、場合によっては
化学療法も視野に入れておく
胸を縦に10cmほど開く
左肺を一部切除もしくは
左肺上葉(肺の上半分程度)を
※1 肺への浸潤具合によっては、
上葉切除の場合は縦10cm
+横にL字型に切開することになる。
※2 ただし、今後の生活への支障や
麻酔等からの回復や処置の時間が2~2.5時間
計5~6時間の手術時間を予定
歩いて回復力を高める
割愛しておきますが
朝イチから手術します!
ちなみに今回のお見舞い第1号は
遠くアメリカから一時帰国している
同僚がわざわざお見舞いに来てくれた
恋人のように花束を
持ってきてくれたのだけど
抗がん剤治療中の患者も病院内には
いらっしゃるので
病院側から持ち込みを拒否されたそうな…
本当にごめんなさい…)
撮影をしてくれた…
何とも奥ゆかしいお見舞い品を受けて
私は、それがまた嬉しかった
しかし
いろんな人からの応援に励まされて
前よりも元気になっているような気がする
感謝の想いと共に
キーボードを打ちながら
復活劇は続くのであります。
あなた 私とあの人と どっちなの?
二股疑惑をかけられた男のようなタイトル
で始めてみましたが
私は、ファーストオピニオンで縦隔型肺腺がんと
病理診断を受けたものの
セカンドオピニオンでの病理診断では
実はあやふやな状態なのであります。
そこで、組織再検査の結果について
書き残してなかったので
現地点で分かっている範囲で
記しておこうと思います。
・遺伝子レベルでの結果として
遺伝子変異の有無については
・EGFR:陰性
・ALK:陰性
他の遺伝子変異もふまえて
今の代表的な分子標的薬は
残念ながら私には適応しないそうである。
引き続き遺伝子検査の結果ふまえて
今後の治験などで適応するかどうかは
見据えていきたいと思います。
・また、PD-L1抗体の検査結果は
現在最終診断は保留中とのことで
ファーストラインとしての
免疫チェックポイント阻害薬(キイトルーダ)の
適応は見送りの状態だそうな
・あと、組織再検査の結果
私は、組織的には
やはり腺がんであり
ファーストオピニオンと同じく
肺腺がんとの診断らしい
肺が原発なのか
胸腺が原発なのかは
分からないことなど
手術で摘出して
さらに詳しい判断をするとのことで
まだ診断として
決定付けているわけではないらしい
うーむ ややこしやぁ
肺腺がん
先日、発表があった中村獅童氏と同じですね
彼は幸いにも早期発見され
初期の肺腺がんなので
進行状況は違いますが
私は癌性心膜炎を起こしたので
ステージ4
ステージ4はこれ以上にない
ステージではありますが
そのステージの中にも
進行度合いによって
進行がんなのか
末期がんなのかと違ってきます
私は、以前(2017年2月)の
PET検査で他臓器には
転移していないところが
救いかもしれません…
検査結果は以上ですが
前回の投稿の通り
目に見える原発のがん細胞の摘出を
目的とした手術を
治療のファーストラインにて行い
転移・再発リスクを抑える為
免疫細胞療法を行う
私の治療方針に変わりはない
肺腺がんステージ4とした場合
手術をするのは
通常の医療のガイドラインとは
異なるところではあるけれど
主治医と何度も話し合い
私の状況ふまえて
手術を行うことになったのだ
ガイドラインが全て正しいわけではない
何が正解かは誰も分からないが
主治医と私の出した一つの治療の答え
なので
ああしておけば良かった
とかといった
後悔はしない
手術後の私の身体の状況次第で
上記の検査結果をふまえて
化学療法の可能性も出てくるだろう
今後、手術が成功したとしても
転移した時に適応する薬は
限られてくるだろう
それもしょうがないことだけど
治療法がないわけではないので
その時の状況に合わせて
やれることをやっていきたいと思う。
私の憶測の部分もあるが
肺腺がんとすることで
肺がんは症例数が非常に多く
薬の適応範囲も広い。
また、実績やデータがあるので
医療を行う側としては、
計画や効果が読みやすく
特に化学療法においては、
治療がし易いと言える。
かたや
胸腺がんとすると
医療のガイドラインもあるが、
症例が圧倒的に少なく、
実績やデータが乏しい為
希少がんだからこそ
扱いづらいともいえるのだ。
私のがんが
肺腺がんと胸腺がんとで
医師の中で意見が分かれている所以は
そんなところにもあるように思う。
また、肺腺がんと胸腺がんとを
比較した時に、今ある情報として
5年生存率がステージ3やステージ4
どちらにしても
胸腺がんの方が数値は良く
肺腺がんは数値が良くない。
ここも勝手な私の推測もあるが
肺腺がんと胸腺がんとで比較した場合
早い段階から化学療法に入る
ガイドラインの肺腺がんの方が
数値が悪いのではないか…
とも考えたりしてしまいます。
(私の勝手な推測ですので
気分を悪くされた方がいたら
本当にゴメンナサイ)
もちろん、がんのいる場所や大きさ、
治療法など諸々のことが作用しているので
一概にそうとも言えないでしょうけど
たまたま私は、肺腺がんと胸腺がんとで
がんが特定されない期間が
普通より長いこともあり
そんなことを思ったりするわけです。
胸腺がんという非常に少ない
症例の病気において
このようなことがあること
また、考え方があることなど
今後同じような境遇の方への
役立つ情報につながればとも思う次第です。
希少がんだからこそ
少しでも症例や実績を残し
これから治療法が確立されていき
1人でも多くの方が良い方向に
向くように願うばかりだ
がんと一括りに言っても
様々ながんの種類があり
それぞれの治療法や考え方がある。
また、進行度合いや状況によっても
治療は変化していく。
今のがん治療においては
がん患者はそれぞれが
体の状態に合わせて
また、生き方や考え
心の状態にも合わせて
やれることをやっていく
しかないように思います。
がんは進行すればするほど
がんという部分的な話になりがちになりますが
がんという病気は
根本的には体全体を捉えて
生活していく中で
どう付き合っていくことが大事か
人間を試しているのではないか?
ある意味現代の生き方における
メッセンジャーなのかも
と思ったり思わなかったりして…
検査結果の話から少し話が
それてしまいましたが
検査結果ふまえて治療を続けていこう
そうしよう!
ということで
復活劇は続く…
予定通り
6/2(金)入院
6/5(月)8:30頃から手術を予定
とのこと
先ほど病院から連絡があった
告知から4ヶ月
ようやくこの日がやってきたよ
これにて手術の日程が確定だ
この数日間でよっぽどのことがない限りは
手術が実行される ううッ
また、この電話の後に
社会人になってから再びやり始めた
サッカーチームのメンバーから
素敵な贈り物が届いた
本当にありがたいなぁ
復活して一緒にサッカー
できる日も楽しみにしよう
そうしよう
今、やるべきことだけでなく
やりたいことや希望を持てること
これほどの治療薬もないかもしれない…
このような宝に気づかされる日々
絶望と希望は表裏一体のようなもの
なのかもしれない
有難い限りです いやホント
引き続き、まずは
手術に向けて準備をし
術後の回復に専念しよう
何故か今は
ゆりやんレトリィバァの
「落ち着いていきやぁ~」
の声がこだまする
「手術して
体が痛かったら…
とりあえず
痛み止め飲みやぁ」
っと
復活劇は続く…
告知を受けてから
いろんな人から
心強い言葉や励ましのメッセージ
有難い行動やお守り、
プレゼントなどをいただき
本当に感謝してもしきれない
昨日届いた会社の皆さんから数々の
あたたかいメッセージの書かれた色紙
入院の時に持っていって
パワーにしようと思います。
(本当にありがとうございます。)
これはもう生き続けて
恩返しするしかないッ
と思っている今日この頃
そんな中で今回書く内容は
タイトルの通り、おばあとの
手紙のやりとりについてふれたいと思う
やりとりしているのは
父方の100歳のおばあで
(おじいは既に亡くなっている)
たまに会うこともあるけど
実は大学生の頃から時折
手紙をやりとりする間柄
かつて私が小さい時は
どちらかというと実家から近い
母方のおじい&おばあとの方が
よく会っていたので
仲が良かったのだが
そのおじい&おばあが亡くなったこと
また、私が大学時代に
沖縄にいたこともあり
沖縄では、今まで育ってきた環境以上に
祖先だけでなく、おじいやおばあ
親、兄弟を大切にする雰囲気が素敵だなぁ
と思ったところもあり
おじい、おばあも大切にしないとなぁ
ということで
その時から手紙で
ちょこちょこやりとりをしていた
いつも、おばあの言葉は
それほど長くはないけど
励まされてきた
そんなこんなで、昨日届いた
ハートフルな おばあの
手紙の内容を残しておこうと思う。
(達筆というか、いつもそうだけど
読めない部分が多く、文字のカタチや
ニュアンスで解読している
ところもあるのでご了承を)
原文をそのままに残しておきます。
ちなみに( )の中は
私の心のコメントです。
どうぞッ
わざわざ御手紙を下さりありがとう。
気持ちだけで何にもしてあげられないので
ごめんなさい。
(いやいや、気持ちだけでなく
今回の治療においても
援助やお札やらもらったり
いろいろしてもらってるので、
ありがたい限りのなんの)
几帳面な貴方らしい字と文で感心しました。
それに心持ちもしっかり
していて安心しました。
人間の心は不思議なもので
病気でも何でも働きかけ方、次第です。
東京で最良の手術をされる間
頑張ってしっかりと強い心で
いってらっしゃい、みんなで待っています。
(本当にありがとう)
私なんか100才を超えたら
もう生きているのが面倒で
何時でも命をあげますからね。
(本当にありがたい。でも命をもらったら
おばあがなくなっちゃうよ!
というか生きるのが面倒なの おばあ)
目も悪くなり、指もしびれていて
体もあっちこっちに行けず
本当に命をあげますです。
(前に会った時も
「私の命を貴方にあげたいぐらい」
と言ってくれて、ホロリしましたが
本当に命を渡すぐらいに
心配してくれているんだと思うと
生き続けることが恩返しなんだと思う
うむ
でも、あげますですって言葉
どうした おばあ)
けい子様によろしく
(むむ 誰だ けい子様とは…
私の嫁の名前と私の名前が
ごっちゃになっているぞ おばあ)
乱筆でごめんネ
グッドバイ
(あちゃあ 最後に
グッドバイしたら駄目やろ おばあ
ここはシーユーアゲインとか
次につなげて欲しかったなぁ)
手紙は以上
とまぁ
非常にユーモア溢れるというか
天然でボケてくれるのだけど
いつも有難い言葉や心配をかけてくれていて
日頃会ってもそんなに
いっぱい話はしないけど
このように手紙で送ってくれる言葉に
励まされたりするのである。
前よりは旅行やゲートボールにも
行かなくなった おばあ
それでもいまだに普通に会話して、
歩いて、食べて…
エネルギッシュで素敵な人です。
その長生きDNAが
私にも受け継がれているはず
おばあから命をもらわずに
何とか自力で復活しながら
手紙書くよ
100歳と高齢なので、おばあも
このようにいつまで
手紙を書き続けられるか
誰も分からないけれど
私はおばあとの手紙を書き続けようと思う
そんなこんなで
私の復活劇は
続けるべきなのですます。
男には
喧嘩をしたい男と
喧嘩をしたくない男がいる
私はどちらかというと
喧嘩をしたくない男の方であり
喧嘩をしないように
局面でうまくすり抜けていたように思う
とかいう私は一度喧嘩をした
というより小学校低学年の頃
最初で最後の喧嘩で失敗した
その話からはじめましょう
私はその当時、若年性の遠視によって目が悪く
ケント デリカット氏のように
目が大きくなるメガネをかけていた。
(当時はゲームをし過ぎていたこともあってか
先天的なものもあってか目を悪くしていたが
サッカーを始めた頃から治ったので
今は目は良くなりメガネをかけていない)
当時それが少しコンプレックスでもあり
私はメガネについて
何かいじられるのが嫌であった。
そんなある日
コニシ君から(あえて固有名詞を使わせてもらいます。)
「メガネ猿ぅ」と
私にとって痛い言葉をくらった
その言葉が発せられる前後関係はよく覚えていないが
その言葉でメガネの私は、腹が立った
カッチィーン
日頃穏やかな少年も
この時ばかりは
頭にきて
なんだと このやろう
決闘だ 決闘ッ
おらおらおらおら
と鼻息フンフン イキりたった私は
喧嘩モードにスイッチON
相手もかまえて いざ喧嘩が始まるぞ
という教室
「あら、男同士の闘いかしらん」と
ギャラリーである女子も集まってきた
これは、男同士の闘い
女子諸君は入るべからず
と
さぁ喧嘩だ 喧嘩
私は先制攻撃を繰り広げるべく
蹴りを一発 コニシ君にオミマイだ!と思い切った
しかし、その蹴りは思い切った力とともに
大きな空振りをして、コニシ君の体ではなく
空を切っていた。
あれれれぇええ
と
そのまま、私は体制を崩し
後ろに大きく倒れた
ゴン
あろうことか、私は喧嘩を仕掛けて数秒後には
OHP シートを映写する機械が入った
大きな金属製のボックスに角に頭をあてて
うずくまっていた
頭が痛い
手をあてたら
ちょろっと血を流しているではないかッ!
血を見た瞬間に私は
「わあぁああああ」と泣き始め
喧嘩終了ッ
なんと情けない喧嘩
これほどまでに短い喧嘩もないだろう
かつ、相手は何もせずに終わる喧嘩も珍しいだろう
コニシ君がその時どんな顔をしていたかは
私は知らない
先生の軽自動車に乗って
病院に連れていかれる私
病院から帰ってきた私の頭には
メロンなどの果物に被さっている
メッシュのようなバンドが付いている
メロンメッシュバンドを付けた
メガネ猿の再入場である
帰ってきた私に
成り行きを知らない友達からは
大丈夫?どうしたの?と
心配をかけられ
成り行きを知っている
声をかけてくれたクラスの友達の顔は
やや半笑いだったと思う
(これは記憶にない)
その後、喧嘩相手のコニシ君とは
仲直りもせず
口もきかなかった
そうこうしているうちに
コニシ君は転校していき
学校からいなくなった
喧嘩別れというのか
何といったらいいのか分からないが
小学校高学年と時間が経ってから
少しだけ大人になった少年の私は
思い切って年賀状を出して
彼に謝ったことを覚えている
その後、中学校の間ぐらいまで
年賀状だけでの
やりとりをしていたコニシ君
お互いに成長して、いつのまにか
年賀状もやりとりせず
疎遠になってしまったけど
どうしているかな?
私の最初で最後の喧嘩相手
コニシ君
最初で最後の喧嘩によって
私は喧嘩をするべき人間ではないと
小学校低学年で考え改め
喧嘩をしない人間に育っていった
出来るなら喧嘩になりそうな局面を瞬時に察知し、
その局面で違うアイデアを提案し切り抜ける
危ない局面から逃げる
私は小さな時から喧嘩をしないように
あの時のような目にあわないようにと…
しかし
男の人生において
真っ向勝負が必要な時もあるだろう
人間相手の殴り合いの喧嘩の闘いだけでなく
仕事におけるロジカルな大人の闘いもあれば
このように病気との闘いもそうだろう
もちろん、必要な時は覚悟して私は闘う
がんにおいても
私の体の中での闘いともいえる
考え方としては
がんと闘わないで共存していく
という考え方もあるだろう
しかし、実際は
がん細胞が成長しないように
細胞レベルでの攻防は
がんを患っている人だけでなく
あらゆる人の中でも、
日々、起こっていること
なので、
私たちの体の中では
細胞同士が闘い続けている
バランスが崩れて
大きくなったり、浸潤したり
転移したり、再発したりする
がん細胞
さぁ私の免疫細胞たちよ
是非ともズッコケて
がんぼっちに半笑いされないように
頑張ろう
とにもかくにも
手術が
もうすぐそこだよ
私の闘いは続く
レントゲン、採血、心電図、呼吸器の検査を
とのこと
どこにも異常がなかった
とのことで
6/5(月)手術日
6/2(金)入院
の可能性が高い
とのこと
免疫細胞療法や温熱療法
食事療法、栄養補助などなど
周りのサポートによるものだと思う
ただ、ちょっとだけ気がかりなのは
胸が少しだけ痛いこと
はたまた心嚢水が溜まり始めている痛みなのか
分からない状態
心タンポナーデを発症した身としては
不安にもなってしまうんですな
自分の体の状況を楽観視しすぎて
我慢していて
この前、危うくなってしまったから
余計に不安にもなってしまうんですな
先週の金曜日に近くの病院でエコーで
水が溜まっていないか
確認しに行ったところ
「ちょっと溜まってるねぇ」とのことで
水が抜けるほどの量でもないから
「水もほぼ溜まっていないので
気にする必要はないよ」
早めに来てくださいね」
とのこと
とは返答してないが
むやみに不安視せず、でも我慢は禁物
準備をしていきたいと思うのであります。
手術は後に傷が残るし
術後は痛みもあったり、免疫力が落ちたり
はたまた、がん細胞が取り切れるかも
分からない部分もある
手術することを誰よりも願っているかもしれない
位置や大きさなどを考えて
出した答えだから
2月にステージ3と告知されてから
もうすぐで4ヶ月が経過するので
標準治療を始めるタイミングとしては
非常に遅いかもしれない
途中緊急事態も発生したり
回り道もしたけど
それでも望む治療がようやく受けられる かも
もはやステージ4ではあるけれど
希望はもちろんある
がん治療の進化やヒトの生命力を
証明していけたらとも思う。
手術による傷跡は
北斗の拳のケンシロウではないが
それも男の勲章
だと思えばいい
だと思えばいい
他の治療法はまだある
と思えばいい
まずは受けられることを祈るばかりだ
そして、手術が成功するかどうかは私の体の状態と
手術をする先生の腕にかかっている
同じような境遇の人はいっぱいいるだろう
オペがあるのだろう
医療の仕事は、その中でも
人の命がかかっている分
負う責任も重い
ご苦労様です
ご苦労様です
出来れば治すことばかりに執着せず
元気に楽しく
今日という佳き日を
しっかりと過ごしていけたらと思いながら
昨日の夕方、私はK大学病院の研究棟の中にいた
何故、がん患者の私が病棟ではなく
研究棟にいたかという
そんな話を今日はしよう そうしよう
これは以前に「がんぼっち」と題した投稿の後半でも
ほんの少しだけ触れていたけど
免疫細胞の研究者のK先生に連絡をし
何か研究者と一緒になって表現することが出来ないか
ということで私から勝手にアポイントをとったのだ
そのK先生は患者会の情報から、知り得た方で
特に面識があった訳でもなく
その研究所のホームページで
掲載されている内容をみて
直感的にこの人となら何かが出来るかも
という私の思い込みもあり、連絡を入れた
あくまで、医療の相談ではなく
何か生み出せないかという
クリエイティブな話をしたいということで
想いを込めて
メールアドレスが分からなかったので
手紙を書いて送った…
その想いも叶ってか
「まずは話をしましょう」と
ご丁寧にも記載しておいたメールに連絡が届いた
足を踏み入れたことのないウィルスや
再生医学を扱う研究棟に入った
ちょっとクリーンな印象の建物の奥に入り
ドキドキ
K先生とは廊下でバッタリと会い
部屋に入って、話をした
そのK先生の最近の研究内容の一つは
「iPS細胞技術を用いて再生したT細胞でがんを治す」
という私にとって、
初めはチンプンカンプンな内容だったが
詳しく聞くと実に興味深く
また希望を持てる内容だった。
私自身も今の地点で行える免疫細胞療法を
している(していく)身でもあるので
余計に興味深い。
今は臨床試験に入る手前のようで
すぐに実用されることではないらしい
なので、治療にすぐ直結話ではない
その他にも免疫に関わる話をしたり
私からは、研究内容を表現することについて
恐れ多くも話をさせてもらった
そのK先生は、少し変な先生と言うと怒られるが
自分でイラストを書いたり、詩を書いたり
話をしていて分かったのだが
研究者や知り合い達と趣味で音楽活動を行い
自分達でCDを出している等
免疫学の研究と言う枠だけに捉われない
柔軟性というか非常に多才な人である。
そこに魅力に感じ
私が一緒に何かしたいと思った所以でもある
すぐに何かが生まれるわけではない
でも、
「研究者として研究だけでなく
表現することにおいて
今まで考えていない部分もあったから
機会をみて、やりとりしながら
話をしていきましょう」
とのことで
時折連絡をとったり
話をしたりしていこう
と約束して
二人で記念撮影までして
3冊の免疫学の本をいただき
更には自分たちでオリジナル曲を
作成したというCDまで
私は手にして
その部屋を後にした…
1時間近くの話し合いだったが
面白いもんである
そして、有難いもんである
私は私でもちろん治療をして
元気になることが先決である
しかし、このように
先に何かが出来るかもしれないという希望は
私の意欲につながり
また、私の為だけでなく、
同じような境遇の人にとって
役に立つことになるかもしれない
私はがんを経験して感じたこと
考えたこともふまえて
新しいアイデアや表現を
出来ないかいう想いも持ちながら
復活劇は続けていきたい
そう思いながら
日が落ちていく中
車で家に帰った

